4話
鉄爺こと鉄瓶のあやかしに水を入れて囲炉裏に吊す。狐火の炎で沸かすと、注ぎ口から湯気がでた。
永久はにこにこと甘えるように高い声で鳴く。
「ねぇ。
「お茶はともかく、お菓子か……オープンは明日だから、主な食材は明日納品なのよね」
調味料はそろっているが食材に乏しい。
業務用の立派な冷蔵庫を開けると、寒々しいくらいに物がなく、朝食用に買った卵と牛乳とバターだけがぽつんと残されていた。
それを見て、命はぽんと手を打つ。
「プリンなら作れそうね」
「ぷりん? それはどんな菓子?」
「作るから待ってて」
片手鍋に水と砂糖を入れて煮詰め、焦げ茶色のカラメルを作る。牛乳をレンジで温め、砂糖を溶かしておく。
ボールに卵を割り、よくかき混ぜて牛乳を加え、裏ごしした。丁寧な裏ごしが滑らかな食感のポイントだ。
手早く作りつつ、命はこのプリンの由来を語った。
「子供の頃、お父さんがよく作ってくれたの」
「お父さんが? どんなお父さんなの? 聞かせて、聞かせて」
何が気に入ったのか知らないが、永久の目が輝いて、しっぽを振りながら話の続きをねだる。
「お父さんはお茶を輸入販売する茶商だったの。本当にお茶が好きな人で、子供のように無邪気に笑いながらお茶の話をするお父さんが、私は大好きで」
「お父さんが大好きだったんだね。うん、すごくいいな……」
「そう? 自分でもちょっとファザコンかなって思うのだけど」
「ふぁざこんは、知らないけど、お父さんが好きな命さんが、僕は好きだな」
何がそんなに良かったのか、命には解らなかったが、永久が楽しそうだから「まいっか」と呟いて作業に戻る。
器にカラメルを敷き、その上に卵液を流し込む。コンロの上の蒸し器に器をいれて、十分ほど蒸す。
蒸し上がるのを待つ間、子供の頃の父と過ごした日々を想い出した。温かく優しい気持ちが広がっていく。
だが、しかし、その気持ちはすぐにしぼんで、後に残るのはずしんと響く事実。
父はある日突然帰ってこなくなった。
「お父さんは……神隠しにあったのかも」
ぽつりとつぶやいて、はっと気がつき顔をあげた。神隠しだなんて、まるであやかしを責めるような言葉、永久に聞かせてよかったのだろうかと焦る。
永久は能面のように感情の乏しい顔で、こちらをじっと見ていた。落ち着いた声色で淡々と語る。
「神隠し。あるかもしれないね。あやかしにさらわれたり、マヨヒガに迷い込んだり」
「……永久を責めてるわけじゃないのよ。あやかしにも、良いあやかし、悪いあやかし、色々いるのでしょう? 永久は良いあやかしよ」
「あやかしに良いも悪いもないよ。ただ、僕は命さんとお茶を飲んだり、お店を手伝うのが楽しい。命さんを喰らったり、さらったりするより好き。だから怖いことはしない」
「……人を喰らうの?」
「昔はね」
急に部屋の温度が下がったように、悪寒が走り、冷や汗が止まらない。
永久は害のないあやかし。そう思い込んでいたけど、もしかしたら気が変わって、自分を食べる日が来るのだろうか? 命の表情が思わず強ばった。
ぴぴぴ……タイマーが鳴る音がしてはっと我に返る。
蒸し器からプリンを取り出し、竹串で刺して蒸し具合を確認する。震える手を押さえて深呼吸した。
「まいっか」
永久は自分に危害を加える気がない。そう結論づけて、永久を恐れる気持ちに蓋をして料理に戻る。
プリンの粗熱を取る間に、お茶を淹れる準備をする。手を動かして、作業に集中して、永久が人食いあやかしだという事実から目を逸らして。
「命さん。今日はどんなお茶を淹れてくれるの?」
カウンターの向こうで、永久は子供のようににこにこ笑う。その問いかけが愛らしく、思わず緊張が抜けて、自然と笑みが零れた。
「今日はプリンに合わせて宮崎・五ヶ瀬の釜炒り緑茶にしましょう。洋菓子には紅茶って思われるけど、緑茶だって合うのよ。このカフェでは、和菓子、洋菓子に軽食、緑茶・紅茶・ウーロン茶を自由に組み合わせられるようにしたいの」
お茶の固定概念を外して、お茶の色んな可能性を知ってもらいたい。あまりにも命が語り過ぎて、はっと我に返ると三十分くらいたっていた。プリンがすっかり冷めている。
「……語り過ぎたわね」
「語り過ぎちゃダメなの?」
「あまり喋りすぎると人に引かれるのよ」
相手が聞き飽きてるのにも気づかず語り続けて、何度怒られたことか。しかし永久は怒るどころか、にこやかなまま無邪気に答える。
「僕は命さんが話す、お茶の話を聞くの好き。だからもっと聞いていたい」
「……ありがとう」
好きなことをいくら喋っても、飽きずに聞いてくれるのが嬉しい。
急須の蓋を開け、茶碗を用意し、両方に鉄瓶のお湯を注ぐ。急須を温めている間に、お茶缶を開けた。ふわりと漂う茶の香りが心地よく、思わずうっとり。茶さじで急須の大きさに合わせて測る。
「緑茶は種類によって、適温が違うの。この釜炒り緑茶は高温で九十度くらいが適正ね」
「きゅうじゅうど?」
「お湯がどれくらい熱いかの目安」
永久に解りやすいようにと温度計を見せた。急須のお湯を捨てて、茶葉を入れ、茶碗のお湯を移す。
「器に沸騰したお湯を注ぐと十度下がる。茶碗に注いで少し冷ましたお湯を急須に注ぐとちょうど良いわ」
永久はくんと鼻を鳴らし、にぱっと笑う。
「良い香り」
「はい、どうぞ。冷めないうちに、まずは一口」
茶碗に注いで差し出すと、永久は丁寧な仕草で受け取った。永久の仕草は一つ一つ上品で綺麗だ。姿形だけでなく、居住まいが美しいのも美青年の条件なのかもしれない。
ごくり。一口飲んでふわっと微笑んだ。
「鼻に抜けるようにふわっと香る。草原みたいな爽やかさだ。でも、味はこの前のおにぎりの時より、濃くない?」
「よく味の違いが解るわね。良い舌を持ってるのは良いことだわ」
永久に最初に会った時に淹れたお茶は、埼玉の狭山茶だ。
「狭山茶は深蒸し、この宮崎のお茶は釜炒り。お茶の葉を元に作り方が違うの」
緑茶は生の葉が発酵する前に、発酵を止めるために加熱する
殺青の時に、蒸し器で蒸すのが深蒸し。釜で炒るのが釜炒りだ。
「深蒸しは味のお茶、釜炒りは香りのお茶。好みや食べ物との相性、その日の気分で色んなお茶を楽しむのも良いでしょう」
「握り飯には濃い味があって、甘味には優しい味と香りのお茶があうということ?」
「そういうこと。はい、プリンもどうぞ。本当は冷蔵庫で冷やした方がいいのだけど、今日は時間ないから。スプーンですくって食べて」
「ぷりん! 凄い、匙ですくうとぷるんとしてるよ。いただきます」
きちんと挨拶してから、はむっと口にする。目を見開き、頬を押さえて永久の体がゆらゆら揺れる。よほど美味しかったらしい。
「甘い! 柔らかい! これ、卵と牛乳と砂糖だけで作ったの? どんな
はしゃぐ声が、いつもより高い。よほど嬉しいのだろう。
「
一口食べると優しい味が広がった。バニラエッセンスも入ってない味は素朴で。市販品よりずっと甘さ控えめだが、そのぶんカラメルの濃厚な甘さが引き立つ。
優しい甘さのプリンを食べ、釜炒り緑茶を一口。心地よい渋みと軽やかな味が甘さをさっぱり洗い流し、爽やかな香りがすーっと余韻に残る。
「うん。やっぱりこの組み合わせは最高ね。お父さんもプリンに釜炒り緑茶を合わせるのが好きだったの……永久?」
無邪気に笑いながら食べていた永久の目尻に涙が浮かんでる。
命が驚いた表情を浮かべたので、永久もやっと自分の異変に気づいたようだ。
「あ、あれ? おかしいな。あんまり美味しいと、びっくりして人間みたいに涙が出るのかな?」
「急に泣き出したからどうしたのかと思ったけど、嬉し泣きならよかった。まだプリンはたくさんあるから、好きなだけ食べていいわよ」
「ありがとう。嬉しいな。僕、このプリンが大好きになったよ。毎日食べたい」
「そうね……メニューにくわえようかしら?」
「売れ残ったら、またプリンを食べられる?」
「店としては売れ残らないほうが嬉しいけどね」
プリンとカラメルの甘い匂いと、お茶の爽やかな香りが漂うカフェで、二人きりのティータイムを楽しんだ。
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