師匠と命・前編
榊幸一郎は平日のあかしやが好きだった。何せ客は自分一人の貸切が多い。
静かに仕事に集中しながら、美味い茶と茶菓子が食べられる。快適極まりない。命にいつも通りにおまかせで頼んだ紅茶も美味かった。
「榊先生。ご注文は以上でお揃いですか?」
「ああ、今注文したいものはないが、どうしたんだい?」
「買い付けした茶葉の整理をしたいので、私は奥にいますね。永久。誰かお客さん来たら呼んでね」
「はい。命さん」
永久の返事を聞いて、命は店の奥に引っ込んだ。やることもなく手持ち無沙汰で座っている永久が、じっとこちらを見ている。
無言で過ごすのも、なんとなく気が引けた。
「確か……余った部屋で、茶葉の在庫を保管してるって嬢ちゃんが言ってたね」
「この前大きな車が、いっぱい茶葉を置いてったよ」
「スリランカで買ってきた茶葉かい?」
「うん。命さんがそう言ってた」
外観は普通の民家より広い。カフェと、二人の部屋、それに風呂とトイレを差っ引いてもまだ余裕がありそうだ。
「いっぱいってどのくらいなんだい?」
「ん……確か、百きろ? とか言ってたような?」
「百キロって、そりゃあ通販だけで捌けるのかねぇ……」
ぼやいた所で店の扉がガラリと開く音がした。永久がパッと立ち上がり出迎える。
「いらっしゃいませ」
「ああ、君は……」
入ってきた男は、顔も姿も良い男だった。彫りが深く、鼻筋が通っていて、大きな瞳は凛々しく引き締まっている。身長が高く、少々逞しく見えた。
永久が涼しげな和風で、客人の男は濃いめのハーフ風。榊の目線から見ても、眩しいくらい良い男が並んでいる。
二人の様子を遠目に見ていて気づいた。男の様子がおかしい。驚いたように目を見開いて、永久をじっと見つめる。視線を浴びても気にもとめていないのか、永久はマイペースで挨拶した。
「店員の永久です。お席にどうぞ」
「いや、俺は客じゃない。命は?」
「命さんは奥にいるので、呼んできますね」
永久がいなくなると、謎の男と二人きりになった。
「……嬢ちゃんの彼氏かい?」
「彼氏じゃない! ……と、お客様に申し訳ありません」
彼氏の言葉に一瞬本気で怒ったように見えた。だが男は榊を店の客と判断したのだろう、丁寧に頭を下げて名刺を差し出した。
「私は牧野と申します。命……葛木とは同業者です。先日仕入れた茶葉のことで相談があってきました」
名刺を受け取って、自分の名刺を差し出す。名刺を出されると交換するのが癖になっていた。名刺には『牧野彰』という名前に『Tea Market KATURAGI 社長』という肩書きが書かれていた。KATURAGIの文字にぴんときた。
「もしかして、スリランカの買い付け旅行に一緒に行った、お師匠さんかい?」
「……師匠と名乗るのは恥ずかしいのですが。まあ、色々と教えてはいますね」
そこで命の言葉を思い出す。確か師匠は父親の仕事仲間で、子供の頃からの知り合いだったはず。もっと歳を取った男かと思っていたが、予想より若い。
牧野はきょろきょろと店の中を見回していた。
「ここがあかしやか……」
「なんだい、店に来るのは初めてかい」
「はい。話には聞いていましたが、実際に来るのは初めて、だが……」
囲炉裏を見ては睨み、部屋の隅を見ては小さくため息をつく。
些細な仕草だが、同じ悩みを持つものとして、榊はぴんとくるものがあった。
「お前さん、もしかして……」
「
「……仕事中」
「あ、すみません。牧野さん。つい癖で」
「まあ、癖は出るよな。茶葉の販売先で相談があってきた」
「あ、あちらのテーブルで話を聞きますね。お客さんが来たら対応できるように」
ちらりと永久を見て、牧野は首を傾げた。
「店員を雇っているんだろう?」
「まだ研修中で、一人では任せられなくて」
「そうか……。まあいい」
そのまま二人はテーブルについて、書類を見ながら何か相談をし始めた。その様子を榊はじっとみる。
客でなく、名前で呼ぶ良い男。命より少し年上くらいに見える。命と並ぶ姿はお似合いだ。
仕事とはいえ、一緒に海外旅行までする。子供の頃からの付き合いで保護者といっても、そういう間柄がなんだかんだで一番上手くいく。ますます怪しい。
他人の恋愛話を勝手に推測するのは面白いものだ。ニヤリと笑って永久にこっそり話しかけた。
「あの男。嬢ちゃんのコレじゃないかい?」
小指を立ててみると、何も分かってない顔で永久は小指を差し出した。
「なんで小指を出すんだい?」
「え? ゆびきりげんまんするんじゃないの? ……この前の黙っている約束。忘れてないよね」
「ああ、まあ約束を反故にする気はないけど、お前さんと指切りなんて、するわけないよ。はぁ……。あの男を見て、ヤキモチの一つもないのかい?」
「焼き餅? 焼いた餅が食べたいの? 今、店には餅はないよ。大服ならあるけど」
「いや、そうじゃなくてだね……」
純粋な子供のような目をした永久を見てると、からかう気も失せた。
「あの男と嬢ちゃん、仲が良さそうじゃないか。心配じゃないのかって聞いてるんだよ」
「そうだね……心配かな」
笑顔を浮かべて牧野と話す命を、永久は真剣な顔で見つめた。
「大切な人ほど、失った時は辛いから。命さんに大切な人がいるのは心配だよ」
「……なるほどね」
永久にはまだ恋愛感情というものがわからないのだろう。
ただ、大切な人間を失う悲しみだけは知っている。
それは榊にも覚えがある感情だった。
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