通学路
「行ってきます」高校になってからはバスでの通学になった。
この『村』としか呼べないところには高校がなく、麓の町まで行くしかなった。
唯一あるのは、小中合わせた小さな学校だが、在校生は僅かである。麓の町まではバスで四十分の道のり。高校に行くには更に駅前でバスを乗り継ぐ必要があった。
結局、片道一時間はかかる。この距離を遠いか近いかと言えば、意見は分かれるかも知れない。
ただ、麓までの四十分間にはバス停は数えるほどしかなく、乗降客もほとんどいない。道が混雑することもなく信号機さえない。要するに、ほとんど走りっぱなしで四十分ということになる。都会の渋滞を考慮しても、かなりの違いにはなるはずだ。
「おはよう」いつもの時間に村で唯一の友人である『幸恵』がバス停に現れた。村上幸恵も私たち竹下家と同時期に都会から移り住んだ家族の娘である。
過疎化に悩む中、村おこし企画で移住者を募集したのが始まりだった。
最初こそ、多くの移住者で活気も出たが、やはり都会とのギャップに耐えられなかったのだろうか、或いは閉鎖的な村の生活に馴染めなかったのだろうか、移住者は徐々に減っていった。
最終的に残った家族が私と幸恵の家族。そして他に二家族ほどしかいない。その二家族も、定年後に移り住んできた初老の夫婦だった。当然とは言え、残った者同士でしかも同じ年の幸恵とはすぐに仲良くなった。そして今、この村から同じ高校に通う唯一の存在でもあり、信頼のおける友人でもあった。
「まったく多いね」幸恵が怒り心頭なのは、その語り口調から良く分かった。
「被害あったの?」私は心配になって尋ねた。
「ぬいぐるみが倒れたくらいなんだけどね」と幸恵は笑った。それから、
「単に地震嫌いだし、被害が無くてもむかつくじゃん。美紀のところは大丈夫だった?」と尋ね返してきた。
「うん、特に被害はないんだけど、ママだけは大騒ぎ。でも寝不足にはなったわよ」落ち着いてから点けたテレビでは、震度は5弱、今のところ大きな被害もないと、アナウンサーは言っていた。
「あの時間じゃ、当然だよね。でもほんと多いね、この頃」
「そうだね、今年になって特にね」と返したと同時に、バスが見えてきた。時間通りだ。地震で遅れるかもとの心配もあったがこれで安心できた。
「さて、おやつでも食べますか」最後部の広い席に座るなり、幸恵はカバンからお菓子を取り出した。当然のことおやつとは呼べない時間だが、これもいつもの事である。運転手も顔見知りのバスは、二人だけの貸し切り状態。
山道のせいかも知れないが、ギシギシと音を立てる座席もお馴染みだ。麓までは三つの薄暗いトンネルがある。その三つのトンネルを抜けると道は平坦になり、数人が乗ってくるが、それまではいつも二人だけだ。スナックを頬張りながら幸恵と地震について話しているうちに、一つ目のトンネルを抜けた。
その時、ふと、顔に何かが当たる感触を感じた。微かな風が当たるような、一瞬差した朝陽のせいかもしれないが、なんとも不思議な違和感が顔に走った。幸恵は何事も感じていないように、昨夜のドラマの話をしていた。
「どうしたの?」私が返事をしないのを見て、幸恵が顔を覗き込んできた。
「うん?なんでもないよ」一瞬、その違和感に捉われていたが、すぐに錯覚だと思い、私は慌てて両手を振った。
「そう?」尚も顔を近づけ、幸恵は尋ねた。
「うん」幸恵は、私の異変には不思議と敏感だ。風邪など、私が気付くより先に指摘されることもあったほどだ。『顔が赤いよ?熱でもあるんじゃない?』と。
きっとそう言うのを、思い遣りとか気遣いと言うのだろう。そういったことが、当たり前のように出来てしまう幸恵は、やっぱり真の友人なんだと思う。
「あーあ、ドラマのような生活がしたい」幸恵はため息をついた。
「馬鹿ね。ドラマだからでしょ」幸恵が言っていたのは、都会で新生活を始め、先輩社員と恋に落ちていく女の子の話を描いたドラマである。
「そうなんだけどさ、ここに居たら絶対無理よね」
「だね。同世代も居ないし」当然、麓の町には同世代は存在する。でも、彼らと遊ぶことはほぼ不可能に近かった。唯一の交通機関であるバスが、夕方には運行を終えてしまうからだ。学校が終わってから遊ぶとなれば、それこそ泊りがけを覚悟しなければならない状態に置かれていたためだ。
勿論、パパに送り迎えを頼めば、嫌な顔一つせずにやってくれるだろう。けれども、高校生になってまで送り迎えをしてもらうのも、小さな自尊心が許さなかったのだと思う。
「卒業したら、絶対にここから出て行くんだ」幸恵は右手で拳を振りあげた。
「大学?」
「うん。四年制がだめなら短大でもどこでもいいから、絶対に出て行く」
「出してくれそうなの?」
「裕福じゃないからね、うちは。でも、自活できるようなら文句は言わないでしょ」詳しくは聞かされていないが、幸恵の父はかつて会社を経営していたらしい。それが今、ここにいると言うことは、経済的には厳しいと言うことだろう。幸恵もそれを理解はしているようだ。
「そのためには勉強しないとね」
「それが一番の難問だわ」と幸恵は笑った。幸恵にはまだやりたいことが見つかっていない。だから今は進学の道を模索し、就職と言う二文字は選択の中には入っていないようだ。まだ二年生になったばかりだが、進学組は既に猛勉強を重ねている段階。うかうかしても居られないのである。
「美紀はどうするの?」
「うーん。私は大学とかには興味ないから」これは正直な気持ちだ。
「ここで腐るの?」
「そんなことないけど」とは答えたものの、明確な返事は出せないでいた。
「美紀はデザイナー志望だっけ?」
「志望ってほどでもないんだけど、出来ればそっち方面に進めれば、ってくらい。でも、そんな理由で家を出してくれるかが問題なのよね」
小さい頃から、歌番組などを見ても、肝心の歌よりも衣装に夢中になっていた。アイドルの可愛い衣装。ロックバンドの奇抜な衣装。いつしかそんな衣装の数々を、自分の手で作りたいと思うようになっていた。けれども、それに対しての努力は、何一つしてはいない。あくまでも憧れ程度だと思ってもいる。ただ、明確な進路が出せないことに、少々の後ろめたさでもあるかのように、幸恵にはそんなデザイナーの話を聞かせていた。
「お互い、一人っ子だもんね」幸恵は2つ目のお菓子に手を伸ばしていた。
幸恵には話していないことがある。それは引っ越してきた理由で、小さい頃に虐めに合っていたことだ。帰国子女のママの影響か、特に気にすることもなく、聞きかじりの英語を使っていたのだが、それが面白くなかったらしい。
最初は「どんな意味?」などと英語に対して興味を引かれたが、やがて「わざとらしい」とか「何様のつもり」などと噂されるようになっていった。
それが小さな嫌がらせに繋がり、エスカレートするまでにはいくらも時間がかからなかった。とは言うものの、当時の私はそれが虐めとは全く理解していなかった。
理不尽な扱いを受けていることには不満はあったが、それほど気にはしていなかった。しかし時代は虐めに対して敏感であり、教師が無駄に騒ぎ立てたことで、話が大きくなってしまった。
結局、パパの鶴の一声があり、転校すると言うことになった。『どうせなら田舎でのんびりと自然と戯れて暮らそう』とのパパの意見が通り、ここに越してくることになった。どちらにしろ、幸恵にはこのことを話してはいない。パパの我儘と思い付きで引っ越してきたことにしていた。
しかし、もしも私が都会に戻るのならば、パパもママもここに残る必要がなくなる。今はママの翻訳の仕事で収入があるから気ままに生活してはいるが、パパたちの本心はわからない。親とは言え見た目もまだまだ若く、都会で就職するとしても選べる職は多いはずだ。同じように都会に戻りたいのかも知れない。
単純だった子供の頃は、親の言うことを聞いていればそれでよかった。だから「引っ越す」と言われても、それが何を意味し、どんな変化が起きるのかさえ考えもしなかった。けれども、成長するにつれ複雑化する思考に翻弄され、なかなか本音で話せないのが心苦しかった。
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