もしかしてどっきり?

 バスの乗客のほとんどは同じ高校の学生だ。町といっても所詮は田舎の小さな町。高校も私が通う県立の北高しかない。かつては南にも高校があったらしいが、かなり前に廃校になったそうだ。

五つ目の停留所が学校には一番近い。ここでほとんどの乗客は降りる。バスを降りれば、徒歩通学の生徒とも合流し、通学路と言われる道は同じ制服で埋め尽くされる。眠そうにあくびをする生徒や、友達たちと騒いでいる生徒もいる。極ありふれた朝の光景が、私の不安を消そうとしていた。

ところが、校門に辿り着いた時、正面から登校する生徒に『おはよう』と笑顔で声を掛けられた。その生徒は同じクラスの浅田美和さん。思わずあたりを見回したが、彼女に応える生徒も見当たらず、真っ直ぐに向けられた視線からは、私たちに挨拶したとしか思えない状況だった。しかし、何故、挨拶されるのかが理解出来ずに、幸恵と顔を見合わせてしまった。


「ちょ、ちょっとなんなの?」幸恵は声を潜めて言った。

「し、知らないわよ」私も小声で答えた。

「えー、なんでなんで?全く意味わかんないんだけど」幸恵が驚くのも無理はない。浅田さんはクラスの中でもエリート。容姿端麗、成績抜群の才女である。

そして、今までまともに口をきいたことがない人物でもあった。私と幸恵は部活にも参加していないために、校内では空気のような存在だ。

授業だけを受けて、さっさと帰宅するからだ。当然の事、朝の挨拶など交わしたこともなかった。それがいきなり笑顔で挨拶されたら、パニックに陥っても当然の反応だろう。そんな浅田さんは私達が着くまで、校門のところで待っていた。


「お、おはよ」にこにこと笑う浅田さんに、私はドキドキしながらも声を掛けた。幸恵も小さく頭を下げた。

「今日もいい天気ね」浅田さんはそう言って空を見上げただけだった。そして、並んで玄関へと歩き始めた。下駄箱で靴を変える時にも、浅田さんの動向が気にはなっていたが、おかしな素振り一つ見せずに教室へと向かっていった。

幸いにして幸恵ともクラスは同じ。私と幸恵は意味も分からずに、恐る恐る浅田さんの後に続き教室に入った。


「おはよ」「おはよう」

つい昨日まで挨拶さえされたことのないクラスメートから、屈託のない笑顔で次々に声を掛けられた。私と幸恵は小さな声で返事を返すのが精一杯だったが、その顔は、かなり引き攣っていたに違いない。

チャイムが鳴り響き、全員がそれぞれの席についた。幸恵は窓側の席。私は廊下側だ。それでも、時折顔を見合わせては首を振りあっていた。幸恵にも現状を理解できていないようだ。勿論、私もこの現状を理解できてはいなかった。


教師が入ってきてホームルームが始まったが、話の内容は全くと言っていいほど頭には入ってこない。浅田さんは私の前の席にいる。その肩を掴んで振り向かせ、問い質したい衝動にかられた。でも、何を言えばいいと言うのだろうか。

『何故挨拶したの?』と聞くのもおかしなものだ。それに浅田さんだけではない。

ほかに挨拶してくれた人も、それが普通の事であるかのような態度だった。

それこそ、前に出て教師を追いやり、全員に向かって『なんで?』と聞いてみたい衝動に駆られた。けれども、もしもそんなことをしたら、精神を疑われるだろう。


『クラスメートじゃん、挨拶しちゃいけないの?』と返されたらそれで終わり。

けれども、どうしても自分の中では納得がいかなかった。今まで空気のような扱いを受けていたのがその最たる理由だ。一時限目が終わるとすぐに幸恵が走ってきた。

そして私の腕を掴むと脱兎のごとく教室を飛び出した。向かった先はトイレである。それも、同学年が使わないような、体育館に近いトイレだった。


「なにあれ。ちょっと怖いんだけど」幸恵の恐怖も理解できたが、恐怖というよりも私は別の感情を持っていた。

「わかんないけど、最近なにかしたっけ?」と私は答えた。

「なにかって、例えば?」

「そうね、みんなが感謝することとか、尊敬されることとか」

「ないない、そんなこと」と幸恵は笑った。確かに幸恵の言うように、何かした記憶はない。昨日まではいつも通り、空気のような扱いを受けていたはずだ。

「そうよね。幸恵に思い当たることが無ければ、私にもない」と、そこで会話は途切れてしまった。結論としては『全く分からない』と言うことだ。

予礼のチャイムが鳴り、幸恵と二人、無言で教室に戻った。今では、教室に入るのが怖いくらいだ。『例え何かがあったとしても、たった一日でここまで激変するのもおかしい。ほかに何かの理由があったかな?』そんな思いが浮かんでは消えと繰り返していた。

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