3話
奥多摩町では空き家の古民家が増えすぎて困っているらしく、0円でも家を手放したい家主と、奥多摩に新しく住みたい人を繋ぐ「0円空き家バンク」という事業がある。
だから永久が眠っていた古民家をカフェにする申請はあっさり通った。
リフォーム会社に工事してもらい、カフェの開業準備で忙しく過ごすうちに、あっという間に桜は散って葉桜の季節になった。
「……やっと引っ越し終わった」
居間と隣の部屋と廊下をぶち抜き、土足で上がれるフローリングに替えた。
見上げると高い天井に太い梁が横たわる。梁の下につけたサーキュレーターが部屋の空気をかき回している。
梁の上に置いた小型のスピーカーからボサノバが流れる。
使いやすく改装したキッチンは綺麗で、一枚板を使ったカウンターテーブルは命のお気に入り。
この家が建てられたのは明治の終わりのようで、ハイカラなアールデコ風の欄間が、レトロな雰囲気を醸し出している。
欄間の下のガラスの引き戸から庭が見え、庭の向こうは渓谷だ。崖下には多摩川が流れる。引き戸を開けると川が流れる涼しげな音がした。
古民家らしい風情を残したまま、清潔感のあるカフェに作り上げられたことに、命は満足していた。
「お疲れ様。命さん」
「永久。荷物運び手伝ってくれてありがとう。まさか変身できるとは思わなかったけど」
目の前に立つ永久の髪と瞳は黒く、耳もしっぽもなく、シャツとカフェエプロンを身につけた姿は、普通のカフェ定員にしか見えない。
……イケメン過ぎて普通とは言えないかもしれないが。
「当世風の装いというのは、どういう物でしょう?」
そう問われて、カフェ雑誌の写真を見せたら、この姿に変身したのだ。
「店で働くと、命さんと約束したからね」
「ペット兼従業員がただ。凄いお得ね」
「ふふっ命さんは相変わらず前向きだね。……心配になるくらい」
ためいきをついて、真顔で言った。
「僕以外のあやかしを家に入れてはだめだよ。危ないから」
「うん。それはいいけど、あれもあやかしじゃないの?」
この家に入った時からずっと気になっていた。部屋の隅にふわふわと白い綿毛のような物が転がっている。
「あれはケセランパサランという、家に幸運をもたらすあやかし」
「けせらんぱせらん? ずいぶん変わった名前のあやかしね」
「江戸時代くらいに生まれた新しいあやかしだからかな」
座敷童のようなものかもしれない。だが……さっきより増えてる気がする。
「放っておいても害はないし、命さん以外の人間には見えない。命さんの店が繁盛するといいね」
永久がニコニコしているので、私もほっと気が緩んだ。害のない幸運をもたらす妖怪なら……。
「まいっか」
試しに指先でケセランパサランをつんつんつついてみるが、鳴き声一つあげずに、ころころ転がっている。見慣れてくると案外可愛いかもしれない。
「いつ入ってきたのかしら?」
「この家にずっといたんだと思う」
「え? ずっとこの家に? 私は初めて見たけれど」
「普通の人間にあやかしは見えないから。でも、命さんはもう普通ではない、あやかしが見える人間だよ」
「私が普通じゃない? いつから?」
「僕のご主人様になった時から」
えへんと、胸をはって誇らしげに言ったあと、人差し指をたてて、唇に添えた。少しだけ色気を漂わせて、目を細める。
「命さん。言葉には言霊が宿っているんだよ。命さんは僕をぺっとにしたいと思ったのでしょう? そう思って僕の名前を呼んだとき、僕と命さんは契約したんだ」
「そんな契約知らないけど……」
「知らなくても、言葉にしたことは、なかったことにはならない。僕は永久。永久に命さんのそばにいる」
そう言いながら、嬉しそうに私の髪を撫でる。そんな重い想いのこもった名前とは思わなかった。
「……まいっか」
拾ったペットが、面倒くさい性格しているのを忘れることにした。それより気になるのはケセランパサランだ。
「他の人に見えなくても、テーブルの上に乗られると、私が気になって仕方がないんだけど」
「……では、定期的に掃除させましょう」
永久がパンと両手を合わせると、手のひらサイズの子狐が現れた。駅から案内してくれた子だ。
「あっ! その子狐」
「
管狐はテーブルに乗るケセランパサランをたたき落とし、雪だるまを作るように転がして、部屋の隅に運んでいく。見ているだけで和む愛らしい風景だ。
「その子に誘われてこの家に来たの。主人のピンチに呼ばれたのかしら?」
その時ふと思いつく。新宿で電車に乗ったとき、ふわりと浮かんだ白い綿毛。あれもケセランパサランだったのでは?
「……まさかね。奥多摩ならともかく新宿駅でなんて」
「どうかしたの?」
「ううん。何でもない。それより、この家変わってるわね。特にあれ」
命はカフェの中心にある囲炉裏を指さす。
居間の大部分は改装してもらったのだが、風情のある囲炉裏をなくしてしまうのはもったいない気がしてオブジェのように残した。
その隣に太い大黒柱が立っている。
「囲炉裏でお湯を沸かせたら良いのだけど、なんで近くに大黒柱があるのかしら? 囲炉裏で火を炊いたら燃えそうで怖いわ」
「大丈夫。あそこで燃やすのは僕の狐火だけだから。僕が燃やすと決めた物以外燃えない」
そう言ってふっと息を吹きかけると囲炉裏に赤い火がつく。狐火は赤くもできるらしい。
「凄い便利ね」
「もし命さんに危害をくわえる悪い人間がいたら、この火で燃やす」
「いや?! それ燃やしちゃダメだから」
「だめなの? 何で?」
まるで子供が「どうして虫を殺しちゃいけないの?」と尋ねるように、純粋に聞かれると、どう説明して良いかわからない。
「何でも何も、人を燃やしちゃいけません」
「……よくわからないけど、命さんがそういうなら、人は燃やさないようにするよ」
人間と同じような見た目でも、やっぱり中身は人じゃないんだな。当たり前の常識や倫理観に欠けている。めらめらと燃える狐火を見つめて、ほうと息を吐いた。
ぱちぱちと炭が爆ぜる音が聞こえるのに、不思議と煙は出ていない。
「煤は出ないのね。……うん、まいっか」
誰もきっと、この囲炉裏の火がおかしいなんて、思わないだろう。気持ちを切り替えて囲炉裏にかけられそうな器具を探すが、どうにも気に入らない。
「……うーん、囲炉裏にヤカンだと違和感があるわね。鉄瓶が欲しいな」
「あるよ。裏の蔵に」
「あるの?」
永久に案内され、家の裏に回ると立派な土蔵があった。
「ああ、これ。開かないし使わないから、しばらく放置しようと思ってたのよね」
「開かないのは僕が封印してたからだよ。ほらね」
永久が扉にちょんと人差し指をつけると、かちゃりと鍵が開く音がした。あっさり扉を開くと、中からカビっぽい湿った空気が漏れ出す。
少し換気してから中に入ると、物が雑然と置かれた物置だった。
「鉄瓶は……あっちだね」
永久が棚を指し示すと、食器類がしまわれていた。古めかしい風情のある鉄瓶を手に取って命は微笑む。
「前から鉄瓶欲しかったけど、買うと高いから我慢してたのよね。ほこりは被ってるけど、錆びてないし、手入れすればきちんと使えそう」
『当然じゃな。わしは錆びぬ』
しわがれた老人のような声が聞こえて、命は思わず耳を疑った。
『永久。このおなごはお前さんの嫁か』
「命さんは僕のご主人様で、雇い主です。鉄爺」
永久が鉄瓶に向かって話しかけるので、じっと目をこらすと、鉄瓶に目と口が見えた。命は驚いて鉄瓶を落としかけ、永久に拾われる。
『わしをぞんざいに扱うでない!』
「永久……これは?」
「
良く見れば、他の食器にも目や口が見えて、しきりに騒ぎだした。
『永久、もっとまめに蔵の空気を入れ換えてよ。ああ……新鮮な空気は美味しい』
『主人ということは、この家の新しい主か。俺達の出番がまたあるのか?』
『鉄爺だけ持って行くつもり? ずるい。僕もここから出してよ』
お銚子が、茶碗が、お椀が、喋る光景に命は驚いて言葉を失って、落ち着くために深呼吸する。
お銚子がじっと命を見つめて言った。
『ねえ、私を神棚に飾ってよ。あそこから見下ろす景色が好きなの』
「神棚? ああ、そういうのもあったわね」
居間の一角に神棚のスペースはあったが空だった。あそこに置く道具もこの蔵の中にありそうだ。
「でも喋ったりしないでね。お客さんが驚くから」
「大丈夫だよ、命さん。付喪神の声が聞こえるのは命さんだけだから」
……つまり、私が気にしなければ、ただの食器らしい。急に話しかけられて驚いたりしないだろうか……。
「まいっか。使える食器が増えるのは良いことよね」
難しく考えず、前向きに、ポジティブに。そうじゃないとこの家には住めない。
蔵から食器を運び出す途中、命は蔵の中で和綴じの本を見つけた。
「これは?」
「前の住人の残した書き物だね」
日記みたいなものだろうか? どんな人が住んでいたのか気になって、ぺらりと開いて見る。筆文字の崩し字で何か書かれていた。
「……達筆すぎて読めない。ねえ、なんて書いてあるの?」
「知らない。僕も読めない」
「前の住人ってどんな人?」
「秘密」
もったいぶって答えないのが怪しい気がしたが、命は素直に諦めた。
「まいっか」
そう呟いて本は蔵の中に残した。
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