第3話 屋上と幼馴染


 「おい、蓮、見に行くで」


 「見に行くって、何を?」


 放課後、康介から唐突にそんな事を言われて、僕は目を丸くする。


 「転校生じゃ。昼休みの騒ぎに気付かんかったんか?」


 どうやら転校生が来たという噂話は本当だったらしい。


 「いいや、全く」


 昼休みは用事があったので全く気付かなかった。何かあったのだろうか?


 「どうも転校生さん、ぶち美人さんらしいで。今も4組の教室に行列が出来とる」


 なるほど、妙に康介の鼻息が荒いのはそういう理由か。


 「……僕はええよ。これからやる事あるし」


 しかし、僕には予定があったし、あまり興味が湧かなかった。

 何だか新しいものに群がるミーハーな感じになるのが嫌だった。

 それに放課後にまでその転校生のところへ押しかけるのは、失礼だと思ったのだ。


 「また屋上に行くんか、よう飽きんのう」


 呆れてそう言う康介に、僕は少しムスっとなる。

 「ええじゃろ別に」

 放課後の行動まで、友人に指定される謂れは無い。

 「女よりも絵ですか。ホンマ青春を無駄に費やしとるのう」

 康介が軽口を飛ばす。男友達にありがちな、ちょっとした悪口だ。

 「うっさいわ。とにかく、僕は行かんぞ」

 僕は軽口に軽口で返すと、荷物をまとめて教室の出口へ向かう。

 「お前も、迷惑がかからん程度にしいよ」

 教室を出る直前、釘を刺すように康介に向かってそう言う。

 「分かっとるって」

 その返事を聞いて、僕は屋上へと向かった。



 途中、4組の前を通ったが、やはり喧しかった。

 チラッと覗いてみると、一つの席の前に人だかりが出来ている。姿は見えないが、恐らくあの中に件の転校生が居るのだろう。

 僕は質問攻めされているであろう転校生に"ご愁傷様"と同情の念を送りながら、屋上へと向かった。





 「今日はどの構図で描こうかのう」


 僕が屋上に来る理由、それは風景画を描く為だ。

 僕がこの高校に入学した時から、雨の日以外、毎日欠かさず描いている日課だ。校舎の屋上で描く事が多いが、偶に呉の市街地まで出たり、音戸の瀬戸まで出向いたりしたりと、ロケーションを変える事も多々ある。


 呉の街は港の近くまで山が迫っており、山の斜面に沿って強引に市街地を建てたので坂道が多い。

 かく言うここ、宮浦高校も校舎が坂の途中に建っており、屋上からは呉の市街地や港が一望できるのだ。


 つまり、ここは絶好のロケーションなのである。


 「うーん………」


 両手の人差し指と親指で四角を作り、その間から風景を覗く。よく画家などがやるポーズだ。


 屋上から見える景色は大きく分けて3つ。右手を見ると呉の市街地が一望でき、奥には灰ケ峰の山が見える。バランスの良い構図だ。

 正面には手前に造船所があり、その隣に視線を移すと、海上自衛隊の船が停泊しているのが見える。奥の方は海面と、その先には江田島がよく見える。ここの構図は、船の大きさを背景と合わすのに苦労する。

 そして左手には、全身赤茶色に錆びた様な大きな製鉄所が構える。スチームパンクの世界のようなそれは。無数のパイプが全体に張り巡らされており、幾何学的な細かな描写を必要とする。


 このバリエーション豊富な景色が、ずっと屋上で絵を描く僕を飽きさせない理由なのだ。


 「……よし、今日はここにしよう」


 構図を決めると、イーゼルと呼ばれる絵を描く為の台を置き、絵画用の鉛筆を取り出す。

 まずは鉛筆であたりを大まかに描いて形を取り、そこから色を乗せるのが、僕のやり方だ。




 「あ、おったおった。蓮ー!!またここで絵を描いちょるんか!!」


 しばらく描いていると、背後から女性の声がした。……この元気の良い声には聞き覚えがありすぎる。邪魔されて少し不機嫌になるも、表情に出ない様に振り返る。


 「……なんね、由美かいな。何か用?」


 僕の目の前に立っていたのは、末藤由美すえどうゆみと言う少女。同い年で小さめの身長に明るいショートボブの髪型、目はくりっとしていてとにかくうるさいのが特徴な僕の幼馴染だ。

 彼女は弓道部に属していて、この時間は部活の筈なのだが、何故ここにいるのだろう?


 「教科書!返すの忘れとった!!はいこれ!!」


 すると、目の前に歴史の教科書を差し出された。そうだ。今日の昼休みに忘れたから貸してくれと頼まれて、貸したままだったのだ。

 「今渡さんでもええじゃろう。明日会ったら渡せばええのに」

 由美は僕の事を探し回っていたのか、少し息が上がっていた。

 「いやー、明日に回したらウチ多分借りた事忘れるけえなー」

 頭を掻いて笑顔でそう言う由美。……確かに昔から忘れっぽいのでそうなる可能性は十分にあった。

 しかし、息を切らしてまで僕の事を探し回る事は無いだろうに……

 「ともかくありがとう。明日ちょうど授業じゃったけえ助かるわ」

 とりあえず教科書を受け取ると、由美は何かを期待した様な顔でこっちをジッと見つめてくる。

 少し、嫌な予感がした。


 「……何?」


 「せっかく走り回って見つけたんじゃけえ、何かご褒美があってもええかなーって」


 どうやら教科書を返したご褒美が欲しいらしい。


 「アホか、元々お前が借りたもんじゃろうに。俺がご褒美を貰うんは分かるが何でお前にあげんにゃいけんのじゃ」


 傲慢とは正にこの事だろう。なぜ感謝される立場の人間が、しなきゃいけない側の人間に褒美を与えなければならないのか。

 「ぶー、せめて喉乾いたけえジュース代でもくれんか?ホラ、この通り!!」

 そう言って両手を合わせて頭を下げる由美。


 「……やらんぞ」


 「そこをどうか!!」

 だが、彼女は引き下がらない。正直、ジュースくらい自分の金で買って欲しいものである。


 「おねがぁい……」


 今度は上目遣いでそう聞いてきた。


 「うっ……」


 瞳を少し潤ませた、小動物の様な目。僕はこの目に弱い。


 「……しゃあないのう」


 あまりにも必死なものなので、根負けした僕は財布から120円を取り出す。

 この様に、末籐由美と言う人間は、人に取り入る能力がめちゃくちゃ高い。確か弓道部の先輩達からも相当可愛がられていると、康介から聞いたことがある。


 「へへっ、しゃーせんねえー」


 しかし由美は現金をもらった瞬間、悪い笑顔になる。先程の懇願していた彼女とは大違いだ。この猫被りもいつもの事で、大きなため息が出る。


 「はぁ……」


 ……本当に先輩達に可愛がられているのだろうか?少し心配になった。

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