4話
「命さん。夜の川は危ないよ」
「でも、御守りは早く探したいし、それにあのあやかしも気になるの。また人を襲ったりしたら怖いじゃない」
店を閉めてから命と永久は河原へとやってきた。懐中電灯で足下を照らしながら、命は御守りを探して歩く。
暗くなって見えやしないからと、永久は変身を解いて狐耳の着物姿だ。
「命さんが川に近づかなければいいでしょう」
「私じゃなくて、他の人が襲われるかもしれないわ」
「僕は命さんさえ無事なら、他の人間はどうでもいいのだけど」
命が睨むと、永久は怯んだ。あやかしにとって、人間の命はそんなに軽いのか。それとも永久が極端なのか。
その時川のせせらぎに混じって、大きな水音がした。命が振り向くと、小柄な人影が見えた。
否、人ではない。
「……この娘っこ、さっきから何を探してるんだ」
「河童?」
全身緑色で、頭の皿と、顔についたくちばしが、イラストで見る河童にそっくりだった。みずかきのついた手は、昼間見たものと同じだ。
「おらが見えるのか?」
「昼間、女性を川に引きずりこもうとしたでしょ」
「おら、そんなことしないだよ。ただ、ちょっと用があっただけで」
すっと前に出た永久は、何の感情も湧かない真顔で言った。
「危ないあやかしなら燃やそう」
まるでゴミをゴミ箱にいれようくらいのさりげなさで、低くポツリと呟いた。手のひらに炎を生み出すと、河童は震え上がる。
「ひゃー。皿の水が乾く!」
川に逃げようとした河童の手を掴んで、命は言いつのった。
「永久、その火消して。河童さん。用って何かしら?」
永久がしぶしぶ火を消すと、河童は怯え顔のまま答える。
「あの娘っこ、ずっと何か捜し物してたから。落とし物かと思って。これ、拾ったから」
河童が取り出したのは「学業守」と書かれた赤い御守りだ。
「これ、敦子さんが探してたの。河童さん、これを渡そうとしてたの?」
「んだ。ずっと、河原で探してて、なんか可哀想に見えただよ」
「疑ってごめんなさい。あなた良いあやかしなのね」
命は感激のあまり、河童の手を両手で掴んで、笑顔を浮かべた。命の後ろに立つ永久の顔が引きつって、ぽっと炎が灯る。
「そこの狐の旦那が怖い!! もう、それやるから、おらを川に返してくれ!」
「待ってお礼がしたいの。河童ってきゅうりが好きなんでしょ」
さきほどまで怯えていた河童が急に笑顔になる。
「好きだ!」
「じゃあ、きゅうりをごちそうするわ」
「命さん! 僕以外のあやかしは危ないって言ったでしょ。すぐに信用しない!」
「でも、この河童は御守り拾って届けてくれたのよ。お礼くらいしてもいいじゃない。永久も側にいるんだし、ね?」
永久は呆れたように、盛大にため息をついて、渋々頷いた。
店に戻ると、命は機嫌良くきゅうりを剥く。ピーラーで薄くスライスされるきゅうりを、河童は不思議そうに見た。
「きゅうりで何か作るのか? おら、そのままのきゅうりで、いいだよ」
「せっかくのお礼だし、一ひねりしたいもの」
スライスしたキュウリに塩を振って少し置く。しんなりしたら、絞って水分を抜き、ワインビネガーを混ぜて十五分ほど置いておく。
その間に冷蔵庫からクリームチーズを取り出して柔らかくし、食パンにバターを塗った。
「河童さん、チーズ食べられる?」
「ちーずってなんだ……それは」
「牛の乳で作った食べ物だよ」
どや顔で語る永久だが、今朝説明したばかりである。
「はぁ……牛の乳。そんなもん、食べたことないだよ」
「じゃあ、チーズありとなし、両方作りましょう」
紅茶用のお湯を沸かしつつ、命は作業に戻る。
キュウリの水気をキッチンペーパーで軽く拭いて、バターを塗ったパンの上に並べる。胡椒を振ってそのまま挟んだもの。クリームチーズを乗せたものの二種類作り、食べやすいように三角に切った。
「きゅうりサンドウィッチのできあがり。どうぞ召し上がれ」
「さ、さんど……? なんだ。よくわからねぇが、これきゅうりの食べ物か?」
命は三人分の紅茶を淹れつつ頷いた。
「永久も一緒に食べましょ。これ、紅茶に凄くあうの。はい、敦子さんに淹れたのと同じ、トワイニングのアールグレイよ」
紅茶から、ほわっと華やかな香りが漂った。
熱い飲み物になれてないのか、河童はお茶には手をつけず、おそるおそるサンドウィッチを手に取る。チーズが入ってない方をぱくり。
「うんめぇなぁ……これ。きゅうりがしゃきしゃきしてて、酸っぱく、辛く、なんだ、色んな味するぞ」
永久もクリームチーズ入りの方を手に取って一口食べる。弾むような高音で喜びを露わにする。
「うーん。ちーずと、きゅうりがあわさって、美味しい」
「シンプルだけど飽きないし、味がしつこくないから、紅茶と合うのよね」
濃厚なチーズとさっぱりきゅうりがよくあう。ほのかに効いたワインビネガーの酸味とぴりりと辛い胡椒のアクセントが、癖になる。パンが口に残った状態で紅茶をくぴっと飲むと、パンに茶が染みてまた美味い。味がしつこくないから、紅茶の香りもしっかり楽しめる。
三人であっという間に食べ終えて、河童は嬉しげに笑った。
「おら、こんなにうめぇもの、初めて食べただよ。ありがとな」
「こちらこそ、御守り拾ってくれてありがとう」
『河童が人助けとは、珍しいものじゃのう』
鉄瓶の鉄爺が呆れたように声を出す。
「珍しいの?」
『そもそもわしらあやかしは、普通の人間には見えぬし、声も聞こえぬぞ』
「御守りを足下に転がして置くだけだ。見えなくてもそれならできるだよ」
『そんな酔狂をする理由が解らん』
鉄爺の言葉に同意するように、永久はうんうんと頷いた。神棚の付喪神達も、同意のようだ。
あやかし達にそろって不審がられて、河童は遠慮がちにくちばしを開いた。
「あの娘っこは、父さんの、父さんのってしきりに言ってただ。父親ともう会えんのだろ?」
「そうね。死んでしまったわ」
敦子が必死に探す姿に、河童も見かねたという。
「おらにも、娘がいただ。もう、どこかいっちまったが。もし、おらの娘が同じように困ってたら、助けてやりてーなと思っただ」
「あやかしにも親子愛があるのね……凄い」
「命さん、それは珍しい話ですよ」
『そうじゃな。そもそもわしには家族がおらぬ。爺と呼ばれても、それは渾名だ』
神棚のお銚子やお椀がカタカタと鳴る。
『あたし達も、揃いであつらえた品だけど、兄妹とは言わないよねー』
『家族というものはよく解らんな』
「永久にも家族はいないの?」
永久はふっと微笑んで首を横に振った。
「いますよ。目の前に。命さんは僕の家族です」
「え……?」
いつのまにそんなことになったのだろうと命が首を傾げると、永久は慌てたように手を掴む。
「ぺっとは家族じゃないのですか?」
「ああ、そういう意味。そうね。ペットは家族よね」
椅子から飛び降りた河童は、不思議そうに首を傾げる。
「ぺっとってなんだ? おまえたち
「番じゃない」
命が断言して、永久の手を振り払う。
「まあ、なんでもいいや。あの娘っこにそれ渡してくれるんだろ? おら、それで十分だ。
「本当にありがとう」
帰って行く河童を見送って、命は改めて御守りを見た。ぐっしょり濡れているのは川に落ちたからだろう。河童でなければ拾えなかったかもしれない。
「敦子さん、喜ぶわね。よかった」
「どうして……そこまで?」
「え?」
永久は金色の瞳でじっと見つめて問いかける。穏やかな声音で淡々と問いかけた。
「敦子という人に、今日あったばかりで、良く知らないのに。夜の川なんて危ない所に行って。河童にお礼までして。なんでそこまでするの?」
キッチンペーパーでそっと御守りの水気を吸い取りながら、ぽつりぽつりと答える。
「だって人ごとに思えなかったから。お父さんとの思い出の品を大事にして、想い出のお茶を飲みたがって。まるで私みたい」
敦子が父との話を語る時、懐かしげで、寂しげで。その表情が命は忘れられない。
「命さんはお父さんに会いたいのですか?」
「会いたいわ」
反射的に答えて、『会えるものなら』という言葉を飲み込んだ。二度と会えないのではという不安を、押し殺すように空元気で笑ってみせる。
「お茶の店を開きたかったのも、お父さんを探すため。あれだけお茶馬鹿だったのだから、店が評判になったらひょっこりやってくるかもしれないじゃない。……まあ、こんな田舎に作ったら、評判にはならないかもしれないけど」
永久は驚いたようにまぶたをまたたかせて問いかける。
「命さんは、また会えると信じてるの?」
「信じたい。諦めたくない。どれだけ可能性が低くても」
父がいなくなって十七年。もしも無事なら、とっくに顔を出している。何か事情があるのだと言い聞かせ、同時に死んでいるかもしれないと不安になる。
もしも死んでしまっていたら、二度と会えないとしたら……想像しただけで泣きそうで、慌てて笑顔を作った。
「まぁ……もしも会えなくても、お父さんが元気で生きてれば、まいっか」
「命さん。どうして悲しいのに笑うの?」
「え……?」
「今にも泣きそうな顔をして、無理に笑って。人間というのは不思議だね」
命は自分の顔に触れて、顔を強ばらせた。ちゃんと笑えていなかった?
「命さん。前向きなのは良いことだよ。でも命さんの『まいっか』は大切な物を諦める言葉じゃない?」
「違う! まいっかは、そんな後ろ向きな言葉じゃない!」
反射的に大きな声を出して、そんな自分に驚いた。慌てて笑顔を取りつくろう。
「今日はもう疲れたし早めに寝るわ。おやすみ。今日は部屋に入ってきちゃダメよ」
それだけ告げて、命は逃げるように自室に行った。
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