第19話
華やかな王都にも、スラム街はある。
王都にまで来れば仕事にありつけるだろうと、地方からやって来る若い労働者は多い。
しかし、考えることは皆同じな訳で、王都もそんな労働者で溢れかえってしまっている。
そうして満足に仕事にありつけず、食い扶持を得ることが出来ず、かといって故郷にも帰れずにどこにも行き場を無くした若者たちが量産される。
そういった者たちは、若い女であれば人攫いにあい歓楽街に売られていき、その他はギャングの構成員となる他ない。
そうしてギャングたちの巣窟となって、このスラム街は出来た。
王の居城へ向かう街道からほんの少し外れただけで、薬物中毒者が路地に寝そべり、違法なキメラ手術を受けたゴロツキどもが睨みをきかせている。
王都と言っても、一皮剥けば他の都市と変わりがない。
そんなスラム街の、さらに北端。
場違いなほど豪奢な建物。
俺は、緑豊かな庭を抜け、窓を蹴破り、中へと侵入する。
廊下には鮮やかな絨毯が敷かれ、シャンデリアが吊り下がり、華美な家具や芸術品が並んでいる。
それらを尻目に、俺は長い長い廊下を進む。たどり着いた大きな扉を体当たりでぶち破り、部屋の中へ入る。
そこにいたのは、世界で流通する麻薬の約8割を牛耳り、一代で世界最大の大富豪としてのし上がった麻薬王、デルト・コルネオである。
顔にある大きな傷。醜悪な容姿。
巨大な執務室の中央で真っ直ぐに立ち、待ち構えていた。
齢90を超える老人のはずだが、その立ち姿はまるで、地面から直接生えているかのごとく真っ直ぐで、ブレが一切ない。全身に気力が満ち溢れている証拠だ。
「……来たか、狂人め」
コルネオの声は、潜り抜けた生涯の苦難を現すかのように、低く重厚だった。
……数百年前。世界から油が失われ、火によるエネルギーが生み出せなくなり、文化が散逸した。
その後、カンパニーが生体エネルギーの効率的な運用に成功。人々の暮らしは、この100年ほどで急速に良くなり、文明が再興されていった。
人々の暮らしが楽になると、段々と娯楽や嗜好品が価値を持つようになる。そうなると、世の中には、そういった娯楽や嗜好品を憎み、堕落であり、撲滅すべきと考える人々が必ず現れる。これはいつの時代も繰り返し起きてきた出来事だ。
次々と規制や禁止となる煙草や酒といった嗜好品。コルネオは若い頃、それを違法に流通させることで巨万の民を築いた。
そうしてコルネオは、次第に商売を酒や煙草から麻薬へ変えていき、最終的には世界で最大の大富豪となり、大きな影響力を持つようになった。
今や、コルネオの手を経ずに麻薬も酒も煙草も入手することはできず、王都の貴族や議会は行き過ぎた規制を大きな間違いであったと反省するに至った。
激動の時代を、その身ひとつでのし上がった麻薬王。
それが、この老人だ。
「……もっと、マフィアの警備があると想像していたんだが」
ここにくるまでに、警備は一人もいなかった。
この男が一声かければ、集まってくる兵隊は1000人ではきかないはずだ。なぜ、警護をつけなかったのか。
「───ダフネは、私の娘だ」
俺と会話するつもりはないらしい。俺のことを無視して、コルネオは、腰に下げた棒───木製の鞘から、黒い金属を引き抜く。
金属。そう、金属だ。
炎を扱うことが重罪となった今、製造し鍛錬するための鍛冶場を持つことも重罪となった、鋼鉄だ。
長さ1メートルの、直刀。
ダフネが娘。
コルネオは、確かにそう言った。
ダフネが、あのみすぼらしい娼婦が、世界一の金持ちであるこの男の肉親だという。
ニワカには信じられない話だ。
「これは、儂が自ら鉄鉱石を集め、古の文献を解読し、この手で打ち鍛えたものだ」
刀を上段に構えるその姿は、ひとつの揺らぎもない。俺が少しでも隙を見せれば、一刀両断されるだろう。
伊達に修羅場をくぐって来ていない、ということか。
「ダフネは、儂を裏切ったのだ」
刀を構えたまま、コルネオは語る。
「ダフネは儂が年老いてから出来た娘だ。暗黒街で権力を持つようになってから、儂は常に命を狙われた。誰も信用することができず、子供など諦めていた」
俺は、右手に力場を展開。
この接近戦だ。呼び出す銃は、コルト・シングル・アクション・アーミー。
狙うは、
「しかし20年前。儂にも唯一、信頼できる家族が出来た。バイオクローンによって、娘を作り出した。それがダフネだ」
ゆっくりと、お互いに同じ分の距離を保ったまま、同じ方向に回る。
コルネオは上段に刀を構えたまま、俺は腰に銃を構えたままの姿勢で。
「儂はダフネを愛した。ダフネは、儂の唯一の拠り所だった。ダフネは王族に嫁がせ、汚い儂と違い、美しい世界で一生を生きさせるつもりだった」
達人同士であっても、至近距離では速射より刃物の方が早い。同時に仕掛ければ、死ぬのは俺の方だ。
それはコルネオも分かっている。だから、俺の仕掛けを見てから斬り殺すつもりだ。
俺は、コルネオの気力の揺らぎ、隙を見つけて、その瞬間に反撃させる間も無く決着をつけるしかない。
「だがダフネは、ある日突然、儂の前から姿を消した。儂は全身が引き裂かれるように苦しんだ。次に見つけたあの子は、場末の娼婦になぞなっていた」
コルネオは涙すら流しながら、続ける。
「アレは、儂の愛情を仇で返したのだ。だから殺したのだ。親子の情が、貴様にわかるか? 最後にあの子は、貴様と同居していたそうだな。これは、儂があの子と決別するための計算──決闘だ」
コルネオの全身には気迫が満ちている。
鋭い踏み込み……来る!
目の前の景色が静止する。無数の未来が、俺の目に映し出される。
俺はその景色からコルネオの太刀筋を読み取り、なんとか躱す未来を選びとる。
無理やり身体を捻る。傷口が開き、血が吹き出す。
なんとか一撃目を外すことができた。
コルネオは、全力で刀を振り下ろしたので、体勢が伸びきり、大きな隙を晒している。
俺は無理やり捻った上半身を引き戻し、コルトSAAの銃口を向けようとする。
「………!!」
コルネオは、裂帛の気迫とともに身体を翻す。見れば、足元は完全には開ききっておらず、力を残した状態だ。
初撃は囮。本命は、誘いに乗って動いた俺を狩る算段か。
俺は離れようとするがもう遅い。上着の掴まれると、俺の視界が一回転。背中に激痛。
どうやら俺は、投げられたようだ。
「がっ……」
背中を勢いよく打ちつけたので、肺から強制的に空気が排出される。痛みと酸欠で目の前がチカチカする。
刃を持ったままで人間を投げるとは、なんて戦い慣れたやつだ。
見れば、コルネオは倒れた俺に向けて、再び上段からの唐竹割りでトドメを刺すつもりだ。
俺は必死で起き上がり、銃で反撃をしようとする。
しかし、コルネオはそれを予想していたように、上段に構えたまま半歩後退。俺の射線を外す。
気合一閃。
コルネオの、必殺の一撃が振り下ろされた。
「ごふっ」
コルネオの身体から、血が溢れ出た。
勝ったのは俺で、コルネオは負けた。
コルネオが上段から刀を振り下ろしたのと、俺のコルトSAAが発射したのは、ほぼ同時だった。
俺は、コルネオが俺の反撃を予想して半歩下がることを、更に読んでいた。
裏の裏を読んだ、一瞬の判断が奇跡的に噛み合った。
俺は、コルネオの一撃を受けようとするのでも無く、反撃しようとするのでも無く、コルネオの後退に合わせて飛びつくように前進。
一番危険な切っ先から軌道を外し、刀の根元を肩で受けたのだ。
コルネオは、俺の鎖骨で止まった刀を滑り落とし、ゆっくりと倒れた。
あとコンマ数秒遅かったら、心臓まで断ち切られていただろう。
俺は、倒れたコルネオに馬乗りになる。
彼の懐に手を入れ、半透明の容器を奪う。
ダフネの脳髄。最後の四分の一。
これで───全てがそろった。
「アナ……目論見は……果たした……」
コルネオが言葉を発する。
どう見ても致命傷だ。なんて生命力だ。
しかし、上に乗る俺を跳ね除ける力などは無い。もう死に向かうだけだ。
「お前と過ごした一ヶ月……楽しかったぞ……まるで、本当の娘のようで……仇を、仇を討て……」
コルネオは、世界一の金持ちにして暗黒街の麻薬王は死んだ。
俺はそれを確認すると、よろよろと部屋を出る。
その瞬間。全身の細胞が、警告を発する。
猛烈な風切音。アンチ・マテリアル・ライフルの銃弾だ。
長い廊下の先。500メートル先に、その目を復讐に燃やす少女の狙撃手が見えた。
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