3話
客がいないうちにと、氷雨に店の決まりを教えた。蛇口をひねって水を出すと、氷雨は小さく驚く。
「いつも見てるだけで、触ったんは初めてや。だって、勝手に水でたら、こわいやん。うち、あの人、怖がらせたくないねん」
「……それで、どうやってお茶を淹れてあげるつもりなの?」
「それは……命が代わりにだしてぇな。命が淹れたことにしてええから」
「それでいいの?」
「ええの、ええの。うちが淹れたお茶を、美味いってあの人が言うてくれるの、見るだけで幸せやわ」
にこにこしながら、残っていた水で皿を洗っていく。洗剤やスポンジにもすぐ慣れて手際も良い。本当に洗い物は得意なんだなと命は感心した。
「氷雨は食事する?」
「山になってる果物食べたりしたことはあるんやけど、人里でもろたことはないなぁ」
「洗い物のお礼に、何か作りましょうか?」
「ええのん? 嬉しわぁ」
「僕も、僕も、プリン食べたい」
「はいはい。プリンはたくさん作ってあるから。二人分だすわね。アイスティーなら氷雨も飲めるでしょう」
「あいすてぃー?」
「冷たいお茶よ。これから淹れて見せるわ」
お湯を沸かしてティーポットを出す。紅茶の茶葉は通常の二倍使う。蒸らしている間に、ピッチャーを二つ用意した。蒸らし終えたら、一つ目のピッチャーに移し替える。その時最後まで注ぎきらないのがポイントだ。
「紅茶の最後の一滴をゴールデンドロップと呼ぶの。一番美味しい所なのだけど、アイスティーにするときは、これをいれない方が濁らなくて綺麗なお茶になるわ」
「お茶が濁る?」
「ゆっくり温度が下がると、お茶の中のタンニンが結合し、クリームダウンという現象を引き起こして濁るの。色が濁るだけでなく、舌触りが少しざらつくという人もいるわ。まあ、見た目以外は気にしなくても良いと思うけど、お店だから綺麗なお茶をだしたいでしょ」
「命さんの淹れるお茶はいつも綺麗です」
「ありがとう。紅茶は一〇〇度近い温度で蒸らす。そのまま氷に注いでしまうと、温度が中途半馬に下がって、クリームダウンになるから、段階的にお茶を冷まさないといけないの。ピッチャーに移したお茶を、六〇度くらいまで自然に冷ます。その間にもう一つのピッチャーに氷をいれて……氷雨。お願いできる? できるだけ細かい方がいいわ」
空のピッチャーを手渡すと、氷雨は手をかざした。さらさらの雪みたいに細かい氷でピッチャーが満たされる。
「これは便利ね。アイスティーは砕いた氷を使うのが一番だけど、氷を砕く器具をまだ買ってなかったのよね」
「うち、役にたつん? 嬉しわぁ」
氷雨の氷が入ったポットへ、紅茶を注ぎロングスプーンで手早くかき混ぜる。氷が細かいからすぐに溶けて、一気に温度が下がるのがポイントだ。
透明な紅茶をグラスに注いで、永久と氷雨に差し出した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、命」
「命さん、いただきます」
初めて飲むお茶に目を輝かせ、氷雨はそっと飲んでにっこり笑う。
「美味しいわぁ……お茶ってこんな味がするんやね」
「これは紅茶だから、他にも色んなお茶があるのよ」
「美味しい……だけど……」
氷雨の表情がすぐに曇った。
「お湯を使えない、うちには、淹れられへん」
しゅんと落ち込む氷雨を元気づけようと、命は明るく話しかける。
「氷雨がいてくれたら、凄く助かる料理があるんだけどな」
「なぁに? うち、手伝えることあるんなら、やるわ」
命は冷蔵庫から卵を取り出して、白身と黄身を分けた。砂糖と卵黄を白っぽくなるまで、よく混ぜて。それとは別に牛乳と生クリームを混ぜて温める。
「何味にしようかな……いちごか、バニラか、チョコもいいな」
「命さん。もしかして、あいすくりーむですか?」
「そう。うちでもアイスクリームだそうと思って」
「お茶味のあいすくりーむ食べたいです。お店でみかけて、美味しそうだな……って思ったけど、僕まだ食べたことがなくて」
「わかったわ。ふふふ。美味しい抹茶なら、いっぱいあるんだから」
宇治の抹茶のお茶缶を開けると、ふんわり良い香りが漂った。
抹茶用の
抹茶を牛乳の中に混ぜ合わせ、ちゃんと溶けてから、砂糖と卵黄を少しづつ加えて混ぜる。あとは冷やして固めながら、時々混ぜるだけ。
「氷雨。これを適度に凍らせたりできる?」
「適度ってどれくらいやのん?」
「うう……ん。少しだけ固まるかな? ってくらい」
「こんな感じでええ?」
氷雨さんが抹茶アイスの上に手をかざすと、みるみるうちに、クリームが粘り気をおび、半分固まった。
「良い感じ。すごい早くて助かるわ」
スプーンで全体をよく混ぜて、また固めてもらって、また混ぜる。これを繰り返すことで、滑らかな口どけになるのだ。
できあがった抹茶アイスクリームを、ガラスの器にたっぷり盛り付けて、黒蜜を添えた。
「少し甘さ控えめにしたから、黒蜜をかけても美味しいわよ」
「「いただきます」」
永久と氷雨さんの声が重なって、思わず、ふふって笑ってしまった。
「甘くて、ひんやりして、美味しい。うち、これ好きやわ。黒蜜も香ばしくて、甘くて美味いわ」
「お茶の良い香りがしますね……僕はこのお茶の香りを楽しみたいから、黒蜜がないほうが良いな」
美味しそうに食べる姿が、兄妹みたいにほのぼのとして。美味しい、美味しいって素直に笑ってくれるのが嬉しい。
あやかしって素直で可愛くて、ほんと、作りがいがあるなと、命はにこにこと二人の様子を眺めた。
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