師匠と命・後編

 あかしやのテーブルに命と彰は向かい合った。あえて水を用意したら、彰は一口飲んで笑みを浮かべる。


「水が美味いな。都心ではこうはいかない」


 水の良さは土地が影響する。都心部の駅前ビルなどは、屋上タンクに一度水を蓄えてから運ぶところもあり、水の味も新鮮度も格段に落ちる。

 駅前の方が、とうぜん客も多いのだが。


「はい。奥多摩は水も空気も美味しくて、良いところです」

「まさか、こんな所に店を持つとは思わなかったがな」

「私もつい最近まで思いもよらなかったです。これも何かのご縁なんですよ」


 あやかしと契約したから、古民家をタダでもらったという話は黙っておく。

 師匠の彰とあかしやで仕事の話をするのは初めてだ。新鮮な気分がして、仕事だというのについ笑みがこぼれる。


「予定通りついて運が良かったな。船便は遅れる方が多いのに」

「空輸の方が早いけど高いですからね」


 茶葉を運ぶなら飛行機か船。船の方が安くて大量に運べるが、いろんな理由で遅れがちだ。日本についた後も、税関で足止めをくらう場合も多い。

 新鮮なお茶を待ち望むお茶マニアにとっては、一日でも早くお茶が届くのは嬉しいが、飛行機は輸送費が高い。

 彰がリストを取り出して机の上に並べた。


「茶葉の種別の送り先を纏めた。もし発送作業の手が足りなければ、手伝いを送る」

「そうですね。できるだけお茶が新鮮なうちに届けたいので、平日の空いた日に来てもらえますか?」


 リストには日本各地の紅茶専門店の名前と連絡先が書かれていた。

 スリランカの紅茶は必ずオークションを通して買付けされる。オークションに参加できるのは資格を持ったバイヤーのみ。しかも一種類に対して一トン単位である。とても一つの店舗で捌き切れる量ではない。

 彰と馴染みのあるバイヤーがオークションで落とした茶葉を分けてもらい、それを彰が繋がりを持っている日本の紅茶専門店に分けて売る。紅茶業界でのキャリアが長い彰は、業界内で顔が効くからほとんど一人で手配している。

 あかしやはただの倉庫だ。何せ建物がタダなので倉庫代が浮く。


 一通り打ち合わせを終えた所で、彰が何か言いたそうな視線で店内を見渡した。


「この家、大丈夫なのか? 古民家を譲ってもらったと聞いていたが」

「雨漏りとかしないし大丈夫ですよ。しっかり茶葉を守ってくれます」

「いや、そういうことではなくてだな……」

「どうかしました?」

「いや、気づいてないなら、別にいい。悪いが次の仕事があるから」


 立ち上がった彰を引き留めるように声をかける。


「電車ですか? 次の電車まで時間ありますよ」

「いや、車できた。その方が都心に出るのにも、小回りがきく。命は車を持ってないのか?」

「……この店の改装で結構使ったので、今は節約したいな……と」


 車がある方が荷物を運べるし便利だけれど、維持費にお金がかかる。自分一人なら電車でもいいかなと後回しにしている。


「古くなった社用車を、一台こっちに回そうか?」

「そ、それはダメですよ。また、彰さんが悪く言われちゃいますから」

「Tea Market KATURAGIは葛城さんの会社なんだから、娘の持ち物で良いだろう」

「今、KATURAGIをお父さんのものだと思ってるのは、彰さんくらいですよ」


 Tea Market KATURAGIは命の父が始めた会社だ。

 父の失踪後、一緒に働いていた彰が切り盛りしてくれている。彰は業界内でも評判の茶商で、父の失踪から十年以上たったいま、誰もがKATURAGIの社長といえば、彰を思い浮かべるだろう。


「じゃあ、また近いうちに来るから」

「え? ……帰国したばかりで忙しい時期ですよね」

この家・・・が気になるから、また様子を見にくる」


 そう言って彰は帰っていった。彰の様子が何か引っかかる。


「……まいっか」


 そう言ってテーブルを片付けた。店にいた榊が何か面白そうな顔をしていた。


「あの人、ずいぶん男前じゃないか。嬢ちゃんのこれかい?」


 小指を出されてニヤニヤ笑われた。


「それ、彰さんに言わないでくださいね。嫌がられますから」

「もう言った」


 あぁ……と声にならない悲鳴が漏れた。


「名刺を貰ったからネットで調べたけど、お茶業界では有名な人なんだねぇ。色んなお茶のイベントで講師に呼ばれて、紅茶の貴公子とか、紅茶の王子様なんて肩書きまでついて、いやぁ男前は罪だねぇ」

「メディアは派手な見出しをつけたがるから仕方がないんですよ。でも彰さんは嬉しくはないそうですよ。客寄せパンダみたいですし」


 お茶のプロとしての技術も経験も確かなのに、外見で話題になるのは不本意だろう。

 彰の長年の努力と才能によって、父の頃より会社もずっと大きくなった。都内に何店舗も店があり、イベントのゲストや雑誌のインタビューと忙しい。


「お前さん、茶の店をやるのが夢だって、狐に言ったんだろ? それでここで店を始めたと」

「はい。そうですね」

「なんで『KATURAGI』で働かないんだい? お前さん、社長の娘だろ。スタッフとして働いて経験を積んで、どこかの店長になるのが自然だと思うんだがね」

「昔はKATURAGIで働いてたんですけどね……」


 思わず顔がこわばる。

 彰さんは見た目もいいし、仕事もできるし、モテる。それなのに女の気配がない。仕事以外で唯一親しくしているのが命だった。

 元社長の娘。昔馴染みで名前で呼び合う仲。社内であれこれ噂したがる人は多い。

 KATURAGIで働いてた頃は、「社長の愛人だ」などと妙な噂を立てられて、仕事がやりづらくて仕方なかった。

 車を借りるのを断ったのも、愛人だから贔屓だ、などと妙な噂を立てられたくないからだ。


「父がいなくなった後、会社を維持するのに苦労したらしいです。彰さんも大学を卒業したばかりで、まだ若かったですし。頑張ってくれた彰さんに迷惑かけたくないんですよね」

「まあ、色恋沙汰で噂するのは面白いからねぇ。ネットに書いてあったが、あの人四十過ぎなんだってねぇ。とてもそんな歳には見えないよ」

「本当に凄いですよね。三十手前くらいで時を止めてるみたいで」


 彰を知らない人に二十代後半だといっても、信じるだろう。いつまでも若々しい。


「あの人、結婚してないのかい?」

「ずっと独身で恋人もいません。彰さんは仕事一筋なんですよ」


 昔は彰の周りにいる女性社員達に、目の敵にされた。あわよくば恋人にと狙う人から見ると、命は邪魔な存在らしい。

 黙って聞いていた永久が不機嫌そうな顔をした。


「それっておかしいよ」

「何が?」

「だって、命さんのお父さんの会社なんでしょ? どうして命さんが出ていかなきゃいけないの? 一緒にいるのが都合が悪いなら、あの人が出ていって、命さんが会社を継げばいいじゃない」

「それはできないわよ! 実力の差がありすぎるし、今のKATURAGIは、彰さんなしでは成り立たないもの」

「でも、それで命さんが会社にいられないのは、やっぱりおかしいよ」


 永久が悔しそうにしているのは珍しい。どうしてそんなに悔しがるのか気になる。でも……。


「……まいっか」

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