5話
日が傾きかけ、そろそろ店じまいをしようかという頃に、鈴が人間の姿でやってきた。
「いらっしゃい。鈴ちゃん」
「今日は客?」
永久が疑わしい目で見ると、鈴は無言で風呂敷包みをぐいぐいと押しだす。
『頂き物ですが、食べきれないのでお裾分けです。榊』
「あら、ありがとう。今日は先生が一緒じゃないのね」
鈴は困ったように店の中を見渡した。客は誰もいないと確認した所で、ぴょんと跳んで黒猫の姿になる。
「爺ちゃんは、編集さんと打ち合わせ。飲んでくるから帰りは遅いんだって」
「編集さん。本を出してるって言ってたわね。ところで、どうして猫の姿になったの?」
「あたい、力が弱いから、人間に化けてる間はそれで精一杯で、喋れなくなるんだ」
「あやかしって力の差があるの?」
命が永久に問いかけると、顎に手を置いて悩むように答える。
「そもそも、あやかしは
「ないわね」
「見えない、存在しない。だから何もできない。普通の人間にはその程度。でも、命さんみたいにあやかしが見えるようになってしまうと危ない」
「どうして」
「見えるから、声に騙される。襲われる。
そう言いながら、注文用紙を裏返して線を引き、それぞれに『
「元々あやかしが見える素質があった人間が、あやかしと縁を結ぶと見えるようになる。縁ができたあやかしもまた、それまでより強い力を持つことがある。いつから猫又になったんだ?」
永久が問いかけると、鈴は毛繕いしながら答えた。
「ん……二年前、くらいかな? 猫又になるまでは、人間の言葉も喋れない、人型に化けることもできない、ただの猫だった。今だって他にできることない」
「榊先生はあやかしが見える人だったの?」
「うんとね。あたいが猫又になってからだって。最初は爺ちゃんびっくりしてた」
ある日突然、鈴が人間の言葉をしゃべり出し、他のあやかしも見えるようになった。
「私はあまりあやかしを見ないけど……」
「この家の結界もあるし、僕が守って、命さんに近づけさせない」
「相変わらず、あやかしが関わると過保護ねぇ」
黒猫の鈴が、命の足にすりより、甘えたように泣く。
「鮭ちょうだーい」
「ふふっ。本当に鮭好きね」
余った鮭の切り身を小皿に乗せて差し出すと、凄い勢いでがっついて食べる。それが可愛いから、命はしゃがみこんでついつい眺めてしまう。
「ごちそうさま。あっ……命、それ綺麗」
鈴がじっと見る先には狐の玉の簪があった。
「これ? 永久に貰ったの」
「そんな綺麗な石もあるんだ……。女の人は綺麗な石が好きだね。婆ちゃんも好きだった」
「婆ちゃんって、榊先生の奥さん?」
「そう。最初にあたいを拾ってくれたのは、婆ちゃんだよ。爺ちゃん、最初は猫なんて嫌いだって、あたいのこと避けてた」
鈴を可愛がる榊の姿からは想像もつかないが、ちょっとひねくれた榊に似合ってる。
「婆ちゃんの首輪についてる石と、爺ちゃんの万年筆の石は、元々一つの石だったんだって。それを割ったからお揃いだって」
「へー。あの万年筆そういうものだったんだ。それはお洒落なお揃いね。でもずいぶん変わってる。アクセサリーで揃えないのね」
「爺ちゃん、指輪とか嫌いだし、着物しか着ないからって婆ちゃん言ってた」
「ああ……そうか。スーツなら、ネクタイピンやカフスボタンにもできるものね」
そこまで言って気づいた。つまり既製品を買ったのではなく、二人のためにオーダーメイドで作られたものではないか。
「……お茶、わかったかも」
命はにやりと笑った。
翌日、榊が人間の鈴を連れて店にやってきた。
「今日は人型なのね」
「あたしと一緒に外出する時は、できるだけ人に化けるように言ってるんだよ。猫に話しかける怪しい人間になりたくないからねぇ。それで、もうお茶がわかったのかい?」
「ええ。今入れますね。元々候補はすぐに絞れたんです」
ヤカンに水道水を入れ火にかける。ポットを出しながら説明を続けた。
「『フレーバーティーじゃないと、作った人に聞いた』これは生産者と直接話をしたということです。店で買ったなら店員とですからね。つまり産地に行ったときに聞いたんじゃないかと思いました」
「そんな一言で……。ぼやぼやしてる風に見えるのに、案外鋭いねぇ」
褒め言葉と解釈して、にっこり笑った命が二本指をたてる。
「フレーバーティーではないのに、お茶とは思えない香りがした。そんな個性がある産地は数が少ないです。スリランカのウヴァ、中国のキームンかラプサンスーチョン。ラプサンスーチョンは松の木で燻して作るのがフレーバーティーに当たると解釈する場合があるので省きました」
そこまではすぐに思いついた。後はウヴァかキームンか、二つに一つ。
温めたポットに茶葉を入れ、お湯を注いで保温し蒸らす。その過程に迷いはなかった。カップに注いで榊に出すと、香りを嗅いだだけで榊の表情が変わった。
「この香り……」
「正解ですか。こちらスリランカのウヴァです。冷めないうちに、どうぞ。召し上がれ」
強烈な爽やかさを漂わせるウヴァを一口飲んで、榊はにこりと笑った。
「これだ、これ。湿布みたいなすーっっとした香り。でも味はしっかりお茶の味がして、飲み応えがある。……懐かしい」
しみじみと味わってカップを置き、命に問いかけた。
「何でわかったんだい」
「奥様のネックレスと万年筆は、お揃いのサファイアで作ったと鈴ちゃんに聞いて」
榊は鈴を睨んで「おしゃべり猫め」と小言を言った。
「石から買って、お揃いで作るというのは日本ではなかなかやらないと思うんです。でも先に石だけ買う理由があって、それを分けて作るならありえるなと」
ウヴァの茶葉を入れた袋を手に取り「スリランカ」の文字をなぞった。
「スリランカは紅茶の国であり、同時に宝石の国でもあります。旅行の土産に宝石を買う人も多い。お二人のサファイアも旅の想い出じゃないかと思ったんです」
「……負けました。まさか、こんな簡単に長年の謎が解けるなんてねぇ……」
一口一口、榊はじっくり味わって、懐かしそうに目を細めた。
「スリランカで色んな物を見ましたよ。海も綺麗で、野生動物もたくさんいて、カレーの種類が多くて、豪華な寺に行ったり、高い岩山の上に登ったり」
「シーギリヤロックまで行ったんですか? あそこ登るの大変ですよね」
「ええ。あまりに急な階段が続くから途中で音を上げそうでしたよ。海外旅行なんてほとんどしなかったから、何もかも新鮮で。でもね……何年も経って旅の想い出を語り合うとき、いつも最後に『あのびっくりする紅茶がまた飲みたい』って言い合ったものですよ」
何年経ってもウヴァの香りだけは強烈に残って、いつまでも色あせない想い出になった。そこで榊は小さくため息をつく。
「でもねぇ。ウヴァって書いてある茶を買っても、この香りがしないんですよ。何が違うか解りませんが」
「ウヴァというのは地名です。ウヴァでとれるお茶は色んな種類があるので、ただ『ウヴァ』という名前だけで探すと難しいかもしれませんね」
命は裏からいくつもウヴァの茶を持ってきて並べた。
「スリランカは一年中紅茶がとれる国です。でも一年の中で一番良い物がとれるクオリティシーズンがあって、それは産地によって異なります」
「地域毎に違うのかい?」
「はい。ウヴァの場合は七月から九月頃。その時期のごく一部の農園でこういう香りのお茶が生まれます。メンソールのような爽やかな香りのウヴァは非常に人気で、ちょっと高価です」
「はぁ……そんな珍しいのかい」
「ちょっと紅茶に詳しい人なら知ってるくらい、有名なんですけどね」
榊に出したのと違うウヴァを淹れてみせる。飲み比べて永久はううんと唸った。
「どれも赤い色が綺麗だね」
「ウヴァは色が赤いことも特徴ね」
「このめんそーるという香り、ちょっと苦手。こっちの香りが強くない方が、僕は好きだな。味もしっかりして、香りも穏やかだ」
「好みは人それぞれ。好きなものを楽しむのが一番よね。この強烈な香りは、毎日飲むより、たまに飲みたくなる中毒性がある気がするわ」
お茶を飲みきって、榊はガラス戸の向こうの庭を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「あの人が生きてる間に、二人でまた飲みたかったねぇ」
その横顔は、とうこの話をする永久に似ていた。死んでしまった大切な人を想うとき、皆同じような顔をするのかもしれない。
「この香りを嗅ぐとあの旅のこと色々想い出すねぇ」
悔しさを滲ませながら、どこかすっきりとした顔で榊は命を見た。
「嬢ちゃんの勝ちだ。あの本を読んでやるよ」
「……そのことなんですけど、やっぱり良いです。永久に話を聞くので。でも、あの本が榊先生の役に立つなら嬉しいので、研究で使わなくなったら、返していただければ」
「そうかい。お前さんがそういうなら、しばらく預からせてもらうよ。奥多摩に住んでた人間の日常記録は興味深いからねぇ」
そう言いつつ、何故か永久へ視線を移す。
「狐。お前の前のご主人様の本、あたしが預かるよ」
「僕の名前は永久だよ」
「狐で十分。鈴以外のあやかしと馴れ合う気はないね」
「……ふーん。ならいいよ。だったら僕も名前で呼ばない。爺さん」
永久の拗ねたような返しが気に入ったのか、榊はからからと笑ってみせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます