あやかしの先生とびっくりする香りの紅茶
1話
あかしやがオープンして一月がたった。五月も末の温かい日。今日も奥多摩駅に登山客がたくさん訪れる。
奥多摩駅舎の二階にはカフェがあり、カレーライスからアイスクリームやコーヒーまで、食事に休憩に幅広く利用されている。奥多摩由来の雑貨も売られており、雑貨を眺めて電車待ちの時間を潰すのも楽しい。
「命さん。なんだか香ばしい香りがしますね」
「コーヒーね。美味しいらしいけど……私、コーヒー飲めないから」
店内で自家焙煎するほどこだわりなので、きっと美味しいのだろうと思いつつカレーを食べる。
土日は多少客も来るが、平日のあかしやは客が少ない。平日の午前中は店を開けなくてもいいだろうと、命は朝からのんびり奥多摩を満喫していた。
隣に座る永久はバニラアイスを食べて、嬉しそうに微笑む。
「このあいすくりーむというのは、ひんやり美味しいですね。これも牛乳ですか?」
「そうよ」
「当世は何でも牛乳ですね。ぷりん、みるくてぃー、ばたー、ちーず、あいすくりーむ」
「言われてみればそうね」
当たり前のように存在するから気にしていなかったが、現代人の生活に牛乳は欠かせない。いつ頃からこんなに乳製品が巷にあふれるようになったのだろうか?
「ねえ、どれくらいの時間、永久は眠ってたの?」
「一〇〇年くらいかな」
「……一〇〇年。大正時代かしら?」
「そういえば、そんな元号だったね」
「あの家もその頃に建てられたの? どんな人が住んでたの?」
アイスクリームを食べ終えた永久は、笑みを消して答えた。
「今の僕のご主人様は命さんだよ。前の住人のこと、知る必要なんてない」
「気になるの。あの家に住んだのも何かの縁でしょ。教えてくれてもいいじゃない」
「……嫌だ。言いたくない」
つんとそっぽを向いて、それ以上何も言わなくなった永久を見て、命は小さくため息をついた。
これまでにも、何度も聞いたが答えてくれなかった。せめて蔵にあった本が読めたら解るのだろうが、達筆すぎる筆文字は命には読めない。
命が問いかけるのを諦めて、窓の外を見たら、駅のホームに気になる人達がいた。
奥多摩駅に観光に来る人はほとんど登山客だ。リュックをしょって、帽子を被っているから一目でわかる。逆に奥多摩から都内に出る人は、スーツや学生服など日常的な服装が多い。
そんな中、着物の老人と少女の姿がひときわ目立つ。おかっぱ頭の小学生くらいの女の子が、命を見て着物の袖を揺らして手を振っている。
手を振り返すべきか迷っているうちに、ホームに電車がやってきて視界が遮られた。
「どうしました? 命さん」
「なんでもない」
見知らぬ子だったが、どうして手を振ってきたのだろう? 気にはなったが命はすぐ忘れてしまった。
昼前に戻り、二人で店の準備を始める。
「命さん。次は何をすればいいですか?」
今の永久は普通の人間。髪も瞳も黒で、白銀の狐耳もしっぽも見えない。
でももしあったら、耳がぴんとたって、しっぽをふってそうな。まるで忠犬がご主人様の命令をうずうず待ってるような雰囲気に見えた。
「じゃあ……このほうきで門の前を掃いてきて。もしお客さんが入ってきそうだったら『いらっしゃいませ』って言ってね」
「はい。命さん」
永久はほうきを両手で持って、楽しそうに外へでていった。
大丈夫かなと心配になって、こっそり永久の仕事ぶりを観察する。
二人組の若い女性が道を歩きつつ、ちらちらと永久を見てるのがわかった。永久が人目を引く綺麗な顔をしているからだろう。
「いらっしゃいませ」
ただ見てただけだなのに、無邪気な笑顔で永久が言えば、女性達も店に入らないと申し訳ない気分になって入ってくる。良い広告塔になりそうでありがたい。
「外からみるとただの古い家かと思ったら……中は案外悪くないね」
「うん意外と綺麗で、雰囲気が落ち着くし、飾ってある小物が可愛い」
なるほど。内装は上手く行ったけど、外からの見栄えが悪くて、カフェだと思ってもらえなかったわけだ。もう少し考えないと問題がありそうだ。
「いらっしゃいませ。メニューをどうぞ。お決まりになりましたら、お声かけくださいね」
若い女性がメニューを見ながら、きゃっきゃと騒ぐ様子をちらりと見た後、永久を手招きする。こっそり耳元で囁いた。
「注文の取り方わかる?」
「聞いた事を紙に書いて、命さんに渡せばいいんだよね?」
エプロンのポケットから、伝票とボールペンを取り出してニコニコとしている。未だにボールペンの持ち方がぎこちない。
今まで客が少なかったから、接客は命が担当し、永久は掃除や皿洗いばかりだった。永久にも接客を覚えてもらいたいから、これは練習だ。
注文を取りにいく永久の後ろを、命もついていく。もしも何か問題があれば、すぐにフォローにはいれるように。
「あの……コーヒーないですか?」
コーヒーが何なのかわかってなくて、永久がおろおろしてる。まずいと命が前に出る。
「すみません。うちはお茶の専門店なのでコーヒーは扱ってないんです。その代わり、紅茶、緑茶、中国茶、ほうじ茶色々そろえてますよ」
「でも……私、お茶ってよくわからなくて」
メニューにはずらっと並んだお茶リスト、飲みなれてない人がどれを選んで良いか、困るのは仕方がない。
「食べたいお菓子は決まっていますか?」
「あ……それは、いちご大福がいいなと」
「私は三種のチーズケーキがいいです」
「あんこだったら緑茶ももちろん、ダージリンもあいますよ」
「あんこに紅茶?」
二人の女性客は顔を見合わせてびっくりしていた。
「チーズケーキにあう緑茶もありますよ。もしよろしければお茶はポットにたっぷり淹れて、カップとお茶碗は二客づつ用意いたしますので、紅茶と緑茶をシェアしあって、飲み比べしてみるのはどうでしょう?」
「それ……面白そう」
ケーキだから紅茶、あんこだから緑茶。
そういう固定観念をはずして、もっと自由に色んな組み合わせを楽しんでもらいたい。そう思って作った店だから、お茶もお菓子も和洋ごちゃ混ぜ。
お茶選びに迷ったら、食べたい料理にあわせてお茶を選ぶ、ソムリエ的な提案があっても楽しいと思う。
注文を取り終えてカウンターに戻ると、永久がしょんぼり肩を落としている。
「ごめんなさい。うまく注文取れなかった」
「うちはお茶が多すぎるもの。お勧めを選ぶのも難しいわよね。そういう時は食べ物を選んでもらって、お茶はこちらで選びますって言ってもいいわよ」
「わかりました」
永久は急いでメモをとる。その間に命はお茶を淹れた。
急須に緑茶、ティーポットに紅茶を入れて、お菓子と一緒に運ぶ。テーブルにポットと砂時計を置き、先に緑茶を茶碗に注いだ。
緑茶の方が蒸らし時間が短いし、蒸らし終わったらすぐに注ぎきった方がいいからだ。
茶碗に入りきらなかった分は、湯冷ましに入れて最後の一滴まで注ぎきる。
「紅茶はこちらの砂時計が落ちたら飲み頃です。緑茶は三〜四煎は飲めますので、あちらの鉄瓶から、湯飲みにお湯を注いで十数えるくらい待ってから注ぎきってください。鉄瓶に触る時は、ミトンを使ってくださいね」
店内の囲炉裏でお湯を沸かしても、鉄瓶が付喪神だと客は気づかない。
「紅茶も何煎も飲めるのですか?」
「紅茶は一煎だけです。今は茶葉が入れっぱなしになっているので。お湯を加えて、好みの濃さに割って飲んでください」
説明をしてる間に、砂時計が落ちきって、ちょうど飲み頃になった。
ティーカップに紅茶を注ぐと、爽やかな青々しい香りが漂った。色は紅茶と思えないほど薄い。お茶を一口飲んで、客はパッと目を開く。
「わあ……香りが爽やかで、渋みがあるけど、味がすっきりしてる。ダージリンってこんな味なんですか? 初めて飲みました。私これ好きかも」
「ダージリンの夏摘みのお茶です。インドのダージリン地方でとれた。一〇〇%ダージリン産のお茶です」
「ダージリンって地名だったんだ」
市販の安いダージリンは他の茶葉のブレンドが中心で、ダージリン地方の茶葉をほとんど使ってないものが、たくさんある。それに慣れていると、ダージリン産の味を知らない人は意外と多い。
「こっちの緑茶も、いつもと全然違う。日本茶って旨味? ……って感じの味が濃いイメージだったけど、これはあっさりさっぱりしてて、香りが凄く良い」
「こちらは宮崎・五ヶ瀬の釜炒り緑茶です。釜炒りは香り重視のお茶なんです」
チーズケーキに合わせるなら、旨味が効いた緑茶より、香り重視のさっぱり系の方が合う。
「面白い。お茶ってこんなに色々あるんだ」
「このいちご大福、粒あんが甘すぎなくて良いな。苺の甘酸っぱさと、餅の柔らかさとよく合うし、意外と紅茶とも合うね」
「ベイクド、レア、スフレ、三種類を少しづつなのが贅沢ね。さっぱりレアは紅茶にあうし、どっしりベイクドは緑茶があうかも」
女性達は嬉しそうにお茶を楽しんでいた。こういう客が増えてくれたら嬉しい。
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