「室町は今日もハードボイルド」を読んで
「室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界 無料お試し版」(清水克行/新潮社)を読んだので、その感想を以下に残す。
〇日本において、『世間』という社会道徳はいつ定着したのか
『近隣住民や家族との間には、いまの私たち以上に濃厚な関係が築かれていた。(略)。彼らはつねに村や町あっての私、家あっての私だった。当然、彼らにとって、外来の旅人と内輪の知人では、その命の価値はおのずから異なるものだった』(位置№259/964)
中世日本の価値観に言及した箇所だが、これは現代社会の世界一般の価値観に通じる。
上の価値観に反する『おおやけ』や『世間』という規範を、社会の根底においている現代日本というのは、日本史上でも、現代の世界を眺めた場合でも、特異な社会と言える。
それでは、いつごろから、『おおやけ』や『世間』を意識して、日本人が生活するようになったのかというと、これは江戸時代からだろう。
江戸時代は、日本人とはどういう者たちなのかを考えるときに、一大転換期であったと言える。
二百数十年の間に作り上げられた『日本人』は、現在にいたるまで特異な社会を形成している。
しかし、昨今の状況を鑑みるに、良し悪しは別として、日本人の価値観は、世界標準に近づいている。過去の人類におけるスタンダードな価値観も対象として。
〇サバイブ
『「自由や尊厳を奪われるくらいなら名誉ある死を」というのは、それ自体、聞こえのいいものだが、それはしょせん衣食住が満たされた者のぜいたくな望みなのかも知れない。それよりも、ともかく「生きる」こと、それが彼ら中世人にとっての価値だったのである』(位置№440/964)
基本的に、生活に余裕がなければ、SNSで政治的主張を述べている時間はないはずだ。その時間的余裕のない者の少なくない人が「生きる」ことで精いっぱいである。この両者の隔絶が、今後の日本を次の『形』へ移行させるかもしれない。
現代の世界を見渡すと、生き残ることだけしか考えられない人ばかりである。歴史的に見てもそうだ。
ここでもまた、日本はそのスタンダードへ戻りつつある。
日本は『ふつう』の国になりつつある。
〇奴隷と派遣社員
『わが国では古代以来、原則的に人身売買は国禁とされていたが、このとき鎌倉幕府は時限的に超法規措置として、人身売買を認可したのである。その理由は、餓死に瀕した者を養育した主人の功績を評価して、とのことだった』(位置№419/964)
現代日本において、リーマンショック後、派遣法が改正され、多くの非正規労働者が増えた。
改正当時の状況としては、高い失業率と自殺率があり、どうにか雇用を維持する必要があった。そのための改正であり、効果は一定程度あった。
しかし、その後も副作用を野放しにしているのは失政である。
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