外伝集
あかしやの朝
あかしやで朝一番に働くのは管狐だ。
命達が身支度を整えている間に、管狐は動き出す。
夜の間にケセランパサランは店中にわらわらと湧いているので、片っ端から転がして、部屋の隅に追いやるのである。
ころころ、ころころ、すっころりん。
テーブルの上がすっかり綺麗になった頃、命と永久が店に出てくる。
「いつもありがとう。うーん。もふもふ」
仕事を始める前に、管狐を抱っこして、もふもふに顔をつっこんで吸うのが命の日課だった。それから手を洗って、味噌を小皿に少しだけ盛る。
店用の味噌は同じ物を買っているが、自分用はその時の気分で変える。最近ハマってるのは、フルーティーな酸味が効いた味噌だ。きゅうりにそのままの味噌をつけて食べるのに向いている。
管狐はそわそわと命の足元を走っていた。
「はい、どうぞ」
小皿に乗った味噌を床に置くと、管狐は嬉しそうに舐める。
「管狐の好物は味噌なのね。安上がりで助かるわ」
「命さんが選んだ味噌だから嬉しいです」
「まるで、永久が喜んでるみたいな言い方ね」
「あ……えっと。僕の眷属だからそうじゃないかなと思っただけ。庭の掃除をしてくるね」
「慌てちゃってどうしたのかしら? ……まいっか」
窓から庭を見ると、竹箒を持って永久は庭を掃いていた。今はまだ枯れ葉の季節ではないが、秋になれば落ち葉が増えるだろう。
庭の掃除を終えたら、永久は店内の掃除をする。窓ガラスは濡らした新聞紙で拭くと良い。そう命に教わってから、永久は窓拭きが気に入ったらしい。
きゅっきゅっと磨くと、綺麗になるのが楽しいようで、いつも嬉しそうに窓拭きをしている。
管狐に味噌をあげた後、命はその日に出す料理の仕込みをする。
今日は平日。店に来るのは榊と楠原くらいかもしれないが、急なお客様にも備えておかねばならない。
「命! 今日、手伝いいらへん?」
「開けてー。ご飯ちょうだい!」
……お客様は人間だけとは限らないのである。
玄関の扉を開けると、氷雨と猫の姿の鈴がいた。
「いらっしゃい。ちょうど朝ご飯を作ってた所なの。食べる?」
「「わーい」」
「命さん。あんまり餌付けすると、癖になるよ」
腰に手を当てて文句を言う永久が、一番餌付けされているのに自覚がないようだ。命は思わず口元に笑みを浮かべた。
店の準備を終えた頃、一人とあやかし三匹の朝食が始まる。
鈴も人間の姿に変身して、鮭握りにかぶりつく。毎日鮭でも飽きないらしく。いつも鮭握りを食べている。
氷雨は興味津々な目でサラダを見つめる。
「このサラダっていうの、うちの旦那様に作ってあげたいわ。これなら火を使わなくてもできるやろ。味付けはどうするん?」
「うちはドレッシングはいつも手作りなの。お客様に出す物じゃなければ適当でいいわよ」
そう言いながら、命はレタスの上に、オリーブオイルをひとたらし。上から塩と胡椒をふりかけた。軽く混ぜて出来上がり。
「一番簡単なのはこれね。意外と飽きないのよ。他のドレッシングは、後で教えてあげる」
「ありがとぅね」
命は頭の中でドレッシングのレシピを思い浮かべる。
基本的にドレッシングは、油、酢、出汁になる塩気があればできる。そこにアクセントを加えると可能性は無限大だ。
オリーブオイルで香りをつけて、コンソメ顆粒だしで味を足す。爽やかなレモン汁を混ぜて、アクセントにニンニクを入れた定番ドレッシングは、どんなサラダにも合う万能選手。
香ばしいごま油に、旨味の効いた鶏がらスープの素、マイルドな酸味のリンゴ酢と、ラー油を垂らして辛さをつけた中華風も良い。
適当に器に入れて混ぜるだけ。味見して物足りない部分を足して調整する。
後でメモに書いて氷雨にあげよう。そう考えながら命は食事に戻った。
永久は狐色にこんがり焼けたトーストを前に、何を塗って食べるか迷っていた。
「昨日はばたー、一昨日はいちごのじゃむ。今日は何にしようかな」
「すっかりパンにハマってるわね」
「昔は食べたことがなかったから、新鮮なんだ。表面はかりっと香ばしくて、中はふわっとしていて、不思議だね」
命に出会うまで『ぱん』を知らなかった永久は、物珍しさでウキウキしている。毎日違う食べ方に挑戦したいらしい。
命はニヤリと笑って厨房からある物を取ってきた。
「今日お店に出すお菓子のために、餡子を買ったの。その残りを使いましょう」
バターを塗ったトーストの上に、餡子を乗せて永久に差し出す。
「じゃーん。名古屋名物、小倉トーストです!」
「名古屋……名前だけは知っているけど、行ったことがないなぁ。名古屋のご飯なんだね。旅のようで嬉しいな」
命も永久と同じ物を作って食べる。バターのコクと塩け、餡子の上品な甘さが絶妙なバランスで、香ばしいトーストと組み合わさると最強だ。
小倉トーストの合間にスープを飲む。
仕込みのあまり物野菜で毎日スープを作っている。今日はミニトマトが残っていたので、にんじんとミニトマトをコンソメで煮たシンプルなスープ。にんじんの甘みとミニトマトの酸味が効いている。
朝は軽めに。小倉トースト、サラダ、スープ。それだけじゃ足りない? もちろんこれだけじゃありません。
「はい。今日もデザートはプリンです」
「やったーぷりん!」
「またやの、プリンも美味いけど、たまには他のでもええやんなぁ」
「毎日ぷりんを一個食べないと、僕は生きていけない体になったんだ」
「永久て変なのー。でもあたいもプリン好きだから、毎日食べてもいいよ」
人形から黒猫に戻った鈴が、毛づくろいしながら機嫌よく喋る。
「毎日来ると、榊先生に怒られない?」
「へーき、へーき……ぴゃ!」
鈴は急にびくついて、飛び上がった。何か気配を察知したようだ。
「爺ちゃんが、怒ってる気がする。ごめーん。今日はプリン食べずに帰る。またねー」
慌てたように鈴は走っていった。たぶん、今日榊がやってきたら、鈴の分もお代を払うのだろう。
鈴が帰ったからか、永久は嬉しそうに笑った。
「鈴が帰ったら、鈴の分のぷりんが余るね。僕、二個食べてもいい? 氷雨が食べないなら、三個食べても……」
「う、うちも食べる。永久は欲張りすぎやわ」
「はい、はい。喧嘩しないで、食後のお茶を淹れて、仲良く食べましょう」
命が言うと、永久は立ち上がって厨房に向かった。朝の食事の後に飲むお茶は永久に任せている。いつか店で客に出すお茶が淹れられるように、練習しているのだ。
仕事と同じ環境でと、妖狐からカフェ店員の姿に変身して、淹れる茶葉選びから始める。表情は真剣そのもので、可愛いペットの面影はかけらもないほどかっこいい。思わず見惚れてしまう。
初めの頃とは比べ物にならないくらい、お茶を淹れる仕草が様になっている。永久がティーカップが運んできたので、今日は紅茶なんだなと気づきワクワクし始めた。
お茶を淹れるのは大好きだ。
けれど、たまには人が淹れてくれるお茶が飲みたい。私のお気に入りのティーカップを選んでくれたり。些細な心遣いが、まるで執事にお世話されてるお嬢様気分になれてついニヤける。
ティーコジーを外してポットからカップに紅茶を注ぐと、私の前に置いてくれた。
「はい、どうぞ」
ふわりと漂う香りが優しい。一口飲んで癒やされる。やっぱり人に淹れてもらった茶は美味い。
「どう?」
「美味しいわ。ウヴァよね」
「うん。この前命さんがスリランカで買ってきたお茶。新鮮なうちに飲むのが美味しいかなと思って」
「ありがとう。すっごく美味しいわ」
永久は私の言葉を聞いて、艶めいた笑みを浮かべた。
「最近、命さんが僕のお茶を飲んで、美味しいって言ってくれるのがとても嬉しいんだ。命さんも同じ気持ちでお茶を淹れてるのかな?」
「そうね。私の淹れたお茶で、誰かを幸せにできるなら、これ以上幸せな仕事はないわね」
氷雨は熱い茶を飲めないので、冷蔵庫に入っているアイスティーをとりに行く。永久はちらりと氷雨を見て、二人きりの内緒話という感じで、命の耳に囁いた。
「じゃあ、僕は今だけ、命さんに仕える召使いだね。なんでも命令に従うよ。なんでも、ね」
耳元で響く、いつもより低音の声が、どきりとするほど甘くて。頬が赤くなりそうになって深呼吸をする。気持ちを落ち着かせるために紅茶を一口飲んだ。
永久は向かいの席に座って自分の分の紅茶を淹れた。
「命さんのぷりん楽しみだな〜」
子供のように無邪気に、プリンを食べ始める永久の姿を見てホッとする。
永久はペットのままが良い。
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