2話

 店をオープンしたと言っても、客が来なければ始まらない。

 永久にオーダーの取り方、食器の運び方、片付け方と一通り教えながら客を待つが、いつまでも静かだ。

 門を出て、店先の道を歩く人に声をかけてみたが、誰も入ってこなかった。

「お客さん来ませんね」

「知名度が足りないとこうなるわよね。時間があるから永久にお茶の淹れ方を説明しましょ」

「僕がお茶を淹れてもいいの?」

「まだ、紅茶を飲んでないでしょう? 教えるわ。緑茶と淹れ方が違うの」

 紅茶用のティーポットを用意して、コンロの隣に置く。

「紅茶の重要なポイントは二つ。一つは可能な限り高温、沸騰直前の一〇〇度近いお湯で蒸らす。二つめは、空気をたっぷり含んだ水であること。そのために沸騰しすぎはいけない」

「それは矛盾じゃないの? 沸騰するぐらい熱いほうが良いのに、沸騰してしまうと空気が逃げるよね?」

「そう。そこが難しい。水道の水は新鮮な空気をたっぷり含んでるから、ヤカンに注いですぐ沸かして、沸いたらすぐ淹れるのが一番なの」

「ふむ……手際が大事だね」

 永久はメモ帳に書き留めようとして苦戦している。ボールペンを触るのは初めてでまだぎこちない。

「紅茶を淹れるお湯はヤカンをつかって。鉄瓶のお湯は鉄分を含んでて、紅茶には合わないから」

「わかったよ」

「水の良さは紅茶の味を左右する大事なもの、奥多摩の水は綺麗だから最高よ。空気が抜けたペットボトルの水は使えないし、かといって都心の水道水は水質が悪くて、高価な浄水器をつけても不安があるし」

「ぺっとぼとる?」

「こういうの」

 冷蔵庫からジュースを取り出すと、永久はにこやかに微笑んだ。

「当世風の飲み物は凄いね。蓋を開ければ、いつでも、どこでも飲めるんだ」

「そうね。ポットで丁寧にお茶を淹れる人が減るくらい便利よ」

 蛇口から勢いよくあふれる水を、ヤカンに注ぎ火にかける。お湯が沸騰する前に、ポットにお湯を注いで温める。

「冷たいポットにお湯を注ぐとお湯が冷める。だから先にお湯でポットを温めてお湯を捨ててから、量った茶葉を入れる。最初ははかりを使った方が解りやすいと思うわ」

 電池式のはかりを見て永久は目をぱちくりさせた。ボタンを押すと数字が変わるのが珍しいようだ。

「茶葉の分量と蒸らし時間で味を調節するの。茶葉が多ければ濃く渋く、少なければあっさり。茶葉の形が細かければ蒸らし時間は短く、大きければ長く」

「茶葉の種類によっても違うのですか?」

「もちろん。紅茶はミルクを入れてミルクティーにすることもあるから、その時は濃いめにね」

「茶に牛乳を入れるのですか?」

 永久が驚いて瞬きする間にポットのお湯を捨て、量った茶葉を入れる。ちょうど沸騰し始めた所で一気に注いで蓋をして、布製のティーコジーをかぶせて保温する。

「蒸らしてる時間も、できるだけ高温を維持するためにコジーをかける。これは茶葉が細かいから三分半蒸らしましょう」

 タイマーをセットして、ティーカップを用意すると、永久は珍しそうに触れた。

「西洋の茶碗には、とってが付いているのですか?」

「百年前には起きてたのでしょう? 大正時代ならカフェでカップくらい見たことなかったの?」

「僕は奥多摩を出たことがないから。噂に聞いた銀座に行けば、見られたのかもしれないね」

 今でこそ銀座から奥多摩まで、日帰りで行かれるが、鉄道が発達していない時代は歩きだ。銀座は異国のように遠かった。

 タイマーが鳴ったので、カップに茶こしをセットして、ポットから注ぐ。赤い水色を見て、永久は今日何度目かの瞬きをした。

「赤い……お茶なのに、どうしてこんな色をしてるかな? 色をつけてるの?」

「材料はお茶の葉だけ、緑茶と変わらないの。加工法が違うわ。緑茶は発酵させない無発酵茶。紅茶は完全に発酵させる発酵茶。発酵の過程で赤くなるの」

「発酵……味噌とか醤油とかみたいに?」

「そうね。麹は入れないけれど。はい、今日はセイロンティーを入れてみました」

「飲んでみても良い?」

「熱いから気をつけてね」

 永久はおそるおそる取っ手を掴み、そっと口元に運んだ。口をつける前に鼻をひくひくならす。

「良い香り……緑茶とは全然違う。もっと華のある香り」

「香りは温度が高いほど強くでる。だから香りが売りのお茶ほど高温で入れるの」

 ふーふーと冷ましてすすると、永久は微笑んだ。

「とても美味しいです。渋さはあるけど、緑茶とは全然違って。深蒸しは出汁みたいな旨味がありますが、紅茶はもっとさっぱりしてますね」

「発酵したお茶の方が脂を洗い流す効果が高いから、脂っこい料理には向いてるのよね。というわけで……今日もプリンをどうぞ」

「わぁ……ぷりん!」

 永久は慌ててカップを置いてプリンに手を伸ばす。目がきらきら輝くのは、よほどプリンが気に入ったのだろう。

「そんなにプリンが好きなら、今度美味しい店のを買ってきても……」

「他の人が作るぷりんはだめ。命さんが作ったのじゃないと。んー……甘くてほろ苦くて、甘いぷりんの後に飲む紅茶はさっぱりして……ああ、とてもよく合う。せいろん? という茶は、どこのものですか?」

「セイロンはねスリランカの旧国名なの。スリランカ産の紅茶のブレンドをセイロンというのよ」

「ぶれんど?」

「色んな地域のお茶を混ぜて作るの」

「お茶を混ぜる……なんだか難しいんだね」

「そうね。各ブランドが『うちのセイロンはこういう味でいく』と決めて、それに合わせて茶葉を選びブレンドする。思い通りの味を作るために高度な技術が求められる難しい仕事なの」

 嬉々として語る命の紅茶蘊蓄を聞きながら、永久はあっという間にプリンを食べきってしまった。

「ごちそうさま」

「あ、ごめんなさい。ちょっと話しすぎたかしら?」

「なぜ謝るの? 僕は命さんの話が聞けて楽しかったよ」

 お世辞ではない無垢な言葉に、命は思わず笑みを浮かべる。自分の好きな話を楽しんで聞いてくれる人がいる。それはとても嬉しい。


 のんびりティータイムは終わりと命は立ち上がる。

「もうお客さんは来ないと思うし、今日は店を閉めちゃいましょ。その代わり駅前でビラ配りしてお店の宣伝ね」

「僕も手伝うよ」

「期待してるわ。私より永久の方が目立つもの」

「変化の術、どこかおかしい?」

 首を傾げながらぺたぺたと自分の顔を触る永久を見て、命はくすりと微笑んだ。

 人間の美醜は、あやかしにはわからないらしい。

 観光客がぽつぽつと出てくる駅前で、永久はひときわ目立っていた。

 すらりと細身で背が高く。色白で目鼻立ちの整った美男子がビラを配れば、大抵の人は受け取ってくれる。

「古民家カフェあかしや、開店しました。よろしくお願いします」

 微笑みながらビラを手渡されておばさまは、うっとりと永久に見とれてる。

「貴方がお茶淹れてくれるの?」

「いえ、彼女が」

 にこにこと命の方を振り向くと、おばさまは「やだ……彼女持ち?」とぶつくさいいつつ去ってしまった。

「永久……彼女はダメよ」

「え? 何故? 命さんは女性だよ」

「仕事中は店長って言って」

「ああ、なるほど。じゃあ店長と呼ぶね」

 彼女という言葉に恋人という意味があることを永久は知らない。こんな些細な常識から教えるのかと命はため息がもれる。

みことさん。ビラが無くなりました」

「私ももう無いわ。今度はもっと多めにコピーしましょ。もう仕事終わり! 今日は私も観光するわ。川沿いに行ってみたいわね」

「僕が案内するよ。任せて」

 永久は命の手を取って歩き出す。自分が役に立つのがよほど嬉しいのか、永久の足取りは軽やかで、今は見えないしっぽが揺れているようだ。

「ちょっと、待って」

「川沿いに降りるなら、こっちの細道を使うのが早くて……」

「駅前で男女が手を繋ぐのは、まるでデートみたいじゃない……」

 周りの視線など気にも止めない永久を見て、命は一人やきもきしていた。

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