第15話
「やぁ」
気がつくと俺は、真っ白な何もない空間でダフネに膝枕されていた。
「ん───」
ぼんやりと目を開ける。
ダフネは、正座して膝の上に俺の頭を乗せ、俺に覆いかぶさるような体勢で、俺の顔を覗き込んでいた。
暖かいも寒いも、明るいも暗いもない、不思議な空間だった。
「いつも通り、寝坊助だねぇ」
病的なほど白い肌に、ほんのりと藤色の赤み。黒髪をおかっぱのような髪型にしており、切れ長の目に真っ赤なアイシャドウ。少女ほどの体格。全裸一歩手前のような服装。
意地が悪そうな笑みに、しわがれた声。
慣れ親しんだ、ダフネの姿だ。
彼女が死んでからたった1ヶ月ほどだというのに、なんだか数十年ぶりにあったよう、に懐かしい。
「ここは、死後の世界? ……俺は、死んだのか?」
周囲には何も無い。あるのは、俺と彼女だけだ。
もし俺が死んでしまったなら、俺は彼女の脳を取り返すことが出来なかったということで、それはとても悔しかった。
「死後の世界? そんな御伽噺みたいなモノ、あるはずないだろ」
きゃらきゃらとダフネは笑った。
そのリズムが、とても心地良い。
死後の世界より、平行世界から物質を転送できる俺の方がよっぽど御伽噺ではないだろうか。
困惑する俺を尻目に、ダフネはこの不思議な空間について教えてくれる。
「アンタがしっかりしないから、アンタが持ってたアタシの脳を収める容器が壊れたんだよ。そんでバイオ溶液が漏れ出して、アンタの神経とアタシの脳が接続したんだ」
ダフネは指を立て、得意げに話を続ける。
「つまり今ここにいるアタシは、死んだ脳髄に残った思考の残り香というか、ノイズというか、そういうヤツさ」
思考の残り香。つまりこのダフネもこの空間もあくまで俺のイメージであって、現実の出来事ではないということか。
だが、今目の前にいる彼女は、彼女の脳が作り出した本物ということだ。
もう会えないと思っていた、ダフネ本人。
「けどアタシの脳が生きてるわけじゃないよ。完全に死んでる脳髄にこびりついた残滓が、たまたま繋がっただけ。しかもコレが最初で最後。バイオ溶液が漏れたんだ、アタシの脳はもうすぐ完全に壊れる」
そう、ダフネはまたきゃらきゃらと「残念だったねぇ」と笑った。俺のことを小馬鹿にした、けれどちっともイヤじゃない、あの笑い方で。
これが最初で最後。
なら、これを聞かなければ。
「ダフネ───お前、俺と一緒に暮らすために、娼婦を辞める気だったのか?」
だとしたら、俺が彼女を殺したようなものだ。
俺は、喉から声を絞り出す。
「まっさかぁ! キミって意外と自意識過剰なんだねぇ!」
ダフネは、大げさに両手を広げる。
「アタシは、もう人にこき使われるのも飽きてきたってだけ。それをキミ達は、不倫をバラす気だの、ベッドで語った自慢話をタテに強請る気だの、アタシを何だと思ってるんだい? キミだって、顔がいいからしばらく付き合ってあげただけに決まってるじゃない」
彼女がそう言うなら、それは本当なのだろう。
きっといつものように、気まぐれに娼婦を辞めようと決めた。それだけのことだったのだ。
俺は、涙があふれて止まらなかった。
「ダフネ、死なないでくれ」
俺は、すがるように彼女の頬に手を伸ばす。
そんな情けない俺の手を、ダフネはため息をしながら逸らした。
「キミさぁ、前から思ってたけど、アレでしょ」
───アタシと寝る前まで、童貞だったでしょ?
暗転。
時間切れ。
ダフネの脳の半分は壊れ、記憶を引き出すことも何も出来なくなった。
世界に光が戻ってくる。
血の赤と黒の色。泥と粘液と糞尿にまみれた、クソみたいな現実だ。
俺の上には合成獣の死体が折り重なるように積みあがっている。身動きは取れない。
全身から出血。生きているのが奇跡としか言いようが無い状況だ。
ガラス壁の先にいるやつらは、俺が死んだと思い込み追撃の指令を出していない。今が、千載一遇のチャンスだ。
ダフネの残滓が残した、最後の言葉を思い出す。
なんて身もふたも無い言葉だ。
自然と、口元には笑みがこぼれていた。
俺は、生まれてから一度も呼び出すことのなかった、5番目の、最後の銃を呼び出す。
一度も成功したことは無いが、今ならきっと出来る。
ウェザビーMkV。
象すらも一撃で倒す、この世で、最強の銃。
大きな発射音。
目の前にいた合成獣ごと、白衣の研究者を吹き飛ばした。
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