第31話 清盛塚②


 「……」


 「……」


 互いに無言。絵を描いている時はいつもの事なのだが、そこに気まずさは無い。

 聞こえるのは波の音と、橋を渡る車の音と、時折聞こえて来る船の汽笛の音。それに自分の描く、紙と鉛筆が擦れる音だけだ。

 スケッチブックに鉛筆を走らせ、形や距離感が狂っていないか何度も風景と見合わせる。

 今回は僕も東條さんと同じように、風景デッサンをやっている。今日は学校に戻らず、そのまま家に帰る予定なので、画材は最低限のものしか持って来てないからだ。



_______



 「……ふう……」


 ある程度描いたところで、僕は一息つく。座っていたベンチから背伸びをすると、背骨がパキポキと、音を立てているのが分かった。


 「今日は一段と集中してるね」


 すると横から、東條さんの声がした。同じベンチに座って描いていた筈だが、彼女はいつも通りにもうスケッチブックをしまっていて、僕が絵を描いている様を見ていたのだろう。


 「今、何時ぐらいかのう?」

 

 「もう5時半。2時間くらいずっと集中してたから、声を掛けないほうが良いかなーって」


 ……そんなに没頭していたのか。確かに陽はもう傾き始めていて、夕方になっているのが分かった。

 まだ描こうと思えば描けるが、キリがいいので今日なここまでにしておこう。


 「退屈せんかったか?」


 「ううん、そうでもないかな」

 

 いつものやり取りをする。屋上でいつも僕達がやる問答だ。

 下校時間になり、自分の描いた絵を片付ける前に、僕は彼女にいつも"退屈しなかったのか"と聞く。そうすると彼女は決まって"そうでもないかな"と返すのだ。

 所謂テンプレではあるが、これが今日の部活の終わりを告げる合図にもなっている。

 僕は「ほうか」と短く一言だけ言ってスケッチブックをバッグに仕舞う。このやり取りをする事で、何だか今日一日が締まる様な感触も覚える。

 僕のお気に入りの、彼女とのやり取りだった。


 「やっぱり、ここはいつ来てもええのう」


 再度、景色を見ながら僕はそう呟く。

 夕方の音戸の瀬戸は、そのノスタルジックな雰囲気をさらに強いものにする。赤い音戸大橋は夕陽によって、さらに赤く燃え上がり、島の建物も、海面も、渡し船も、はたまた島の影までもがオレンジ色に染め上げられる。


 17年間僕はここで生きているが、この景色だけはずっと見ていられる自信がある。


 そんな景色を、清盛塚から東條さんもボーッと見ていた。


 「……やっぱり、私この島に引っ越して来て良かった」


 それが心からの言葉なのは直ぐに分かった。夕陽に照らされた彼女のその瞳は潤んでいる様に見えて、僕は初恋をしたあの日のことを思い出していた。


 あの日も今日の様に、燃える様な夕陽が音戸の瀬戸ここを照らしていたのだ。


 「……ええところじゃろう?ここは」


 「……うん」


 交わした言葉はこれだけだが、それだけでも彼女がこの島を好きになってくれている事が分かった。

 それと同時に自覚する。


 ___やはり僕は、彼女のことが好きなのだろう。


 そう自分の中で再確認をすると、僕は次の言葉を緊張もせず、自然に言えた。




 「なあ、東條さん。7月の末に花火大会があるんじゃけど、一緒に行かんか?」




 この時、メールでは無く自分の言葉で言えた事は、今でも誇りだ。


 

 

 


 

 

 

 

 

 

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