6話

 土日に入ると喫茶あかしやには、ぽつぽつと客がやってきた。観光客が増える週末が勝負だと、命は張り切ってお茶を淹れる。

 客を迎える命の笑顔は絶えず、泣いたのが嘘のようだ。

 日曜の夕方。客が途絶えた頃合いに、敦子はやってきた。

「敦子さん、捜し物これですよね」

「御守り、見つけてくれたの! ありがとうございます」

 嬉しそうに御守りを両手で包みこむ。前よりずっと朗らかな笑顔が浮かんでいた。

「よかった。お茶缶持ってきてくれました?」

「ああ、これよ」

 差し出された缶と店にあった缶。見た目はそっくりだ。よく観察して命はにっこり笑った。

「やっぱり」

「え? 何か違うの?」

「製造ラベルを見たかったんです」

 缶はまったく一緒だが、裏側にある製造ラベルは違った。店にあったのは日本語で、敦子が持ってきたのは英語だ。

「敦子さんがイギリスに住んでたって聞いたので、もしかしてと思ったんです。知り合いが持ってたので、貰ってきました」

 取り出したのは、英語の製造ラベルがついた新しいトワイニングのアールグレイ。

「日本語と英語だと何か違うの?」

「紅茶は水に左右されます。特に影響が高いのが水の硬度。カルシウムやマグネシウムなどをたくさん含んだ水を硬水。少ない水を軟水と呼びます。日本の水はほぼ軟水で、イギリスは硬水です」

「水でお茶って変わるの?」

「はい。だからメーカーによっては、出荷する国の水に合わせてブレンドを変えることもあります」

「同じトワイニングのアールグレイでも、販売する国によって味が違うんだ」

「わずかにですが、敦子さんがお父さんと一緒に飲んだのもイギリスですか?」

「そういえば、父がこの紅茶を買い始めたのはイギリスにいた頃だったわね。でも日本の水は軟水ってことは、同じにはできない?」

「そこはちょっと無茶することにします」

 命はエビアンのペットボトルを取り出した。永久は目を丸くする。

「ぺっとぼとるの水はだめだといってなかった?」

「空気が入ってないから、これだけだとね。だから混ぜる」

 そう言って命は水道水とエビアンを半々、ヤカンに入れて湧かした。

「空気の入った水道水と、硬水のエビアン。混ぜて多少イギリスの水に寄せられたらいいなと……ほんの少しですけど」

 後の手順は昨日と同じ。温めたポットに茶葉を入れ、お湯を注いで蒸らして待つ。カップに注がれた紅茶は、昨日より黒ずんでいる。

「色が違う。香りも……」

 驚きながら敦子が口にすると、ぱーっと笑顔の花が開いた。

「これよ。これ。優しい香り。味はしっかりしてるのに、香りはキツくなくて」

「少しでも近づけてよかった」

「凄い。流石プロ!」

 敦子が嬉しそうにはしゃぐと、命は首を横に振った。

「確かに茶葉のブレンドは違うし、水も違う。でもそれはごく僅かな差で、昔飲んだお茶と違うと気づけるのは、それだけ敦子さんが想い出のお茶を、大切に思っていたからじゃないでしょうか」

 大切な人との思い出の味。それを少しでも彩りたいと、きゅうりのサンドウィッチを差し出した。

「わぁ……! キューカンバーサンドウィッチ」

「やっぱり、知ってましたか。日本ではあまり店に出ませんが、イギリスではポピュラーですからね」

「父が向こうにいた頃、よく作ってくれたわ。ああ、思いだした。このアールグレイとよく一緒に食べた」

「イギリス流にミルクティーじゃなかったですか?」

「そう。でも日本の牛乳で作るミルクティーは、どうも美味しくない気がして」

「牛乳も違いますからね。あちらの牛乳は低温殺菌、日本は高温殺菌の牛乳が主流です。最近は日本でも低温殺菌牛乳が手に入りやすくなりましたが」

 そう言って命が取り出したのは、低温殺菌牛乳。高温殺菌牛乳は熱を加えた時に乳臭く、妙な粘りが出やすい。温かいミルクティーに入れるなら低温殺菌と命は決めている。

 ミルクポットに入れて差し出すと、敦子は少しだけカップに注いで口にする。

「あっ! この味。さらっと甘くて舌がべたつかない。牛乳臭くなくて美味しい」

「命さん。僕もみるくてぃー飲んでもいいですか?」

「もちろん、どうぞ」

 永久と命の分もお茶を淹れて差し出す。アールグレイのお茶はそこまで濃くないので、ミルクは少しだけにして、あっさりしたミルクティーにする。

「お茶の香りと牛乳の香りが混じって……不思議」

「アールグレイは香りが強いお茶だから、ミルクに負けないわね。だからミルクティーが主流のヨーロッパではフレーバーティーが人気なんだと思うわ」

 敦子はミルクティーとサンドウィッチを交互に口にして、よく噛みしめる。

「ああ……懐かしい。イギリスにいた頃のことを想い出すなぁ……。そういえば休日の昼食は簡単なサンドウィッチと紅茶だけですませて、遊びにでかけたわね」

「匂いや味で刺激される想い出もありますからね」

「そっか。イギリスの水で淹れたら、もっと昔の味に近づくかな」

「もちろん。だってこれは半分日本の水ですし、向こうの方がもっと近いですよ」

「じゃあ、行ってみようかな。イギリス」

「え?」

 命が驚くと、敦子は恥ずかしげに笑った。

「イギリスで仕事するの、怖いと思ってたけど。あの時のお茶がまた飲みたいって思ったら、行ってもいいかな……と思うの、現金なヤツかな」

「良いと思います。そういう前向きな現金さは」

 お茶を飲みきって、大切に御守りをしまうと敦子は立ち上がった。命に向かって丁寧なお辞儀をする。

「御守り、見つけてくれて、この紅茶を教えてくれてありがとうございました。また来るから。イギリスに行っても、日本に帰った時には必ず寄るわ」

「じゃあ、頑張ってお店を続けます。お客さんが来なくて店を畳まないように」

「会社の人や友達にこの店のこと、話してみるわ。長く続いてほしいから」

「わざわざ紅茶を飲むためだけに奥多摩まで来ますかね」

「奥多摩には良いもの色々あるから。今日も日帰り温泉に行って、駅前のビアカフェ寄ってたら、ここに来るの遅くなっちゃって」

「ああ、あの駅前のクラフトビールの店。気になってたけどまだ行ってなくて」

「美味しかったわ。お客さんもたくさんいたし、人気店みたい。お酒を飲んだあとの酔い冷ましの紅茶も最高」

「わかる!」

 敦子と命。客と店主という間柄を超えて、思わずハイタッチしてしまった。

「ビールと紅茶のセットで紹介するわ」

「それは心強い」

 敦子は晴れやかな笑顔で「また来る」と言いながら帰っていった。


 閉店した店で、囲炉裏の炎を見ながら、命と永久は並んでお茶を飲んでいた。

「今までは、お父さんのこと、想い出すと泣きそうになって、苦しかったけど。今日はなんだか嬉しいわね。昨日いっぱい泣いたからかしら」

「無理は良くないんだよ」

「敦子さんが楽しそうにお父さんの想い出を語るのを見ていたら、私も話したくなっちゃった」

「お父さんの話? 聞かせて、聞かせて」

「うーん。何から話そうかな……あっそうだ!」

 命は慌てて自分の部屋に戻り、一つの掛け軸を持ってきた。

 店の壁にフックをつけて掛け軸をかける。素朴な白黒の水彩画が描かれていた。

「お父さん、若い頃は画家を目指してたらしいの。でも、画家で食べていけないからって、辞めて茶商になったって。ほとんど捨ててしまったけど、これは気に入ってるから取っておいたらしいわ」

 山々が連なり、雲が浮かぶ。山の間を川が流れる素朴な風景の絵は、どこか奥多摩に似ている気がした。

「良い絵ですね」

「でしょう。でもこれを見るとお父さんを思いだして悲しくなりそうで、しまい込んだままだったわ。もったいないわよね」

 絵をじっと見つめる永久の表情は、いつも以上に優しく見えて、同時に泣きそうにも見えた。

「永久。どうしたの?」

「……なんでもありません。とっても良い絵だな……と思って」

 命は何かが引っかかった気がしたが、その何かが解らない。

「まいっか」

 たぶんたいした問題じゃないだろうと結論づけて、夕飯を作りにいった。

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