5話

 永久が山から榊の枝を取ってきてくれたので、みことはスマホを見ながら神棚に飾る。器は全て蔵から出してきた付喪神つくもがみだ。

「水と、米と、塩を飾れば良いのかしら?」

「命さんが神棚を飾ってくれるから、この家も喜んでますよ」

「そう。ならいいけど。明日から毎日ちゃんと飾りましょう」

 そう言いながら命はガラス戸の向こうを見た。

 すっかり日が暮れて、山は黒々と視界を塞ぐ。照明だらけの都心に住んでいた命には新鮮な雰囲気だ。

「引っ越しで疲れたわ、夕飯は外に食べに行きましょ」

「店に行くの? 僕、久しぶりだな」

 駅から近い所にある食堂は観光客向けらしく、店じまいが早い。命が急いで家を出ると、永久は物珍しそうにキョロキョロしていた。

「村もずいぶん変わる物だね」

「今はここも『奥多摩町』村より多くの人が住んでいるわ」

 といっても、人口はそう多くない。マンションやアパートなどはなく、山にへばりつくように点在する一軒家に、人々は住んでいる。

 店に入ってみると、食堂というよりカフェといった方が似合いそうな、こじゃれたインテリアで、まだ新しく清潔感がある。

「見た目はおしゃれなカフェなのに、メニューが親しみわく所が好きだな」

 カツ丼や親子丼など丼物、定食に、うどんや蕎麦の麺類。甘味はジェラートと団子のみ。

「これなら客層はかぶらないかな」

 駅近くにビアカフェはあったが、ビールがメインでソフトドリンクはあまりない。

 駅舎の二階に喫茶店があるが、あそこはコーヒーが売りだった。

 お茶をのんびり飲むカフェはこのあたりにない。それで客が来るかは別問題だが。

 二人は冷やし梅豚うどんを頼んだ。大皿の上に冷たいうどんが入っている。ゆでて梅肉で和えた豚肉とわかめが彩りを添えていた。

 豚肉の脂は梅肉のすっぱさであらいながされ、腰の強いうどんはつるつると喉の奥に消えていく。

「美味しいね。命さん」

「うん。今日は疲れたから染みる」

 お腹いっぱいうどんを食べて、二人はのんびり歩いて帰る。風呂に入ったら、もうまぶたが重くて仕方がない。

 和室に布団を敷くと、みことは思わず倒れ込んだ。新しい畳の香りが鼻孔をくすぐる。

「今日は早めに寝るわ。おやすみなさい……永久。どうしてここにいるの?」

 布団の隣で、ころんと寝転んだ永久と目があった。

「命さん。この家で畳があるのはこの部屋だけだよ。布団もそれ一つしかない」

「……そうね」

 他にも部屋はあるのだが、畳を買い換えるのをケチったし、布団は命の分しか買ってない。永久の分を用意するのをすっかり忘れていた。

「でも、永久は何もない家で、ずっと寝ていたわけだし……」

「嫌です。僕も布団で寝たい。それがダメなら畳で寝たい」

 ばたばたと駄々をこねる姿は子供のようで、とても下心などなさそうだが、見た目は成人男性なので、同じ部屋で寝るのは抵抗がある。

「人間は猫を飼ったりするよね? 猫とご主人様が一緒に寝るのは普通なのでは?」

「猫と人間は別。あやかしでも永久は人間と見た目が変わらないから。男の人と一緒の部屋で寝るのは嫌なの。出て行って」

「人間の姿だとダメなの?」

 何が悪いのか、まるで理解していない顔で首を傾げると、永久はうんと悩んで頷いた。

「……見た目が動物ならいいのか」

 そう言ったかと思うと、ぱんと手を合わせた。永久の体から小さな光の泡が立ち始め、その輝きの眩しさに思わず命は目を瞑る。

 目を開けると、背中に命を乗せて走れそうな大きさの狐がいた。

「……永久なの?」

「うん。人間の姿じゃないから、畳で寝てもいい?」

 大きな顎は命の頭を丸かじりできそうで、その腕で踏みつけられたら簡単に骨が折れそうなほどの威圧感だ。

 けれど、ぴこぴこ動く耳や、ゆらゆら揺れるしっぽが、命の心を落ち着かせる。

 おそるおそる毛皮に触れてみると、もふもふの触り心地だ。

「もふもふの癒やし」

 思わず抱きつくと、永久はざらりと頬を舐めた。

「抱きついてもいいけど、しっぽは触っちゃダメだよ」

「やっぱりしっぽはダメなのね」

 腹に顔を埋めて思う存分吸って、柔らかな毛並みと温かなぬくもりを堪能し、名残惜しげに離れた。永久は不思議そうに首を傾げている。

「人間の姿だとダメで、獣の姿だといいって。人間は不思議だな」

「うっ……まあ、気持ちの問題よ。その姿でも布団の中、入ってきちゃだめよ」

「この体は大きすぎて布団に入らないよ。それに爪で布団を破いちゃいそうだし」

 手には鋭い爪は見えた。畳を傷つけないように、頑張っているらしい。

「そう、ならいいわ。おやすみなさい」

 お腹いっぱいで、もふもふの癒やしで気が緩んだら限界だった。電気を消して布団に潜り込む。

 夢もみないほど、ぐっすりと眠った。


 カーテンを閉め忘れた窓から、朝日が降り注ぐ。

「命さん。朝だよ。起きて」

「……うーん。もうちょっと寝たい……ん? ひぇっ!」

 惰眠を貪る体を揺さぶられ、しかたなく目を開けて、命は思わず大きな声をあげた。

 目をあけると間近で金色の瞳と目が合った。狐耳はついているが人型の永久だ。朝から間近にイケメンの顔を見て、思わず顔が赤くなる。

「永久! 布団に入っちゃダメって言ったでしょ」

「入ってないよ」

「何で人の姿なの」

「だって声をかけても起きないし、狐の姿で触ったら踏み潰しちゃいそうだったから」

 さっと時計を確認すると、確かに予定より寝過ぎた。何がいけないのか理解していない永久は、こてりと首を傾げ、ずいと迫る。

「今日は店を開くから、早く起きるって言ったの命さんでしょ。なのにいつまでたっても起きないから起こしてあげたんだよ。だめなの?」

 また間近に迫ってきた顔をぺしっと叩く。起こして貰うのはありがたかったが、起き抜けに美青年のどアップは、心臓に悪い。

「……近い」

「狐の姿だと命さんは抱きつくのに、どうして人の姿だと怒るの? 人間ってよくわからないな……」

 呆れるようにため息をつかれ、命は深く反省した。ペット扱いしてもふもふなんてしたから、距離感が近くなってしまったのだ。

 見た目は成人でも中身は子供と、心の中でぶつぶつ唱えていると、また永久の顔が間近に迫る。肩を掴んで押し返そうとしたが動かない。

「とにかく人間の男と女が一緒の布団はダメなの」

「男と女……ああ、つがいか」

 何か理解したという顔で頷いて、艶っぽい笑みを浮かべながら微笑んだ。

「命さんは僕と番いになりたいの?」

 番い……というとだいぶ動物的だが、恋人のような物だろうか? 慌てて横にぶんぶんと頭を振った。

「ペット兼従業員。番いは、ダメ、絶対」

「命さんがぺっとでいてほしいなら、僕はぺっとでいいよ」

 艶のような笑みが消え、無邪気な笑顔に戻る。

 命ははぁ……とため息をついて思う。やっぱりあやかしに油断はできない。早く布団を買わなきゃ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る