【書評】ウェブスター「あしながおじさん」

 土屋京子が訳した『あしながおじさん』をよみおえた。

 光文社古典新訳文庫から出ている。

 『あしながおじさん』については、新潮文庫で二回よんでいるので、通算三度目の読了となる。

 以下は所感。




1.『あしながおじさん』とはどういう小説か


①書簡体形式の小説


 孤児院育ちのジュディが、その文才を認められ、正体不明の「あしながおじさん」の援助を受けて、全寮制の大学に入る。

 援助の条件は、あしながおじさんにジュディが毎月手紙を書くことだが、この手紙の文面を読者に示すことで、物語は進んでいく。


 手紙は基本的に一方通行で、あしながおじさんは返答を書かない。

 なぜ、返信しないのかについて、訳者もあとがきで考察しているが、私は最後のオチを際立たせるための、技術的なつごうではないかと考えている。



②技術的な魅力


・オチの魅力

 あしながおじさんの正体が、ジュディの気になる男性であるジャーヴィー坊っちゃまだったというのが、この作品のオチである。

 まず、一読目でオチに驚き、あしながおじさんの正体を知りながら読む二度目で、作者があちらこちらに施した細工を味わう。

 『あしながおじさん』は、一冊で二度楽しめるお得な作品なのである。


 ジュディを好きなジャーヴィー坊っちゃまが手紙を読んでいると思うと、つい意地の悪い笑顔になってしまう箇所がちらほらある。

 たとえば、次の一文。

『ジャーヴィー坊っちゃまがそこにいないことを、とても淋しく感じました――二分間ぐらいでしたけど』(位置№2955/3712)

 ジュディはなかなか小悪魔的なところがある。


・文体の魅力

 技術的な面から見た場合、『あしながおじさん』のもうひとつの魅力は多彩な文体にある。

 普通の書き方だけでなく、大学生活で学んだ戦記調、古い英語、習いたての仏語などが手紙に彩りを添えている。

 様々な文体を活かした小説といえば、ジョイスのユリシーズが有名だが、ユリシーズが発表された1918年には、ウェブスターはこの世にいない。1916年に産褥死で亡くなっている。



③技術的な問題点


 小説として完璧に近い作品だが、ジャーヴィー坊っちゃまのジュディへの思いが募っていく過程は明示されているのに対して、ジュディのジャーヴィーへの恋ごころが増していく描写がなく、次の一文に唐突さを感じる。

『わたしは彼が恋しくて、恋しくて、恋しくてたまりません』(位置№3133/3712)




2.『あしながおじさん』はだれに向けた作品だったのか


 日本では、『あしながおじさん』の主要なターゲットは小中学生と考えられているようだが、それは一読してみれば誤りであることがわかる。

 なぜなら、女子大学生の日常を扱っているため、ある程度の教養がないと話をしっかりと理解できないからだ。

 結論から書いてしまえば、解説で説明されているように、ターゲットは『下層中流階級や労働者階級の主婦たち』(位置№3444/3712)である。

 ターゲットの女性たちは、ジュディのサクセスストーリーと彼女が垣間見る上流階級の様子を追体験することで、自らの欲求を満たすことができた。それが、『あしながおじさん』の大ヒットにつながった。


 また、もうひとつ重要なことは、ウェブスターが『あしながおじさん』において、ジュディに仮託する形で、新しい女性像をアメリカ人に示した点にある。

 ヨーロッパを模倣した女性像ではなく、『自助の精神と自由を重んじるアメリカン・レディ』(位置№3507/3712)。

 施しを与えようとする『あしながおじさん』を、ジュディは拒絶し、早期の独立と返済を目指す。それは、ヨーロッパからもたらされていた小説には出て来なかった女性像であった。

 『あしながおじさん』はシンデレラの亜種のひとつだが、主人公ジュディの見せた「努力と自助」の精神は、それまでの作品群にはなかった特色である。



3.「月がきれいですね=I love you」は日本独特の奥ゆかしさか


 『あしながおじさん』の最後のほうで気になるフレーズがあった。

『美しい月の光さえ、いっしょに眺める彼がいなければ、その美しさを腹立たしく感じるくらいです。でも、たぶん、おじさまも誰かに恋したことがあって、こんな気もちを知っていらっしゃるでしょう? 恋をしたことがあるならば説明はいらないし、恋をしたことがないならば説明しようがありません』(位置№3135/3712)


 上の文章を読んで思い浮かんだのは、夏目漱石が“I love you.”を「月がきれいですね」と訳した逸話だ。

 この訳し方を日本人論と結びつける者もおり、私は前からちがうと思っていたので、その傍証がまたひとつ見つかってうれしかった。

 『美しい月の光さえ、いっしょに眺める彼がいなければ、その美しさを腹立たしく感じるくらいです』とは、つまり、“I love him.”ということだろう。

 ちなみに、『あしながおじさん』が書かれたのは、1912年。漱石が亡くなったのは1916年。

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