7話
ケーブルカーの外側は七色に彩られていた。階段型で、最下部に『ペット共有エリア』がある。大型犬とポメラニアンのズンちゃんは、大人しくケーブルカーに乗り込んだ。
「わざわざ用意するくらい、犬連れの人が多いんですね」
「上りは最下段、下りは最上段がペット共有エリア何ですよ」
発車のベルが鳴り、ケーブルカーは出発した。二十二度という急角度でぐんぐん登っていく。下を見下ろすとあっという間に地上を離れ、天空へ登っていくようだ。
『標高八三一メートル。スカイツリーの高さを超えて御岳山口駅に到着します』
アナウンスが流れて、改めてその高さに命は驚く。ケーブルカーの旅はわずか六分で終わった。
駅を出て右手に展望台があった。周囲を見渡すと眼下に山が連なる。いつもは見上げている山々を見下ろして、より旅行気分になった。
「天気がいいと東京タワーやスカイツリーも見えるんですよ」
「そう聞くと奥多摩って、東京だったんだなって思いますね」
山の中で生活していると、つい奥多摩も東京だというのを忘れがちだ。
展望台で一休みしてから御嶽神社へ向かう。キャリーバッグは命が抱え、楠原さんがズンちゃんのリードを持ち、二人と一匹は歩き出す。
『歓迎 御嶽神社参道』と書かれたアーチを潜ると、舗装された小径へ続いていた。右側に山肌が、左側には木々が生えた急斜面。木々の合間から山々が見える。緑に囲まれた道は、森林浴のようで気分も良かった。平坦だし、舗装されてるし、とても歩きやすい。
「ここまでは楽なんですけどね」
「この先ですか」
「ええ、そろそろ天空の集落・
小径を抜けて右に曲がると、狭い道の両側に家が並ぶ住宅街に入り込む。住宅街といっても、どこか田舎の風情を感じるのは平屋が多いせいかもしれない。
ただの住宅街ではないのは、あちこちに『宿坊』や『お休み所』という看板が出ているからだ。宿坊街に入ったら、急に道はアップダウンが激しくなってきた。
「宿坊って、泊まれるんですよね」
「ええ。今でも旅行する人は多いですよ」
「え? あの茅葺き屋根の家、凄い古めかしいけど、ここも宿坊なんですか?」
「ここは東京都有形文化財に指定されていますね。宿泊だけじゃなくて、お茶もできますよ。犬を連れては入れませんが」
それは残念だ。でも小さい体で頑張って歩くズンちゃんをおいていけない。
宿坊街を抜けると今度は、急な坂道に行き着く。あまりに急すぎて脇に階段があるくらいだ。幸い道路は舗装されている。
「ここは……大変ですね。たまに見えるお休み所に、誘惑されます」
「お茶と甘味で、ちょっと休憩したくなりますよね」
楠原さんも息があがり、ズンちゃんの足も遅くなる。ゆっくりゆっくり登って、見上げると大きな木の根っこが見えてきた。
「あそこを曲がると御嶽神社の門前町ですよ」
「もう少しで神社っていうわけですね。頑張りましょう」
「……ええ、まあ」
命は意気揚々と道を曲がって門前町に入る。土産物屋や食堂が並ぶ道の先に、石造りの鳥居が見えた。鳥居の向こうに階段がある。
「着いた!」
「まだまだですよ」
鳥居の左にある
「……なるほど。まだまだ上りは続くと」
「ええ。山道を登った所で、この長い階段はキツいですよね。ちょっと休みましょう」
階段の途中、踊り場にベンチが設置されている。山登りに疲れた人用なのだろう。山の上のベンチに座ると、見晴らしが良く広がり、山並みが綺麗に見えた。
命はお茶パックに詰めた茶葉と水筒を取り出して、お茶を淹れ始める。
「水筒にお茶パックを淹れるだけなのですか?」
「あらかじめ、このお湯の量に合わせて茶葉を計ってます。時間的にも湯温がちょうどよく冷めてる頃合いです」
「温度まで計算している。流石ですね」
時計で蒸らし時間を確認し、用意してきたプラスチックのマグ二つに注ぐ。山の上は涼しいから、マグから伝わる温もりがありがたい。
湯気が立ち上るお茶を一口飲んで、楠原は目を細めた。
「ああ……煎茶を飲むのは久しぶりですが、美味しいですね」
「古くなってなかったですね。保管状態が良かったからですよ。楠原さん。家に帰ったら冷たいお茶を淹れますから、飲んで貰えませんか?」
「一日に何度も飲んで大丈夫かな? 実は胃が弱くて、カフェインを控えてたんですよ」
嫌いなわけではなく、健康を考えての焙じ茶だったと知って命は納得した。
「確かにカフェインのとりすぎは体に悪いですが、たまに少しだけなら良いこともあるのですよ」
「そうなんですか?」
「カフェインには疲労回復効果もあって、山登りで疲れた身体に元気を貰えます」
「たしかに。このお茶を飲んだら疲れが吹き飛んだ気がします」
お茶を飲んで嬉しそうに笑う楠原へ、命は言葉を続ける。
「カフェインは低温で淹れるとほとんど抽出されないんです。氷水で出すお茶なら安心して飲めますよ」
「それはいい。これから夏が始まりますから、そうやって飲もうかな」
お茶を飲んで休憩したところで、また階段を上り始めた。ズンちゃんは、一歩一歩頑張って階段を上る。
「ズンちゃん。疲れてるのかな」
「下りはキャリーバッグに入れて、私が運びますよ」
「ありがとうございます。いつも元気に見えたけど、やっぱり年なのかな。それともどこか具合が悪いのかも。犬って喋れないから、病気がわかりにくいんですよね」
「一度、病院行ってみたほうが良いかもしれませんね」
「明日、行ってみます」
もし病院で病気が見つかって、治療して貰えたら。一週間後に死ぬ運命は変えられるだろうか?
長い階段を上りきり、鳥居をくぐると本殿に辿り着いた。お賽銭をいれて、二礼二拍手一礼で神様にご挨拶。命はズンちゃんが元気になりますようにと強く願った。
その後左手側にある社務所へ向かう。御守りやおみくじがあり、中にはペットの健康を願う御守りもあった。
「ペットの御守り……いや、永久に買って帰るのは、何か違う気がする」
命がどの御守りを買おうか迷ってるうちに、ペット祈祷の準備が整ったらしい。
着物姿の神主が、ズンちゃんに向かって
それが終わると白い紙の『犬形代』を受け取った楠原が、ズンちゃんの体を拭く。
命には白い紙が少しづつ黒ずんでいくように見えた。
「その形代、汚れてます?」
「え? 白いですよね?」
楠原が首を傾げる。紙が黒く見えるのは命だけだなのだ。永久が死期の近い動物には黒い影が見えると言っていた。そういう悪い物が犬形代で清められているのかもしれない。
帰りは命と楠原が交代で、ズンちゃんを入れたキャリーバッグを抱え、下り道を行く。これは楠原一人では厳しいかも知れない。
ケーブルカーに乗り、バスに乗り、電車に乗って、楠原の家につく頃には、空を夕焼けが染めていた。
「楠原さん、良かったら縁側でお茶飲みませんか」
「良いですね。あかしやみたいで」
楠原がズンちゃんを家に寝かせて道具をしまう間に、命は氷雨に話しかける。
「大丈夫?」
「休んだから、もう平気や。それより、どうしよ。うちのお茶、美味しいっていうてくれるやろか?」
「心配いらないわよ。絶対美味しいって言って貰えるから」
健康を気にして焙じ茶しか飲まなかったこと。氷出しの緑茶はカフェインが少ないから健康に良いことを説明すると、氷雨は嬉しそうに笑った。
「あの人の健康に気遣って、長生きしてくれるのは、ええね。うち、もっと、ずっと、あの人と一緒にいたいわ」
楠原が縁側に座ったのを見て、氷雨から湯飲みを受け取って命が運ぶ。氷雨は庭に降りて楠原の前に立った。祈るように両手を合わせてじっと見守っている。
「楠原さん、どうぞ」
「いや、これはありがとうございます。いただきます」
夕焼けが照らす縁側で、楠原が茶を飲むのを、氷雨はじっと見守った。ゆっくりじっくり味わって、楠原は目を瞑る。
「いや……冷たいお茶というのも美味しい物ですね……」
そう言いながら、目をあけたときだった。楠原は驚いたように目を見開く。
「貴女は……?」
楠原は氷雨をじっと見ている。氷雨は驚き、思わず涙ぐみながら微笑んだ。
「うちが見えるん? 覚えてる? うち、昔会ったんよ」
「ああ……貴女は何も変わらない。やっぱりあやかしだったんですねぇ」
しみじみと呟く楠原に命は驚いた。氷雨の存在をすんなり受け入れるなんて器が広い。
「そのお茶、本当は彼女が淹れてくれたんですよ」
「そうですか。ありがとうございます」
「美味しかったんやったら、ええんよ」
楠原は立ち上がって、泣きだした氷雨に手を伸ばす。良い雰囲気を邪魔してはいけないと、命は家を出た。
「まさか……あやかしが見えるようになるなんて。お茶のおかげで、縁が深まったのかしら?」
氷雨の念願が叶って良かったと、命が微笑んだときだった。
「命さん」
背後から声をかけられ、命が振り返ると、そこには大きな狐姿の永久がいた。
「永久……いつからそこに?」
「命さんは店にいるのに、もう一つ気配を感じて。おかしいと思ったんだ」
一歩、一歩、ゆっくり命に近づく。狐の姿だから表情が解らないが、声音は怒っているように聞こえた。
「君は、未来からやってきた命さんだね。
「ご、ごめんなさい。永久に内緒で悪かったけど、色々事情があって……」
「僕との約束を破ったんだ。命さん」
後ろめたさでじりじりと下がりかけた命へ、いきなり永久が飛びついて大きな口を開けた。
まさか怒って食べられる? 命が恐怖で身をすくませて目を瞑ると、永久は命の襟を咥えて、宙へ放り投げた。ふわっと浮いたかと思うと、そのまま永久の背中に落ちる。
「え?」
命がしがみつくと、永久は駆けだした。
「ちょっと、待って、どこ行くの? 怒ってる?」
命が問いかけても永久は返事をしなかった。
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