最終章 You Only Live Twice 32

俺はため息をつきながら、ゆっくりと両手を上着のポケットに突っ込みビルシュに近づいていく。


刹那、奴の目に警戒が走った気がする。


やはり、下界では生身の物質を介していないといろいろと不都合なのかもしれない。


おそらく、精神体アストラルボディのテトリアがそうであったように、持てる力をすべて引き出すことができないのだろう。


精霊や霊体などのように超常現象を引き起こすことは可能なはずだ。


しかし、それはもしかするとこの世の理に反することなのかもしれない。


理に反する事象は非現実的な要素として理外の出来事となる不都合を起こす。


要するに、有り得ない内容として曖昧な意味しかもたらせないということだ。


これは概念のようなもので、信仰に反したから神罰が下ったであるとか、起こりえない事象に巻き込まれて命を落としたのは厄除けを怠ったからだ、などという具体的な説明がつきにくいことに後付けでいわれるようなものに近い。


要するに、理外の力は直接的な害はなせても、朧げな事象としての印象しか残せないのである。


この曖昧さを回避するために実体を要するというのが、ビルシュやテトリアにとって最大の足枷となっていたのではないかと思っている。


抽象的な事象は迷信や言伝にしかならない。


固有のものが何を成したかで事実として受け入れられるのが人の概念なら、神格的な存在が実体を伴わない事象を伴ったところで真の意味はなさないということである。


おおよそ哲学的な思考ではあるが、これまでの彼らの行いを考えるとそれほど誤った解釈だとは思えなかった。


そして、それが唯一のウィークポイントであるとも考えられたのだ。


ビルシュとの間合いに入る前に足を止めた。


奴は一挙手一投足を見るかのようにゆっくりと視線を動かしている。


妙な動きを見逃さないという意思を感じるが、やはり生身でなければそんな思考は働かないはずだと思うことにした。


不自然にならないように両手をポケットから抜き出し、その流れで握りこんだ手榴弾のピンを外して前に転がした。


転がってくる手榴弾を視界に入れたビルシュは、予想通り思考停止状態に陥ったようだ。


手榴弾はその名の通り手で握り込める大きさしかない。元の世界の人間でも、戦場や仕事上で見慣れていなければすぐに何なのかを理解することは難しいのである。




手榴弾が爆発するまでの時間は設定による。


元の世界では、投げ返されないようにピンを抜いてから四秒後に爆発するものもあるが、そういったものはやはり自傷するケースが多い。


今回使用したものの起爆時間は五秒の設定だ。


間合いから外れているとはいえ、普通の手榴弾ならこちらまで被爆する距離である。


立て続けにもうひとつの手榴弾のピンを抜き、同じように転がした。


その時点でようやく攻撃されているのだと気づいたビルシュが身構えたが、一投目の手榴弾からでた煙ですぐに見えなくなった。


続いて二投目の手榴弾も起爆する。


爆音と閃光で相手を一時的に麻痺させるフラッシュバンというタイプだ。俺自身は耳をふさぎ効果を半減させる。


一投目のスモークグレネードの煙で閃光による影響はあまりないだろう。


ただ、これでビルシュを無力化できるとは考えていなかった。


並行して気配を探っていたので、奴がまだ煙の中にいることはわかっている。


すぐに瞬間移動を使い、ビルシュの背後へと移動した。


「!?」


俺が死角に現れたのを気づいたようだが、そのときにはすでに俺の右手がビルシュの首もとに叩きこまれていた。


当身や打撃技ではない。


手に持った道具を使ったのだ。


「ぐっ!?」


やはりビルシュは生身の古代エルダーエルフとして存在した。


俺の右手に握りこまれた注射器の先端が深くささり、中身を体内へと注入する。


全量を押し出すようにして、その場から再び瞬間移動を使って離脱した。


間合いから外れてビルシュの挙動を探る。


ふらつきながら何とか耐えるような仕草をする様子を見て、注射器の中身が効果を発揮したことがわかった。


中身はクリスに用意してもらった仮死化の薬品である。


このまま人間と同じように意識を失い無力化すれば、この戦いは終焉に向けて大きく前進するはずだ。


···そのはずだった。


あれ?


ビルシュの周囲に立ち込めていた煙が晴れていく。


奴は倒れることなく左右に体をぶらしながら、ゆっくりとこちらに向かって来た。


やはり効かないのか···


そう思ったときにビルシュの表情を視認した。


傍から見れば俺の顔色がはっきりと変わったのがわかったはずだ。


血の気が一気に引いていく。


そんな···まさか···


決戦のタイミングでのあまりにも想定外な出来事。


これは意図的なのか、それとも単なるミスか···。


注射器を準備してくれたのはクリスだ。


注射器には二種類あり、ひとつには赤い印があった。


「赤が仮死化···の注射器だ。」


奴はそう言っていた。


今思い返せば、その言葉に一瞬だけ間があった気がするのはソレか!?


まさか、まさかこのタイミングで···仮死化ではなく、媚薬の方を射ち込んでいたとは···。


こちらに向かって来るビルシュは気だるげな動きをしている。


虚ろな目線とピクついた鼻、そしてヨダレが滴る口もと。


絶対ヤバいやつだ、これ···。


このままでも無事に倒せるならそれでもいいが、俺の勘が告げていた。


その男、危険につき···と。


そう思った矢先に、ビルシュが両手を上にあげて指を拳銃のような形にしながら一言発した。


「ふおおおおぉぉぉぉーっ!!」


うわ、完全に目がイッてる。


仮死化を解除するための副作用として聞いてはいたが、アレは媚薬なんて生やさしいものじゃない。


どう見ても盛大にイッちゃってるよ。


ビルシュが一気に間合いを詰めて来た。


俺は咄嗟に同じ速度で逃走する。


「イャァーフォッイイーイー!!」


何か奇声を発しながら追いすがるビルシュに寒気が走る。


仮死化の解毒薬というより、ただのヤバい薬じゃねーか。あれをフェリたちに口移しで飲ませてもらうことになっていたとしたら、何が起きたか想像もできない。


ヤバい。


ビルシュがさらに速度を上げてくる。


俺もさらに加速しながらHG-01を顕現させて後ろに向け盲射した。


「ヒャッハー!!!」


着弾時に見えない何か、おそらく障壁に弾かれた弾丸が上方へと逸らされたのが確認できた。


この距離で防ぐか。


俺は所持している手榴弾のピンを外し、タイミングを見計らって地面へと落とす。


このタイミングなら、ビルシュが通り過ぎた後に背後で爆発するだろう。


爆風で吹っ飛ばされてくれれば、その崩れた体勢に攻撃を加えることができるはずである。


俺は自分が爆発に巻き込まれないように、さらに足を加速させた。ビルシュも同じように加速するだろうが、それも計算済みである。


爆発音が聞こえた瞬間、俺は背後に嫌な気配を感じて前方に体を投げ出した。



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