2話

 それから頻繁に楠原はやってきた。いつもズンちゃんと一緒で、決まって焙じ茶と甘いお菓子を頼む。

 それはありがたいのだが、一つ気になることがあった。

「またいるのだけど。あれって、あやかし」

「そうだね。あの男と縁があるのかな?」

 楠原が来る時、いつも庭の隅っこに女性が立っているのだ。艶のある長い黒髪。薄い青で模様が描かれた白い着物が似合う美人だ。

 楠原が帰ると消える。ただ遠くからじっと見守るだけで何もしない。初めの頃は永久も神経を尖らせて警戒していた。

「何もしないで見てるだけなら良いですが。命さんに近づく素振りを見せたら、燃やしておきますね」

 燃やすという永久の声が、ぞっとするような低音で、思わず命は震えた。

「だから燃やしちゃダメだって。そもそも何のあやかしなの?」

「さあ? 人型に化けるあやかしは色々いますし、近づいても来ないので、僕にもわかりません」

「……気になるなぁ」

「命さん。話しかけちゃだめですよ。危ないですからね」

「あれ、楠原さん、気づいてないよね」

「ないね。付喪神の声も聞こえてないし、あやかしが見えない人だよ」

「あやかしと縁があっても見えないのね」

「見る才能がないのか、縁が薄いのか。見えない方がいいと思うよ。変にあやかしに気に入られて襲われるより、ずっとまし」

 それでも命は気になった。ずっと楠原だけを見る視線が、まるで恋する乙女みたいに可愛らしくて。きっと話しかけたいんだろうと思うのだ。


「アカシアの花が綺麗だね。もしかして店の名前はあの花が由来なのかな?」

「そうです。アカシアの花が好きで」

 楠原に茶を出すついでに世間話をする。それは習慣になっていた。平日は客が少なく暇だから。

「でも『あかしや』はひらがなだし、最後はやなんだね」

「ああ……それは……」

 アカシアの花と、あやかしの二重の意味をこめている……などと言って良いものか迷った。それで無難な世間話にすり替える。

「私……実はあやかし小説が好きで。最近流行ってるんですよ。あやかしがいたら良いなと思って」

「あやかしか。うん。いたらいいね。アレもそうだったのかな……」

「アレ?」

「うん。子供の頃に不思議な女の人に会ったんだ。わたしの田舎も山の中でね。冬に道を歩いていたら着物の女の人が倒れてたんだ。白い着物に長い黒髪が綺麗でね」

 どきりとして庭先を見ると、女のあやかしが頬を赤くして、目を潤ませている。

「『暑い。涼しい所に行きたい』って言うんだ。冬にしては暑い日だけど、そこまで暑いかな? って不思議だったんだけどね。抱えて川に連れていってあげたの。そうしたら着物姿で川に入るから、びっくりしたよ」

「それはびっくりしますね」

「綺麗な大人の女性だと思ったのに、子供みたいにはしゃいで……面白い人だったな。その冬の間は何度も一緒に遊んだけど、夏になったらいなくなってね」

「次の冬に会えたんですか?」

「いや。わたしは夏の終わりに引っ越してしまったからそれっきりだよ。もう一度会ってみたかったな……恥ずかしながら、わたしの初恋なんだよ」

 楠原の声も、表情も穏やかで、幼い頃の想い出を語る姿は少年のようで、命は素直に「素敵ですね」と答えていた。目の前にその初恋の人がいますとは言えないが。

「さて、今日はそろそろ帰ろうか。ズンちゃんもお腹空いたかな?」

 ズンちゃんは元気よくお返事をする。楠原は代金を支払って立ち上がり、リードを外す。その間、ずっと女のあやかしが見とれているのが焦れったくて、命は我慢できなくなった。

 楠原が店を出るのと同じく、立ち去ろうとするあやかしに声をかける。

「貴女、さっきの楠原さんが言ってたあやかし?」

 あやかしは驚いたように目を丸くして、小首をかしげる。

「あんた、うちが見えるん?」

「実はずっと気になってた」

「嬉しいわぁ」

 ぱたぱたと駆けてきて、命にぎゅっと抱きつく。そこで永久が慌てて庭に飛び出してきた。妖狐の姿で、手には青い炎が見える。

「待って、永久。燃やしちゃダメ」

「燃やす……って、火!! いやぁ、溶けるぅ!!」

 あやかしが炎を恐れて、ぶるぶる震えて逃げだすと、永久は命の手をつかんだ。しぶしぶという感じで炎は消したが、あやかしをみすえる目は鋭い。低い声で問いかけた。

「お前は何のあやかしだ? 名前は?」

「うちは雪女。名前は氷雨……こ、これでいい? 燃やさへん?」

 びくびく震える氷雨を見て、命は納得する。

「なるほど……雪女なら夏の暑さに倒れるし、火は怖いわよね。永久。絶対に氷雨さん燃やしちゃダメだからね。もし燃やしたら、もう二度とプリン作ってあげない」

「それは嫌だ!」

 プリン禁止と言っただけで、まるでこの世の終わりのような悲壮さで「……燃やさない」と呟く。よほどプリンが食べたいらしい。

 氷雨を見ると涙目だ。

「もう火出さへんの?」

「ごめんね。驚かせて。氷雨さんは、いつも楠原さんと一緒にいるの」

「氷雨でええよ。ずーっと一緒なんよ。初めておうたとき、助けてくれて、一緒に川で遊んでくれて。とっても嬉しくて一目で好きになったんだわぁ」

「でも、楠原さん。見えてないわよね」

「関係あらへん。うちが好きで一緒にいるんやもん。とっても優しいし、笑顔が可愛いし、真面目で、面倒見が良くて、すっごく素敵な人なんよ」

 嬉しそうに語る氷雨は、初恋に舞い上がる少女のようだ。

「……それって楠原さんが子供の頃から?」

「うん。子供の頃、一時的にあやかしが見えることがあるんや。たぶん、そういう奇跡だったんよ」

「たった一度の奇跡で、ずっと一緒に?」

「あの夏、あの人にうた。でも夏の暑さに耐えきれなくて山に戻って。冬に戻ってきたらいなくなって。悲しくて悲しくて、ずーっと探したんよ。だから見つけたときは嬉しくて嬉しくて、もう離れへんって決めたんよ」

 両手を頬に当てて、恥ずかしげに微笑む姿がいじらしい。思わず命は氷雨をぎゅっと抱きしめた。

「恋する乙女は可愛いわね」

「ひゃぁ……びっくりするわ、あんさん。うち、あやかしなのに、こわぁないのん?」

「うちにはあやかしがたくさんいるもの。ねぇ」

 永久に問いかけると、何故か胸をはって答えた。

「たくさんいても、ペット兼従業員は僕だけだよ」

「従業員……? あやかしが働ける店なん? じゃあ、うちも働ける?」

「はぁ……? 何言ってるんだ!」

 しっぽをぶわっと太らせて怒る永久をなだめて、命は問いかける。

「どうしてうちで働きたいの」

「あの人ね、お茶好きなんよ。うちもお茶淹れてあげたいなぁ、思ってん。この店で働いたら、お茶、上手に淹れられるんちゃうかなぁ?」

「火を怖がるあやかしが、お茶を淹れられるわけないだろ」

 永久が真顔で告げると、今にも泣きそうなほど目を潤ませ、氷雨はぎゅっと着物を握りしめた。

「火は、使われへんけど、洗い物や掃除は得意やで。他の人間が見てない所で働けばええやろ」

「洗い物……それは助かるわね。平日はいいけど、土日は忙しくなるし。今まで作り置きメニューしか出せなかったけど、永久に接客と片付け、氷雨に洗い物を任せて、私は料理に専念すれば、もっと色んなメニューも出せるわね」

 氷雨は涙を引っ込めると、ぱーっと微笑んで手のひらを広げた。そこには氷が一粒。

「うち、雪だけやのうて、氷も出せるんよ。これ、役にたたへん? いつも最初に出す水に氷入れてるの、見てたんよ」

 命はひょいと氷をつまみあげると、ためらいもなく口に放り込んだ。

「命さん!」

 永久がぎょっとしたものの、命はのんびり氷を味わって微笑んだ。

「口溶け滑らかな天然水の氷の味がするわ。これは良いわね。これから夏になると、製氷機が間に合わないくらい氷を使うもの。皿洗い兼製氷機として、採用!」

「やったぁ!」

 ぴょんと跳ねて喜ぶ氷雨と対照的に、がっくり永久は肩を落とした。

「あやかしの従業員は、僕だけだったのに……」

「住み込みは永久だけだから」

「……僕以外、ぺっとにしちゃだめですよ。命さんのぺっとの座は譲りません」

 こだわりポイントそこなんだと、呆れながら命は頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る