6話
それから榊は、平日のあかしやに頻繁に通ってきた。本、ノート、パソコンまで持ち込んで、まるで書斎のようだ。
「パソコン使うんですか」
「そりゃぁ原稿書くのに、今時手書きはないですよ」
「Wi-Fi使います? 実はフリーWi-Fi用意してあるんですけど、今まで誰も使う人がいなくて」
「Wi-Fi使えるのかい? いやー実に良いね。これでメールもネットの調べ物もはかどるよ。これだけ茶の種類があれば飽きないしねぇ。今日は日本茶の気分だから、何かお勧めを頼むよ」
にこにこと機嫌良くお茶を頼んでパソコンを開く。命は頻繁に来るのなら、色んなお茶を楽しんで、お気に入りを探して貰おうと、気合いをいれてお茶を選び出す。
「ありがとうございました」
榊以外の客が帰った所で、永久はさっとテーブルを片付ける。命は冷蔵庫の在庫をチェックした。
「永久。もう今日は他のお客さん来ないと思うし、買い出し行ってくれる? 卵が切れてるの」
「……はい」
榊をちらりと見て、不本意だという顔をした。どうにも二人は仲が悪い。それでも永久は大人しく店を出た。
「いやぁ……警戒されたもんだねぇ」
「榊先生があまりからかうからですよ。ほどほどにしてくださいね」
「ああ、そうだねぇ……しかし、この店、全然客が来ないが、大丈夫なのかい?」
「平日はどうしても少ないんです。土日はそこそこ来てくれるので、それだけでもいいかなと」
「そんなんで店が続くのかい? あたしはここが気に入ったから、潰れたら困るんだよ」
「家賃は0だし、生活費も私の分だけで良いようなものだし、後は光熱費と材料費くらいですが、それはこっちで賄えるので」
そう言って命はタブレットをささっと動かして見せた。そこにはあかしやのホームページがある。
「ウェブショップ。茶葉の通信販売かい?」
「はい。平日は通販業務メインで、むしろ空いてる方が仕事がはかどります。この家は二人で住んでもまだ部屋が余ってますし、茶葉の在庫を保管するのに困りませんから」
「つまり、茶葉の通販がメインの稼ぎで、店はそのついでと」
「私としては、店の方が重要なんですけど。のんびり楽しく続けられればいいなと」
「案外しっかりしてるんだねぇ。安心したよ」
そう言いつつ、榊は店内を見渡した。
「しかし、この店もへんな作りだね。なんで囲炉裏の側に大黒柱があるんだい。燃えるだろう」
「永久の狐火しか炊かないから、燃えないんです」
「あの狐が火をつける前提で、家を建てたのかい?」
「永久のために建てた家らしいですよ」
命は
「昔、父が言ってたマヨヒガって、
命が父の思い出話から失踪まで語ると、榊は難しい顔で答えた。
「マヨヒガ……
「ご神木を切り倒すって、凄い罰当たりですよね」
「いや、誰もいかなくなって廃れた神社なんだろうし、それは良いんだがね。ご神木で家を作って呼び寄せて住んでもらうなんて、まるで神様をお呼びしたようじゃないか。あの狐が神様ってのは、どうにも座りが悪い」
「……神様?」
「狐は神社に住んでたんだろ?」
「稲荷神社だし、神様の使いの狐だったのかと思ってました」
「まあ、その可能性もあるわなぁ……でも稲荷神社ってのがね」
「何かおかしいんですか?」
ノートパソコンを閉じて、本をぺらりとめくる。奥多摩の郷土資料らしく、命も図書館で見かけたが、内容が難しすぎて読めなかった本だ。
「今でこそ稲荷神社はそこら辺にたくさんあるけど、こんなに流行ったのは江戸くらいなんですよ。だから『後から来た』っていうなら、たぶん江戸期にくわわったんでしょう。その前から神社にいた神様は、誰だろうね。ご神木を奉ってたっていうけれど、何の神様か聞いたかい?」
「いえ……そこは解りませんね」
「奥多摩にも稲荷神社はいくつかあるが、山岳信仰が盛んな土地ですから、大きな所だと修験道に縁がある神様も多い。武蔵御嶽神社は蔵王権現ですしね」
「御嶽神社、一度行ってみたいんですけど、まだ行ってないんですよね」
青梅駅と奥多摩駅の間を走る奥多摩線沿いに御嶽駅がある。そこからバスとロープウェイを乗り継いで、山の上まで登ると武蔵御嶽神社だ。
「あたしがその神社に行って見たら、何の神様を奉ってるか解るかもしれないけど、
「気になりますか」
「職業病だよ」
ぱたんと本を閉じて、何か考えたかと思うと、唐突に笑った。
「お嬢ちゃんの名前、たしか『命』と書いて『みこと』って読むんだよねぇ?」
「はい。そうですね」
「だったら、お前さんが神様で、あの狐が神の使いってのも面白いや」
「は? 私が神様?」
「だってそうだろう。日本の神様はたいてい何々の
「いやいやいや、だからって神様って」
「ご神木でできた神社に住んで、狐の従者を従えて。神様が淹れてくれる茶が飲める。いやぁ、これは縁起が良いねぇ」
完全にからかわれてるなと、命はため息をついて諦めた。
もしも、神様がいるとしたら、それは『とうこ』なのではないか。そう命は思った。永久は今もとうこを想い続けている。まるで信仰みたいだ。
「なんで、私を主人だというのかも、よく解らないんですけどね」
「解らないって、そんな怪しいヤツと一緒に住んでるのかい?」
「害はないし、店を手伝ってくれるのは助かるし、一緒にいて楽しいし、まいっか」
そう口にして、永久の言葉を想い出す。
――命さんの『まいっか』は大切な物を諦める言葉じゃない?
何度も突き刺さる言葉。まだ命は、永久を心の底から信頼できない。
信頼しきれなくて不安だから、前の主人を知りたがった。けれど結局踏み込む勇気が持てなくて、永久が何かを隠しているのは解っていても聞けない。
ついうつむいて暗い顔をしてしまう命へ、榊は優しく話しかける。
「……お前さんがそれでいいなら、あたしが言うことはないですけどね。まあ、何か言いたいことがあるなら、話を聞くくらいはしますよ。この店で茶を飲む時間はいくらでもあるんですから」
「……ありがとうございます」
湯飲みのお茶を飲みきって、榊はにこりと笑った。
「おかわり。とびっきりのお茶を出しとくれ。お茶バカ娘」
「お茶バカって酷いですよ」
からからと笑う榊の冗談に、命の心は軽くなる気がした。
空を夕暮れが包む頃、黒猫の鈴がするりと店内に入ってきた。
「爺ちゃん、帰ろう! ご飯、ご飯、鮭ちょうだーい」
「はいはい、お前さんは、ご飯か鮭しか言えないのかい」
文句を言いつつも、榊の表情は楽しげだ。広げた資料やパソコンをしまって、会計をして鈴と榊を店を出た。
空いたテーブルを永久が丁寧に拭いている。その表情は何か思い詰めてるようだった。
「永久。玄関を閉めてきてくれる」
「はい。……命さん」
布巾をぎゅっと握りしめて、永久は命をまっすぐに見つめた。
「あやかしの先生が欲しいんですか?」
「へ? どうして?」
「だって……あの爺さんと話すの、楽しそうだから。僕が買い物に行ってる間も色々話してたでしょ」
「ええ……まあ。でも、それはお客さんとの世間話というか……あやかしの話ができる人も珍しいし」
永久はずいっと身を乗り出して、命に触れそうな距離までやってくる。
「僕が、あやかしの先生になる」
「え?」
「命さんは、僕にお茶のことを教えてくれる。お茶の先生だ」
「先生ってほどでもないけど……お茶の話しを聞いてくれるのは嬉しいわね」
「だったら、僕はあやかしの先生になって、命さんにあやかしの話をするよ」
対等な関係で、互いに先生になる。それは悪くないと命は想った。
「解った。じゃあ、永久は私のあやかしの先生ね」
「はい。指切りしましょう」
にこにこと小指を差し出す永久を見て、命は笑いながら小指を絡めた。
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