青切、盛大にやらかすの巻

 カクヨムである方のエッセイを読んでいたところ、つまんでいうと、次のような問いかけがあった。


『1970年代の小学館文庫に収められているはぎ望都もとのマンガの表紙が、なぜ、新井苑子なのか?』


 これに対して、ばか(青切)はコメント欄で堂々と次のように書いた。


『ちゃんとした文献を提示できればよいのですが、当時の営業担当者、編集者、マンガ家の話を総合すると、当時、マンガ=悪書というイメージがあり、排斥運動が起きていました。その中で本屋に置いてもらう苦肉の策で、マンガチックでないイラストに差し替えた「らしい」です。たしか、秋田書店がやり出したことだったかな?』


 だれかから聞いた話で上のようなことを言っていた記憶があるので、そのように書いたが、これは不正確な回答であった。

 当時、そのように思っていた関係者もいただろうが、ちゃんと調べてみると、事の始まりは小学館の編集者にあり、理由もちがっていた。


 そのために、コメントに次の追記を行った。


『大変申し訳ありません。上に書いたことはまちがっております。

萩尾先生が、直接経緯を述べた記事を見つけました。たいへん、失礼しました。

『萩尾望都のSF世界』

https://matogrosso.jp/serial/sf_sf_03/

小学館の編集者が、小説だと思わせるために取った策だったようです』


 相手の近況ノートにも同様の文章を送って謝罪した(許していただけたようだ)。



 いろいろと調べる中で副次的に知ったのだが、どうも、文庫に関しては、この小学館の編集者が発端だが、愛蔵版・豪華版の表紙を他人に任せるようになったのは、手塚治虫の意向がはじまりらしい。


『虫マップ ー手塚治虫ゆかりの地を訪ねてー』

http://mushimap.com/ikedamikio/


 この記事によると、本屋でSF作家たちと同じ棚に並べてもらうために、手塚が装丁を他人に頼んだのが事のはじまりのようだ。

 この愛蔵版と文庫の経緯の混同が、今回の醜態の原因である。


 とにかくだ。うろ覚えの知識を他人に話して、迷惑をかけないようにしろ、このばかが。反省しろ。

と自戒の言葉で文章を終える。

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