3話

 青梅駅の待合室は、左右の壁に椅子がある。永久は椅子の間の床に座りこんでいた。普通の人間には見えないし、邪魔にもならない。

 無人の待合室に人が入ってきて、ちらっと見上げて驚く。入ってきたのは榊だった。

「狐。ここでご主人様を待ってるのかい? 健気だねぇ」

「爺さん。なんでここにいるの?」

 榊は永久の向かいの椅子に座って、くくくと笑った。

「あたしにも人付き合いってものがあるんだよ。奥多摩から新宿まで日帰りで遊びにいけるしねぇ」

「ふぅん。じゃあ、さっさと帰ればいいんじゃない? 電車来てるよ」

「ちょっとお前さんに話があるんだ。お嬢ちゃんがいない間にね」

 永久は床に伏せていたのを起き上がり、ずいっと榊の方へ身を乗り出した。

「なに?」

「いやね。ずっとおかしいと思ってたんだよ。お前さんはあの家の座敷童のようなもんだと言ったらしいね。でもケセランパサランも家を守るあやかしだ。似た性質のあやかしが一つの家に同居する。おかしなもんだとね。だから考えた。ケセランパサランも、管狐も、お前さんと同じ存在。体の一部なら……なんの不思議もねぇよな」

 永久はじっと榊の目を見た。榊は目をそらさずに、永久の返事を待つ。しばらくにらめっこが続いて、永久が先に目をそらした。

「人間にとって、髪や爪みたいなもの。管狐もケセランパサランも、僕の一部だけど、消えたところで、痛くもかゆくもない」

「なるほどねぇ。お前さんは色んな概念の集合体みたいなもんかね。本質は何なのか。神かあやかしか、それを超えた存在か。その身体の中に、いくつの人格を持っているのか。いやぁ……面白いねぇ」

「僕を調べてどうするの? きもちわるいんだよ」

「ま、お前さんの正体はこれからじっくり調べるとして、問題は嬢ちゃんから預かった本だ」

「読んだの?」

「あの本を初めて見た時からおかしいと思ったんだ。あの中につづられた単語の中には、現代の言葉もあった。とても百年前の人間が書いたとは思えない。現代人がイタズラで古く加工した本かと思ったが、知り合いに頼んで調べて貰ったら、紙は百年前のもので間違いないというんだよ」

 榊はじっと永久を見すえたまま重く告げる。

「それに、あの本には作者の名前が書いてある。沓己、嬢ちゃんの父親の雅号と一緒だ。だから考えたんだよ。嬢ちゃんの父親が幽世かくりよに迷い込んで過去に落ちて、あの家を建てた。だからお前さんは嬢ちゃんを主人にした。違うかい?」

 永久はぶわっとしっぽを太らせながら威嚇する。

「それ……みことさんに言うの?」

「お前さんの返答次第だ。なんで嬢ちゃんに言わない」

 太ったしっぽがみるみる縮んで、永久は悲しげに待合室の窓から外を見上げた。

「命さんは、お父さんと会いたがってる。まだ会えると望みを捨ててない。もう死んでいると言ったら、可哀想だ」

「まあ、そうだろうな」

沓己とうこは、もう家族に会えないと知った時、名前を捨てると決めたんだ。だって名前で呼ばれるたびに、家族を想いだしてしまうから。家族と出会う前、若い頃に名乗った沓己とうこと呼んで欲しいって」

 永久は窓の外から榊に視線を移して、じっと見つめた。曇りなきまなこで語る。

「僕は沓己とうこに出会って、色んなことを教わった。とてもとても楽しい日々で、僕は沓己とうこが大好きだったよ。でも、その幸せは、命さんから奪った幸せなんだね」

 永久は沓己とうこと出会い、命は父を失った。

「嬢ちゃんの父親が、過去にいっちまったことに、お前さんは関係ないだろう」

「それでも僕は、沓己とうこの代わりになりたいんだ。家族を失った命さんの家族になるんだ。命さんが望むなら、父親でもペットでもつがいでも、なんでもいい」

 まっすぐに告げる永久の視線を受け止めて、榊は微笑んだ。

「そうかい。なら、嬢ちゃんが死ぬまで、その秘密は隠し通すんだな。秘密ってのは、時間が経てば経つほど、バレた時に傷が深くなるもんだ」

「……黙っていてくれるの?」

「嬢ちゃんは、お前さんが何かを隠してると気づいてるよ。気づいた上で、話してくれるまで待つと言っていた。わざわざあたしが教えることでもないよ」

 そこまで告げて、榊は立ち上がって待合室を出て行った。


 命が出かけて何日立ったのか永久には解らない。けれど、帰ってくるのが解っているから、待つ時間も楽しみで仕方がない。

 命には百年眠っていたと言ったが、あれは嘘だ。

 本当は起きていた。ただ命に見えなかっただけで。青梅より先に行かれなかっただけで。

 永久は沓己とうこの娘に会いたかった。娘から沓己とうこの話を聞きたかった。大好きな大好きな沓己とうこは死んでしまったから。もう会えないから、その代わりが欲しかった。

 だからケセランパサランを新宿まで飛ばして、寝過ごしてくれと願った。命は何度も寝過ごして青梅までやってきた。その度に狐の姿で永久は声をかけた。

 けれど、命には見えない。気づかない。いつも折り返しの電車に乗って、立川に帰ってしまう。それが悔しくて仕方がなかった。

 奥多摩まで来てくれれば、あの家に入ってくれれば、命に見えるくらいの縁が結ばれる。そうしたら話ができるのに。

 ずっとずっと待ち続けて、ようやくその機会は訪れた。

 永久にとって命との出会いは『必然』だった。

 命から沓己とうこの話を聞けて嬉しかった。沓己とうこの作ったプリンを食べられて嬉しかった。命が今も沓己とうこを慕ってるのが嬉しかった。

 嬉しくて、嬉しくて。でも、一緒に過ごすうちに知った。父親を失った命が、どれだけ悲しんでいるか。会いたがっているか。

 言えない。父親はもう死んでいるなんて。

 命が幽世かくりよを通じて過去に行ったと気づいたとき、我を忘れた。それだけ永久にとって、命は大切な存在になったのだ。

沓己とうこ。僕が『みこ』を守るよ」

 最後まで娘を案じた沓己とうこの代わりになる。

 榊が言うように、いつかこの秘密が命に知られたら、嫌われるのかもしれない。それはとても怖い。だから、この秘密を抱えたまま、命の家族でいよう。


 電車が青梅に近づいていく。それだけでみことの気持ちが浮き立つ。たった一週間出かけただけなのに、奥多摩が懐かしくて仕方ない。

「そうか。家族が待ってるのが嬉しいんだ」

 ぽつりと呟いて、命は微笑んだ。

 父がいなくなって。母とぎくしゃくして、大人になって自立してから縁が遠くなった。ずっと一人で生きてきて。家に帰って「ただいま」を言う相手がいない。そういう生活に慣れていたから。「ただいま」と言えるのが楽しみで仕方がない。

 青梅駅につくと、電車を降りた人々が向かいの奥多摩行きの電車へ乗り込む。命は一人待合室へ向かう。永久が待っているから。

「お帰りなさい。命さん」

「ただいま」

 ぎゅっと抱きつくと、ふんわりとした毛並みと温かな感触が心地よい。

「いっぱいお土産話があるの。お茶も買ってきたから、淹れてあげたい」

「じゃあ、僕達の家に帰ろう」

「そうね」

 命と永久が電車に乗ると、奥多摩に向けて走り始めた。

 窓の外はあいにくの曇り空。梅雨の合間だから雨が降ってないだけまだマシだ。

 これから夏が来る。青い空の下、山々が眩しく輝くのだろう。まだ命は奥多摩の春しか知らない。これから夏、秋、冬と過ごして、また春に帰ってくるのだろう。

 永久は何かを隠してる。なぜ命を主人と呼ぶのか解らない。

「……まいっか」

 たぶん父ならそう言うだろう。

 別に知らなくてもかまわない。これから、永久と奥多摩で、何年も暮らすのだから。


 トンネルを潜る度にそわそわして、暗いトンネルの中で車内を確認してしまう。命にしか見えない狐の永久。いつ妖狐になるのだろう。早く顔が見たい。狐のままでは表情が解らない。

 何度目かのトンネルを潜りぬけた所で、永久の姿が変わった。

 狐耳としっぽに着物姿に白銀の髪。金色の瞳は嬉しそうに微笑んでいた。命も釣られて微笑む。

 奥多摩駅について家まで歩く間も無言が続く。話したくてそわそわする気持ちを抑えて。

 やっと家が見えてきて、門に手をかけ、敷居をまたぐ。

「おかえりなさい。命さん」

「ただいま。永久」

 命と永久が帰る家。古民家カフェあかしや。今日も二人のティータイムが始まる。

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