4話
榊達が帰ったあと店を閉めるまで、永久は不機嫌そうに一言も口を開かない。
「怒ってる? あの本を読もうとしたから」
「僕の主人は命さんです。前の人のことなんて、知らなくても良いのに」
「でも、その人がいたから永久と出会えたんでしょ。そう思ったら知りたいじゃない。勝負を挑まれたのも燃えるしね」
「勝負? あの無茶ぶりな謎かけが?」
「お茶に関する挑戦よ、楽しいじゃない。それにもう二択まで絞れてる。二つに一つの賭けにでるのは怖いから、もう一つ決めてが欲しいけど」
「あれだけでそこまで絞れるの?」
「フレーバーティーじゃなくて、お茶とは思えない香りとなるとそう多くない。永久が教えてくれないなら、榊先生にあの本読んでもらうわ」
永久ははぁーっと盛大にため息をついて、肩を落とした。
「……しかたがない。少しだけ話をするよ。だからそれで満足して、あれを読もうとしないで」
永久があまりにしょんぼりしてるので、命も折れた。
「わかった。永久から話してくれるのが嬉しいし、榊先生には聞かない。でも、勝負は止めないわよ」
「じゃあ、夜の散歩に出かけよう」
そう言って永久は廊下を歩き出す。玄関は逆方向なのにおかしいなと思っていると、廊下の途中で立ち止まった。そこには引き戸が一つあった。
「この先へ」
「え? ちょっと待って。これ飾り扉じゃないの? だってこの向こうは庭だし、外から見ても扉はないわよ」
「この扉は普通じゃないんだ」
そう言いながら引き戸を開くと、夜の奥多摩が見えた。しかし似ているようでどこか違う。
「この先は
靴を持ってきて命に履かせると、手をとって外へ歩き出す。
月夜の空は、群青にも紫紺にも見える。揺らめくようにゆっくりと色を変える空が、不思議で美しく、命は思わず見とれてしまった。
「上ばかり見てると危ないよ。ほら」
永久がぐいと手を引いて指し示す。木々の合間の闇に、ぎょろりと目が見える。耳を澄ますと荒い息が聞こえ、命は多くの気配を感じた。
「……なに、これ。もしかしてあやかし?」
「ここはあやかしの世界だからね。人間は珍しいし、美味しそうにみえるんだよ。僕がいる限り、手出しさせないけど」
「……私一人になったら、食べられる?」
「あっという間にばくっ」
手で軽く頭を掴まれて、命は震えた。闇の中に隠れ潜む視線には、敵意を感じる。
「だから
「わっ……わかった。永久と一緒に」
「じゃあ、行こうか」
そう言って永久は手を離した。ぱんと手を合わせると、永久の体から小さな光の泡が立ち、みるみるうちに姿を変え、大きな白い狐の姿になる。
「わあ! もふもふ形態」
「命さん。背中に乗って」
「乗っていいの?」
「ちょっと遠出するから、その方が早い」
地面に伏せてくれたので、背中に乗るとふわふわの毛並みに埋もれた。
「うわぁ……物語の世界みたい。動物の背に乗るの、子供の頃から夢だったのよね」
「しっかり摑まっててね。走るよ」
注意されて、命は前屈みになって永久に抱きつく。それを確認してから、永久は走りだした。
夜を駆ける。景色がぐんぐん変わっていく。予想以上の早さに、振り落とされないように命はしがみついた。
まだ、それは助走だった。永久は思い切って地面を蹴って、峡谷の真上へと勢いよく飛び出す。
「ちょっと待って、落ちる!!」
「大丈夫。ちょっと跳ぶだけ」
大きく跳躍した永久は、命を乗せて空を跳ぶ。ふわりと浮遊感を感じる間に、向こう岸へとつき、だんっと飛び降りた。
今落ちたら、川に流されていたのでは? と思うと命の心臓はばくばく跳ねる。
「もうちょっと、落ち着いた道はいけないの?」
「行先が遠いんだ。
木々の合間を抜けて、山の上の方へと登っていく。
命は木々をよく観察して気づいた。地形は奥多摩に似ているが、森はまるで違う。今の奥多摩は杉の植林が多く、真っ直ぐに高い木々が並ぶが、ここの木々は種類も不揃いで整えられていない。
「この
「似てるけど、違う。今の
しかし
「
「過去に戻れるなんて、SFみたい」
「えすえふ? よく知らないけど、あまり便利なものではないよ。
「穴?」
「そう。
永久の説明を聞くうちに、木々が途切れ道が現れる。道の先に赤い鳥居が見えた。闇夜にも目立つ赤い鳥居は数が多い。
「あれは……千本鳥居? お稲荷さんが奉られる所にあるんじゃなかったっけ?」
「この先に神社があるんだ」
永久が少し姿勢を低くして、スピードを落として歩いて進む。命も鳥居にぶつからぬように、頭を低くした。
赤い鳥居はぼんやり光っていて、まるで異界への道のようだ。
「綺麗……」
「元の
「……その言い方だと、元の
「昔はね。もう誰も来なくなって、寂れて壊れて消えた。
淡々と語るうちに赤い鳥居が途切れ、代わりに石造りの大きな鳥居が一つ現れる。その先は階段だ。
「命さん、降りて。この先は人型になって案内するよ」
素直に降りると、永久は妖狐の姿に戻った。ふわりと夜風に白銀の髪がなびく。金色の瞳を細めて、そっと命の手を掴んだ。
「絶対。この手を離さないで。命さん一人で迷ったら、帰れなくなるから」
「離さないわ。帰れなくなるのは困るもの」
手を繋いで階段を一歩一歩進む。かなり急で、途中の踊り場で方向を変え、何段も上り、やっともう一つの鳥居が見えてきた。それを潜った先に境内があった。
境内といっても、地面はならされた土が剥き出しで、
社の裏手には、巨大な木があった。
「あの木がご神木。今の
永久は説明しながら社の裏手へと招く。神社に来たなら神様に挨拶しなくていいのだろうかと命は思ったが、ここは神社を模した
ぐるりと社を回り込むと、ご神木の下に小さな社が一つあった。社の脇に大ぶりの石があって、座るのにちょうどよい。命と永久は石に腰掛けてご神木を見上げた。
「元々は、このご神木が信仰の対象だった。稲荷神が奉られたのは後からだよ」
「神社って複数の神様が奉られていたりするものね」
「稲荷神が来る前。もっと、もっと、昔から、この地に住む人達はこの木を大切にしていたんだよ」
ご神木は大人二人が囲んで届かないほど太い幹だ。見上げるほどの大樹から、
「僕がとうこと出会ったのは、このご神木の前だったんだ」
「とうこ?」
女性だろうか……命はそう思った。音の響きが女性的だが、字がわからない。
「あの家の前の住人。僕達が出会った場所は、もう
永久はご神木を見上げて、淡々と語る。月明かりに照らされた横顔は、酷く寂しげで、亡き人との別れを悲しんでいるようだった。
「ここからどこにもいけなかった僕を、とうこが連れ出して家を作ってくれた。だから僕は、あの家に縛られている。でも、それでいいんだ。僕の帰る場所はあの家だけでいい」
「永久にとって、とうこさんは大切な人だったのね」
「うん」
小さな相づちがとても重くて。とうこという人が、どれだけ永久にとって大切だったか思い知って、命は何故かとても寂しい気がした。胸の奥が軋む。
嫉妬、という言葉が思いついて、慌てて振り払う。自分から聞きたいとせがんでおいて、あまりにも身勝手だ。
「僕達が出会った時、この神社は、もう誰も訪れなくなっていて、荒れ放題だった。僕はそれでも誰かが来るのをずっと待ってたんだ。どれくらいの時か解らない。何十年、あるいは百年を超していたのか。ずっとずっと待ち続けて、やっと来た人間がとうこだった」
そこまで語ってから永久は笑った。
「とうこは、とても無茶苦茶な人間だったんだよ、だって『この木を切り倒して家を建てよう』なんて言い出すんだから」
「ご神木を切り倒す?!」
「うん。もう誰も来ないんだし、良いだろうって。僕を縛るものが無くなれば、引っ越しもしやすいだろうって」
「……凄い。でも、それは永久のことを思ってよね」
ずっとひとりぼっちだった永久を、とうこは連れ出そうとした。山から人里へ。
「とうこはあやかしと仲良くなるのが上手かった。この木を切り倒して人里に運ぶのも、あやかしに手伝ってもらったんだよ」
「そんなことができるなんて……ずいぶん、あやかしに愛される人だったのね」
「うん、ぼくも、だいすき、だった」
一言、一言、噛みしめる言葉が大切な宝物のようで。そんなに大切な人が、もう死んでしまったなら、想い出すのも辛いのではないだろうか。
「話してくれてありがとう。もう十分よ」
これ以上、永久に想い出語りをさせるのは、酷な気がする。
「帰りましょう。あの家へ」
永久は嬉しそうに微笑み、命の手を引いた。
行きと同じく狐の永久に乗って、
もう失われてしまった神社。けれど、今もまだ永久の心の中には残っているのだろう。大切な人と作った家で、永久の帰る場所。そんな大切な場所に、出会ったその日に住んでもいいと認めてくれたのはどうしてだろう?
結界を破ったから? それだけではない気がした。
「命さん。ついたよ」
はっと気がつくと、家の庭についていた。慌てて降りると、永久は妖狐の姿に戻る。
「命さん、どうしたの?」
「ううん。なんでもない」
「もう一度言うけど、僕が一緒の時以外、
「解ってるわよ」
「でも……命さんが誤って
永久は悩むように顎に手をあてて考え、小さく頷いた。懐に手を差し入れると、ピンポン球ぐらいの大きさの白い玉を取り出す。
闇の中でも白くやわらかに光る不思議な玉だ。思わず魅入られそうなほどに綺麗だった。
「これは狐の玉。僕の宝物。これを……こうして……」
両手の平に包み混んで、祈るように目を瞑ってから開いた。すると手のひらの中に、狐の玉がついた
「わぁ……綺麗」
「これを命さんにあげる。もしも
そう言いながら、命の髪に簪を飾る。ガラス戸に映して見ると、命の頭でやわらかに光る。まるで小さな炎のようだ。
「ありがとう。良いの? これ、大切な物でしょう?」
「僕の大切なご主人様だから、持っててほしいんだ」
にこりと笑う無邪気な笑顔には、悪意なんて微塵も感じられなくて。確かに大切にされていると感じられた。
だから「どうしてこの家に住まわせてくれるのか」その問いを飲み込んで、心の中で「まいっか」と呟いた。
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