第11話
「……とりあえずこれは化膿止めと抗炎症をかねた痛み止めだ。いいか、絶対に安静だからな」
ボロボロのチンピラに鎮痛剤と沈静薬を点滴し、眠ったことを確認すると僕は部屋を出た。
やれやれ、とんでもない患者だ。色々隠してるみたいだし、全身ひどい怪我だ。
きっとあの患者を匿えば、何か問題が起きるだろう。
だけど、死にかけている人を放置することなんてできない。
ため息をひとつ吐くと、僕は病室を後にする。自分の書斎まで戻ると、気を取り直して日課の『作業』を始めることとする。
日課。それは、毎日疑問に思ったことを個人的に研究することだ。
今日のテーマは───カンパニーがキメラ手術を施した患者のために出している薬の成分分離。
薬の目的は、過剰な拒絶反応を抑える免疫抑制剤だが、俺にはどうにも引っかかることがある。
雑然とした書斎の真ん中まで進み、椅子に腰掛ける。デスクの真ん中に置かれた、黒い機械のスイッチをONにする。
ガスクロマトグラフィー。
今や最高学府や国家の研究機関でも所持していない機械だ。
この機械は、かなりの高温の炎を内部で発生させる。それにより検体を気化させて、出たガスから成分を分析するという代物だ。
この国では、炎を出すとこも扱うことも重罪だ。当然、コレで分析を行う研究所がないのは、それが理由だ。
なぜそんなものがここにあるのかというと、この病院はかなり歴史が古く、火を扱うことが禁止されるさらに前からここに建っていたからだ。誰にも使われることなくずっと放置されていたもを、僕がたまたま見つけ、整備し動くようにしたのだ。
こんなものを使っていると知られれば、僕は犯罪者。下手したら死罪かもしれない。
しかし、その危険を犯してでも調べなければならないこともある。
「───やっぱり」
成分分析の結果はすぐに出る。
僕は検出された数値を見ると、心臓の鼓動が跳ね上がる。
数値には、免疫抑制や抗炎症といった成分は示されず、別のあるものを含んでいることを示していた。
それは……麻薬だ。
僕は、顔面が蒼白になるのを感じる。
僕の嫌な予感が的中してしまった。
以前から、キメラ手術後にズボラな患者が薬を服用しなくても、滅多に拒絶反応が出ないこと、そしてちゃんと服用する患者には依存症のようなものがあると感じていた。
なんて……なんて恐ろしい。
僕はよろよろと立ち上がる。
この事実を、公表すべきなのだろうか。
カタン、と物音。
僕は、あの厄介な患者が何かしたのかと、後ろを振り向く。
「な、なんだお前は?!」
「GRRRR………」
僕の書斎の入り口には、異様な化け物が立っていた。
異常なほど肥大化した頭を持つ赤ん坊のような全身に、背骨からは複数の金管楽器のような管が伸びている。そこから、絶えず血煙が噴き上がっている。
人間の数倍はある頭に目や鼻はなく、ただ大きな口から絶えず唸り声が漏れている。
なんてグロテスクな外見。
『カンパニー』の
秘密裏に作っていると噂される、生物兵器。まさか……実在していたのか?!
「う、うわっ! うわあああああ!」
僕はあまりの事態に、情けなく尻餅をつく。
それに反応して、合成獣はゆっくりと歩み寄ってくる。
「く、来るな! 来るなぁ!」
僕の叫びなど意に介さず、合成獣は部屋の真ん中にまで来ると、背中から一層大量の黒い血煙を撒き散らす。
「ぐあっ!」
合成獣が撒き散らす血煙に触れた部分に激痛。見ると、皮膚がただれ、変色した箇所からは組織と血が混じった液となり滴り落ちる。
これは、酸か。しかもとても強力な。
合成獣はデスクの上のガスクロマトグラフィーに特に念入りに血煙をかける。ガスクロマトグラフィーは腐食し、使い物にならなくなる。
苦しい。息が出来ない。
僕は、喉を押さえてのたうち回る。
「よしよし、いい子だ」
合成獣の後ろから、何やら口元に特徴的なキメラ手術をした女性が出てくる。
長身痩躯で、ひと目で気が強そうだと分かる。
女性は、『カンパニー』の制服を着ている。この合成獣はこいつの差し金か。
「アナタ、場末の医者の癖にコソコソと我ら『カンパニー』の秘密を探ってたらしいね」
女は、激痛で意識が遠のく僕を見下ろしながら、嗜虐的に言葉を投げつける。
「身の程ってモノを知りな、低脳が」
女は、僕に向かって唾を吐き捨てる。
この女も『カンパニー』所属ということは医者だろう。どうして、こんな残酷なことが出来るんだ?
「フン、抵抗どころか、声すら出せないとは情けない」
女は、僕に対する興味を失ったようで、踵を返す。
「さぁて、ここの患者もどこまで知ってるか分からない。全員殺してしまいましょう」
女は、なにやら金属製の筒を取り出し、口に咥える。
アレは笛かなにかだろうか。合成獣へ指令を出すためのもののようだ。
女の指令を受け、巨大な頭の赤ん坊は、黒い血煙を吐き出しながら部屋から出て行こうとする。
この病院に入院している患者たちのもとへ行き、あの酸の煙を撒き散らすつもりか。
やめろ。僕はまだ何も掴んでいない。患者さんは皆何も知らない。
僕は必死になって声を出そうとするが、喉からは情けなくひゅうひゅうと音が鳴るばかりだ。
どうして。僕のやったことは分不相応だったというのか。
だったら僕は死んでもいい。だから患者やめてくれ。お願いだ、やめて───……。
ドンッ。乾いた炸裂音。
「……あ?」
『カンパニー』の女の胸に、大穴が開いていた。
そこには───沈静で眠っており禄に動けないはずの、全身火傷のチンピラが立っていた。
手には、奇妙な黒い筒。
女は崩れ落ち、死んだ。
「GRRRRR……」
合成獣が振り向くと、血煙をチンピラに向けて降りかけようとする。
だが、遅すぎる。
「また毒か」
チンピラがそう言うと、掌のあたりがゆらめく。
次の瞬間には、2メートルほどの巨大な黒い塊が現れていた。
まるで、魔法を使ったみたいに。
男は前後に大きく脚を開く。腰を落とし、黒い筒を顔と平行になるように構える。
バララララララッ。激しい光と音と、炎。
「GAAAAAAAAA!!!!!」
あっという間に、あの恐るべき合成獣を穴だらけにし、ただの肉塊に変えてしまった。
「毒を撒き散らすだけのやつには、もう会った。二度とは不覚はとらない」
黒い筒を構えたままのチンピラは、油断無く周囲を警戒しながら、そう呟いた。
「あ、あんたは……いったい……」
存在すら知られていない合成獣を見て驚かないどころか、掌から鉄の塊を生み出し、殺してしまった。
まさか、彼は……御伽噺だとばかり思っていた、魔法使いなのか。
「ドクター、心配しなくて良い」
僕は、薄れ行く意識の中で、彼の目を見た。
それは、狂気を秘めた恐ろしい目だった。
「『カンパニー』は明日潰す。アンタが狙われることもなくなる」
僕の意識は、そこで途絶えた。
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