第2話
寂れた地方都市であっても、大通りには多くの人や車が行き交っている。
往来の排水溝には赤茶色の液体が流れる。それは言うまでもなく、血液だ。
血液には、磯臭さと油臭さを混ぜたような独特の悪臭がするが、それを気にするものは何処にもいない。
「あちゃあ、故障か」
車から降りた紳士が、頭をかきながらため息をついている。車のフロントのカバーを開けると、そこは赤ピンクの筋繊維と動物の脚のような駆動系がみっしりと詰まっている。
人類は、三百年ほど前に鉄と油の文明を手放した。
理由は知らない。地面から湧いていた油が尽きたからとも、戦争で多くの技術が失われたからとも言われている。
代わりに今の文明を支えているのは、この生体産業技術だ。
糖質を燃料に、解糖系回路を経てATP(アデノシン三リン酸)をエネルギー源として生産。駆動力として生産された筋肉系をそれで動かす。代謝産物として生まれた乳酸をまた糖新生しエネルギーに変える。エネルギー問題はこのループにより目覚しく革新された。
車の構造も、バイオミネラリゼーションにより生み出された貝殻の一種だ。ハイドロキシアパタイトとリン酸鉄の複合体、さらには数種類のタンパク質が均一に積層構造を作る、弾性靭性に優れた建材で、今や街のほとんどはこの素材で家が作られている。
今の人類は、火を病的なまでに恐れている。それは、火を用いなくても全てのエネルギーが手に入るようになり、火を長い間見ていないからというのがひとつ。次に、生体工学で生み出された素材は皆熱に弱く、少しの火でも大きな被害を出してしまうからだ。火を作ることも、鉄を作ることも違法。
つまり、銃の製造も携帯も違法。重罪だ。
工場から出たバイオ排水の合成血液。それが揮発してできる血煙の舞う曇り空の街を、俺は二階の窓から見下ろしていた。
「ね、なに見てンのさ」
後ろからのしかかられる。
猫撫で声を出しながら、俺の頭頂部に顎を置くのは、昨日酒場で買った娼婦のジヘだ。
黒の混じったブロンドに、分厚いせいでいつも眠そうに見える目蓋。瞳の色は黒。
ジヘは、ダフネとも仲が良かった仕事仲間だ。
「聞いたよ、ダフネ……殺されたんだって?」
悼むような声色ではない。至極平坦なトーンだ。この街では、娼婦が殺されることなど珍しいことではない。
ジヘは、仕事に都合のいいよう改造された長い舌をべろりと伸ばしながら煙草の煙を吐く。
キメラ手術を受けたものは、生涯その身体を維持するため、カンパニーの薬品を服用する必要がある。
娼婦の中には、ジヘのように幼少期に強制的に手術を受けさせられ、薬を買うために一生そのまま逃げられなくなるものも多い。
「アンタ、ダフネにぞっこんだったもんね。次はアタシに乗り換えてくれるのかい?」
「そういう訳じゃない」
俺は、頭を斜めにしてジヘの顎から逃れる。
「───分かってるよ、ドゥエンデに復讐しに行くンだろ? 女を殺されたのにイモ引いて逃げたなんて噂が立ったら終わりだからね」
そういうプライドやメンツに拘りはない。俺は、出来ることなら農家でもやって、たまに絵でも描いて平和に暮らしたい。
ジヘはドゥエンデのお気に入りのオンナの一人だったので、何か情報を持ってるのではないかと思ったが、どうやら空振りだったようだ。
「ね、ね。やめなよ。ドゥエンデは自慢の合成獣を殺されたのにとっても怒って、町中から腕っぷし自慢の男を30人も40人も集めて待ってるんだよ。死にに行くようなもんだよ」
ジヘは、服を着る俺の前に回り込み、上目遣いで言う。
「アンタがアタシの男になるなら、ドゥエンデにまた仕事を回してもらえるよう頼んでやるからさ。アンタのこと結構気に入ってるんだよ」
「……そういうつもりはない」
俺は合成タンパク質のレーションを食べながら、出る準備をする。
「………じゃあ、しょうがないね」
ジヘは諦めたように呟くと、その目がぎらりと光る。
ジヘが指が地面を向くように手を突き出しすと、その手首の付け根から黒い粘液が噴出する。少しでも肌に触れれば動けなくなる強力な毒薬だ。
俺は右掌に力場を展開。掌には、ベレッタM93R。俺の、もっとも愛する銃。三点バーストではなくセミオートにチェンジ。タタタタッという、乾いた銃声。
「どうしてよ」
ジヘは、ダフネと仲の良い仕事仲間だった。彼女の身体に、無数の銃創の穴があき、口からは血が溢れる。
「アタシ達みたいな娼婦は、ドゥエンデに逆らったら生きていけないんだよ。どうして? どうせ殺されに行くなら、私に殺されればいいじゃない。あんなブスの、どこが良かったのよ」
ジヘの身体が崩れるように倒れる。
この街では、娼婦が殺されることなんて、珍しいことではない。
この世界の人間たちは、火を病的なまでに恐れている。
銃を携帯するのも、製造することも重罪だ。
銃を生み出せる魔法使いは、存在そのものが違反であり、その人権は消滅している。
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