ただいま

1話

「で? 一週間、あたしの家に泊まりたいと?」

「今、家に帰ると、過去の私に会ってしまうので。事情を知ってる榊先生の家に泊めてもらえないで……しょうか?」

 幽世かくりよから戻った命は、榊に全ての事情を説明した。あやかしについて相談できる人が他にいなかったから。命が一週間も過去に戻ったせいで、今の奥多摩には命が二人いる。一週間後に戻るまで、家に帰れない。

 盛大なため息と共に、ぺしりと命は頭を叩かれた。

「馬鹿な子だね。まったく。後先考えず。これじゃあ狐も心配して当然ってものですよ」

「弁解の余地もありません……」

「うちの家内が使っていた部屋と布団があります。勝手に使いなさい」

「いいんですか? ありがとうございます」

「これはツケですからね。後できっちり払わせるよ」

「はい。すみません。お茶くみでも何でもします」

「そういう後先考えない約束は止めなさい」

 ぴしゃりと怒られて、命は肩を落とした。まるで学校の先生に怒られているみたいだ。そういえば元大学の先生だった。

「しかし、まあ。タイムスリップなんて、SFみたいなこと、現実にあるとはねぇ……」

「そこは、榊先生に信じてもらえるか心配だったんですけど」

「そりゃぁ信じますよ。あかしやに行って、いつも通り嬢ちゃんのお茶飲んで帰ってきたら、嬢ちゃんが家で待ってるなんて、おかしいだろ。まったく。びっくりしましたよ」

「すみません」

 さっきから、何度謝ったか解らない。何度榊がため息をついたか解らない。

 一週間、料理や掃除など家事を手伝う約束をして、榊の家に居候することになった。

「あの……榊先生、パソコンを持ってましたよね。借りてもいいですか?」

「何をするんだい?」

「実は一週間……いまからだと二週間後に、スリランカに紅茶の買い付けに行く予定だったんです。ビザや飛行機のチケットは用意してたんですけど、細かい用意がまだで……」

「出発直前に慌ててやろうとしていたね」

 じろりと睨まれて、てへへと命は笑った。

「家に帰れなくてもやれることはあるし、一週間時間があるなら有効に使おうかと。色々買い出しも必要だから、立川まで行こうかな。時間もあるし新宿のハンズに行っても……」

「あたしは、あんたみたいに危なっかしい娘が海外旅行なんて大丈夫かと思うけどねぇ」

「あっ、それは大丈夫です。初めてじゃないし、一人じゃないので。お茶の師匠がいて、一緒に行くんです。買い付けって言っても、実際は師匠が全部やるのを、私は見学して勉強するだけなので」

「まあ……それなら。そのお師匠さんも、大変だねぇ。お前さんみたいな、娘っこの面倒見て」

「長い付き合いなんです。父の仕事仲間だった人だから、子供の頃から知り合いで」

「なるほど……それはそれは、年期の入った保護者ってことですか」

「榊先生にスリランカ土産、買ってきましょうか?」

「あたしには、これだけで、十分です」

 そう言って、万年筆を取り出した。確かに、これ以上の土産はない。

 そこへ鈴がぴょいと部屋に入ってきて、驚いたように目を丸くする。

「あれー? なんで命がうちにいるの?」

「どこ、ほっつき歩いてたんだい。鈴。どうせ余所で飯でもいただいて来たんだろ。今日は飯抜きでもいいかね」

「いやぁ! 爺ちゃん。ごはんちょうだい」

 からから笑いながら、鈴を抱っこする。

「先生。私、永久の過去を詮索するの、辞めようと思ってるんです」

「どうしたんだい、急に」

「永久が私を大切にしてくれてるのがわかったので。話さないのは、きっと私のためなんだなと思って。だから永久から話してくれるまで待つことにします」

 榊はからかいの笑みを消して鈴を撫でた。

「お前さんは、いい女になるよ」

「もう、いい年をした女ですよ。三十も近いし」

「三十なんて、子供子供、まだ尻が青いガキですよ」

 カラカラ笑った後、榊は言い足した。

「お前さんがどうするかは自由だ。あたしも、勝手に研究するよ」

「研究って……永久をですか? まさか解剖とか?」

「民俗学者をなんだと思ってるんだい。聞き取り調査、文献探し、そういう地道な研究に決まってるだろ」

「すっ、すみません」

「狐の過去も、その神社も。学者として気になるのさ。まあ、焦るものでもない。のんびりやりますよ」

 榊の膝の上で丸くなっていた鈴が鳴く。

「やっぱり、爺ちゃんはあやかしの先生だ」

「煩い。バカ猫。おしゃべり娘」

 鈴と話す榊は、命と話していた時よりも柔らかく、とても家族らしい。命も永久とそういう関係になりたい。そう思った。


 一週間後、命は久しぶりに家に帰った。

「ただいま」

「お帰りなさい。命さん」

 命の持っていた荷物を持とうと永久は手を差し出す。

「今、私はここにいないわよね。氷雨も?」

「二人とも幽世かくりよから過去に行ってるよ」

「……それが不思議なのよね。だって、ズンちゃんは生きてるでしょう?」

 榊から聞いたのだが、御嶽神社に行った次の日、ズンちゃんを医者に診せたら悪性の腫瘍が見つかり、すぐに手術となったらしい。今も入院中だが生きている。

「あの日。御嶽神社に命さんと出かけたから、病院に行って、それで生き残った。命さんが過去に行かないと死んでしまう」

「でも生きてるなら、過去に行く理由がない。矛盾するわよね」

「時間を遡って過去を改ざんすると、どうしても歪みが生まれる。そこは上手く調整するんだ。『御嶽神社に行った命さん』なんて、心あたりなくてこっちの命さん驚いてたよ」

「……ああ、そうか。だから今を変えるために、また過去に行かないととなる」

「それが運命さだめだよ」

 命は御嶽神社で見た、犬形代の黒ずみについて永久に話す。

「あの御利益でズンちゃんは命拾いしたのかな。それとも病院に行ったからかな」

「さあ? どっちだろうね。どちらであっても、死ぬ定めが生き残った。それは変わらないよ。例え寿命が多少延びたとしても、そう先は長くない」

「……ズンちゃん年寄りだもんね。あんなに可愛いのに」

 ポメラニアンは見た目が幼いから、老犬に見えない。でも御嶽神社の帰りにぐったりした姿を見たら、やっぱり年寄りだと実感した。

 きっと自分も、いつか永久を置いて死ぬのだろう。そう命は思った。

「私は長生きするね」

「そうだと嬉しいな。僕も命さんが生きてる間、ずっと側にいて守るからね。命さんは僕のご主人様だから」

 しっぽをふりふりしてる姿は、まるで犬のようだけれど、命はもう永久をただのペットと思えなかった。

 けれど、それではどういう関係かと聞かれると困る。

 しいて言うなら「家族」なのだろう。



 ズンちゃんが入院中の楠原さんは、縁側から店内へよく遊びに来ていた。

「いま、氷雨さんが見えてないんですか?」

「それが不思議なんですけどね。彼女のお茶を飲んで少しの間しか見えないんです」

 楠原さんが焙じ茶をすすってのんびりしてる後ろで、氷雨はきゃっきゃとはしゃぐ。

「もうねぇ、うちの旦那様、可愛くて、優しくて、最高なんよ」

「わたしは女性に縁がないおじさんなんで、あんな綺麗な人とずっと一緒にいるのは、緊張してしまって。少しづつ慣れるためにも、今は一日一回でいいんです」

「うぶなところも可愛いやろ。なあ」

 この声も聞こえない。氷雨が楠原にぎゅうぎゅう抱きついてるのも見えない。それで良かったかもしれない。いきなりこんな熱烈ラブコールを見せられたら、楠原さんの心臓が持たなさそうだ。

 永久は氷雨の声を無視して、問いかける。

「まだ、あやかしとの縁が薄いのかもしれない。もう何十年も話してなかったでしょ?」

「そうですね。わたしは子供のころ以来です。彼女がずっと側にいただなんてびっくりしました」

 恥ずかしそうに笑いながら、スケッチブックを取り出した。

「わたしは風景画が専門で、人物画は苦手だけど、彼女を描いてみたくて。これはまだラフなんですが……」

 おずおずと差し出されて、命が開いてみると、氷雨が描かれていた。鉛筆だけの簡素ながら、淡く儚い繊細な美がよく描けている。

「綺麗ですね」

 こんなお淑やかじゃないですよ、という言葉を命は飲み込んだ。

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