鉄と油と火のない世界の魔法使い

くねくね

第1話 

 結局のところ、俺の一目惚れだった。


 ダフネは、どこにでもいるようなヤク中の娼婦だ。

 いつも怠そうにグラスの葉巻を吸い、一日の大半をベッドの上で過ごし、たまに思い出したように客を取る。

 切れ長の目に、派手な赤いアイシャドウ。いつも裸同然の格好で、青紫色の肌を露出している。手足はみすぼらしく痩せ、肋骨も浮き上がっている。背は低く、14歳ほどの体格。おかっぱ髪なのも幼さを想起させる。


 彼女は、路地裏で死にかけていた俺を拾って、メシを食わせてくれた。怪我を手当てしてくれた。ダフネと俺はそのときが初対面で、そんなことをする義理はない。きっと気まぐれだろう。


「アンタがいい男だったから、拾ったんだよ」


 ダフネはグラスをふかしながら、きゃらきゃらと笑った。人を馬鹿にしたような笑い方だ。年輪を経た嗄れ声が、彼女が見た目通りの年齢ではないこと表している。


 そう、俺は死にかけていた。自暴自棄となり、全てが嫌になり、死ぬつもりだった。

 けれど、ダフネはそんな俺を拾い、自分の働いている店に匿い、暖かいスープをくれた。

自然と、俺たちはそのまま一緒に暮らすようになった。


「アンタがいるせいで、私は商売あがったりだよ。早く出て行って欲しいね」


 ダフネはそう言って、またネジが外れたように笑う。

 俺たちは、お互いの経歴などは特に聞くこともなく、ただ当たり前のように一緒に暮らした。血煙が舞うこの街の、場末の売春宿で。

 そうして、3ヶ月が経った。

 ベッドの中。ダフネは俺の胸の上で、唐突に「アタシ、魔法使いなのさ」と言い出した。続けて「アンタにも魔法使いになる素質があるよ」と言った。

 魔法使い。そんな御伽話のようなものが、あるはずがない。馬鹿馬鹿しい。

 俺がそう言うと、ダフネはいつものようにネジの外れたような笑いをした。

 ダフネを抱き寄せる。お世辞にも良いとは言い難い抱き心地。ツンと、酸のようなにおいがした。

 そのまま、俺は眠りに落ちた。





 翌日。俺が帰るとダフネは殺されていた。


 どんよりと曇った、いつも通りの血煙が舞う日。俺は、怪我がほとんど良くなったのでダフネの世話になってばかりはやめようと、仕事を探してきたところだった。


 椅子に縛りつけられたダフネの周りには、男4人が囲むように立っている。ピラニア歯ナイフで武装しており、服装からも一般人ではないだろうことが一目でわかる。

 そんな男たちに囲まれて、ダフネは息絶えていた。全身にいくつもの刺し傷が見える。

 瞳はすでに濁り、殺されてから数時間が経っていることがわかる。


「ようやく帰ってきたかよ、色男。テメェも殺せとボスの命令だ、恨むなよ」


 一番奥にいる背の低い男が引きつった笑いをしながら言う。

 殺しには慣れていないのだろう。もし慣れたやつならそんなこと言う前にすぐに刺してくるはずだ。

 俺は、可哀想だな、と思った。


「こいつが悪いんだぜ、こいつが自分のこと魔法使いだなんてフカすから。知らないだろ、魔法使いは殺されるってことを」


 男は、血走った目で捲し立てる。


「本当にバカな女だぜ。魔法使いなんて、いないのによ!」


 俺は、ゆっくりと腕を前に突き出す。

 そう、ダフネは魔法使いじゃあなかった。

 掌に力場を展開。量子もつれにより、アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンチャンネルが開く。こちらの量子状態が確定したため、テレポーテーションが発生する。

 掌には、ベレッタM93R。俺がこの世で一番好きな銃だ。

 チンピラたちの目に驚愕が浮かぶ。

 本物の魔法使いなら、ここにいるからだ。


「こ、こいつ本物の魔法使いなのか?! 聞いてないぜ、そんなの!?」


 突然、目の前で超常現象が起き、男たちはパニックに陥る。そんな男たちの頭を、俺は順番に吹き飛ばしていく。3点バーストの銃弾によって、彼らの頭は破裂する。


「ひ、ヒィイイイイ!」


 這いつくばって逃げようとした、一番奥にいた小男だけは、あえて脚を狙った。

 赤い丸が空いたかと思うと、そこから噴水のように血が吹き出る。小男は、太腿を押さえてのたうつ。


「どうして、ダフネを殺した」


 椅子に縛りつけられたダフネの頭には、脳が無かった。

 なぜ脳を奪うなんて面倒なことをしたのか。それは、彼女の記憶に何か知られたくないことがあるからだ。

 だが、彼女はただの娼婦だ。そこまでする必要があるとは思えない。


「し、知らないよぉ! ただ、ボスが……ドゥエンデがやれって! なぁ助けてくれよ、血がこんなに!」


 頭を吹き飛ばさなかっただけで、大腿動脈を撃ち抜いたのだ。すぐに失血死するだろう。

 ドゥエンデ。この辺りの風俗店を締める顔役の一人。

 俺は、のたうつ小男には興味を無くして、半開きになり濁ったダフネの目を閉じてやる。だらりと垂れ下がった舌にそっと触れた。


 俺は、彼女の頭を奪ったやつらを全員殺そうと誓った。


 たった3ヶ月、同居しただけのヤク中のために? 相手は裏社会でも有数の権力者。自分でもイカれてると思う。

 結局のところ、俺の一目惚れだったのだ。


 俺はのたうつ小男の頭を撃ち、とどめを刺した。

 振り返ると、いつの間にか部屋の入口に3メートルは超えようかという大男が佇んでいた。トレンチコートを着ており、鱗の仮面と手袋をしている。


「アアアアアァァァ!!!!!」


 張り裂くような奇声。

 男がコートを脱ぐと、その身体は見るもおぞましい様相である。

 全身という全身に大小さまざまな口。

 その口が全て開くと、違った毒素を放出する。そのどれもが解毒が困難、もしくは不可能な毒ガスだろう。

 人間ではない。カンパニーの合成獣マンティコアだ。


 俺は、窓を蹴破って部屋から転がり出た。

ほんの数秒判断が遅ければ、俺は死んでいただろう。

 ドゥエンデは、あんなものまで用意していたのか。ただの娼婦を殺すためにしては、異常すぎる。

 合成獣は、手足をめちゃくちゃに動かしながら、虫じみた動きで俺の元へと迫る。

 無数の口からは依然として毒の煙が撒き散らされており、近づけば確実に死ぬ。

 俺は射撃姿勢を取ると、合成獣のど真ん中に向かってベレッタM93Rを撃つ。


「アアアアアァァァ!!!!!」


 断末魔の声を上げながら、合成獣は風船のように一気に膨張し、破裂する。

 激しい熱風、爆発。

 俺たちが3ヶ月共に過ごした家は、ダフネの死体ごと燃え上がった。

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