第2章 亜人の国 51話 「魔王降臨①」

差し出された手を見るが、握手をすべきなのか、手を取り跪いてキスをすべきなのか、少し考えてしまった。


「公王陛下とお見受けしますが?」


そう質問をすると、相手の女性は無言で頷いた。


瞬時に結論を出し、手を取って跪く。


「タイガ・シオタです。以後、お見知りおきを。」


握手は友好の明かしとなるが、臣下とおぼしき面々がいる前で、いきなり対等な立場としてのその行いは少し違うように思う。


そして、手にキスをするのは、中世ヨーロッパの騎士道文化としては貴婦人への献身を示し、敬愛や尊敬を示すのであるが、国によって作法は異なり、場合によっては不敬と思われる可能性があった。


結果として、キスはせずに手を取り跪くだけの儀礼を行い、友好的な態度を見せることにした。


しかし、この解釈には大きな齟齬があった。


ウェルズ公国では、現代の英国と同様にタイガのこの行動は本気の求愛を意味している。


突き詰めれば、プロポーズに値すると言えた。


国や地域ごとの慣習などは、非常に難しいものが多いのだが、この時のタイガにしてみれば、過去に元の世界の任務で訪れたある公国での出来事を思い出しての行為に過ぎなかった。


その国の公女に敬愛を示すために、跪いて手の甲にキスをしようとすると、「それは婚姻の申し込みか!?」と近くにいた公王に凄まれ、危うく国際的な大問題になりかけた経験があったのだ。


それ故に、キスを省略したのだが···それが、この国ではシャレにならない行動だったらしい。


その後、全身を真っ赤に染めた公王イリーナには、「魔王から求婚された···魔王から求婚された···。」と、うわ言のようにつぶやきながら卒倒され、周囲にいるものからは「なんたる不敬をっ!」と、武具を片手に殺到されるという茶番劇が催されたのだ。


すぐに自らの軽率だった解釈に気づいたタイガは、「ヤバしっ!」と緊急避難措置を発動した。


要するに、瞬間移動で逃げたのである。


その後、少しの時間を置き、公王イリーナが1人である状況を見計らって再び瞬間移動で現れたタイガは、必死に誤解を解き、本題の話をするのであった。


因みに、その時の公王イリーナからは、「そなたがそのつもりなら、本気でそうなることを考えたのだが···。」と、口を尖らせて言われてしまっている。


「···あなたは大変魅力的な女性です。しかし、今は対処すべき事案がありますので、他のことを考える余裕がないのです。」と、内心はかなりの焦りをおぼえつつ、誤魔化して逃げたのは言うまでもない。




アースガルズ王国の西北西に位置するヘイド王国。


西の海岸線を、南米アンデスのような山脈が縦断した寒冷の地。


南に位置するウェルズ公国とは真逆で、その地形や環境のために作物は実らず、有力な資源にも乏しい超絶不毛地帯である。


民は貧困に喘ぎ、出生するよりも餓死者の数が勝るとも言われ、当然に目立った産業などない。


しかし、国としては存続している。


実りのない土地のせいで、隣国群からは興味を示されていないために、他国の侵攻の可能性は低いと言って良い。


だが、それとは別に、国ぐるみで隠匿されたある事業により、国力を維持してきた。


高山特有の植物や動物の素材を利用した薬物類の研究開発と、他国への密輸出である。


薬物とは言っても、治療薬の類いではない。


幻覚を起こす物、中毒性のある精神高揚剤、大型の野獣をわずか一滴で死に至らしめる劇薬、果てしない快楽を求めることとなる催淫剤等々···倫理を完全に無視した、いわば、超危険ドラッグのオンパレードなのである。


その情報をタイガにもたらしたのは、ウェルズ公国の公王イリーナである。


「もし、ヘイズに行くことがあるのであれば、何でも良いから情報を提供して欲しい。」と懇願されたのだが、その話の内容は興味を多分にひかれるものであった。


ここ数年、おそらく実際には十余年に渡り、公国内で貴族や商人の怪死事件が数件起こっていた。


死因に関しては何パターンかに分類されるが、発狂したような行動にでて突然死した者や、健康だったものが蒼白な顔でいきなり吐血して死ぬなど、異常としか思えない死に様だったという。


また、公国の調べによると、突然死した者全員が、辺境都市と関わりを持つ者であり、その辺境の地とはヘイド王国と隣接している地域とのことであった。


タイガにしてみれば、隣国同士の小競合いに過ぎないものであるのならば、特に興味を持つつもりはなかった。


しかし、公王イリーナの続く言葉に、対処をすることを決意したのである。


「調査の結果、ある推測が立っている。ヘイドが開発している薬物は、エルフの知識を流用している可能性が高いらしい。」


重たそうな案件である。


今の話が本当であれば、エルフが協力しているか、もしくは強制されているのである。


どちらにせよ、これは打開しておかなければ、人種間の垣根を取り払うことが難しくなると思えたのだ。


「それはダークエルフの知識のようだ。」


ヘイド王国の薬物についてのガイの回答だ。


ウェルズ公国から、一度アースガルズの王城に戻り、協議の合間に確認をしてみた。


余談だが、先にアグラレスに確認をしようかと思ったのだが、エルフの森の位置がはっきりとイメージできず、転移に失敗している。


おそらく、エルフの森は独自の隠蔽が施されており、転移術では直接移動することが叶わないのだろう。


このあたりは精霊神であるアグラレスに同格か、それ以下での神威術では力及ばずといったところなのかもしれない。


「物騒な知識を持っているのだな。」


「確かにな。だが、元々は生きるための術の副産物だ。俺たちは森に生きているから、高山の動植物の知識はないが、薬物の生成については知見がある。はるか昔に散会した同胞が高山で暮らしているのであれば、その地域独自の薬物生成を行っていても不思議には思わない。」


「そうか···。」


「同胞が絡むのであれば、俺も一緒に行かせてはもらえないだろうか?」


この生真面目なダークエルフは、心底良い奴だった。


なぜこんな善人が過去の同族の過ちで冷遇され、ババ色が似合う奴らがふんぞり返っているのか、意味がわからない。


「そうだな。今はまだ情報だけで確証がない。調査が進んだら、その時にお願いする。」


「···そうか、わかった。」


今回は荒事になる予感があった。


ガイやミン達には、あまり手を汚して欲しくはない。


彼らは俺にとって大事な友人で、これ以上の人種間の軋轢は作ってもらいたくはないのだ。


汚れ役は魔王にこそ相応しい。


そして俺の手は、すでに拭いされないほどの血で染まっているのだから。


カリスから補充すべき物資をもらい、再びウェルズ公国に転移する。


公王イリーナから、辺境付近の地図と情報を受け取り、街で細々とした買い物と、睡眠を確保した。




ヘイド王国は、あまり他国に実態が知られていない。辺境から国境を越えて、情報収集をする必要があった。


「今話したような薬は扱ってへんのかな?」


俺は商人を装い、ヘイド王国で情報収集を開始した。


しゃべりが関西弁なのは、お約束だ。


因みに、雰囲気を出すために扮装までしている。


髪型は七三分け、黒縁メガネにスーツっぽい上下。モチーフは個人的に浪花商人のイメージが強い人形"食い◯おれ太郎くん"を模している。因みに偽名はチャーリー・ババだ。


気にするな。


わかる人にだけ、わかれば良いネタだ。


ニヤッとした奴は、スーパー関西人の称号をあげよう。


···話がそれたようだ。


え?


どちらにしても似非だろって?


それを狙っているから良いんだ。


不審な自称商人がうろついている。そう思わせることで、ヘイド王国の関係者が絡んでくるように仕向けたかったのだ。


とにかく、国境を越えてから最も近い街に行き、そこで外国から来た商人に扮して、仕入れや取り引きを匂わせながら、他の都市の情報を入手していった。


転移術は、ある程度具体的な位置情報がなければ、移動先で途方にくれる可能性がある。


移動した瞬間、深い山中や断崖絶壁の端にいるなど嫌すぎるだろ。


地図などが一般的に公開されていない国では、他で用意した大陸地図に入手した情報を書き込んでいきアタリをつけるしかないのだ。


そんなことを繰り返し、高山近くにまでたどり着いたのは、3日目の正午前だった。


普通に移動したら何ヵ月もかかる道のりなので、贅沢なことを言っているのは自覚しているが、これでようやくスタートラインに立てたかと思うと、ため息しかでてこなかった。


さて、ここからが本題だ。


「あんた···その手の話はまずいぞ。そんなことをふれまわっていると、すぐに兵士に連行される。外国の人だからと言って、許してくれたりはしないからな。」


「そうなんや···じゃあ、この街のお偉いさんがいるところを教えてくれへんか?」


「···それを聞いて、どうするつもりなんだ?」


目の前の男は、目に見えて青ざめていた。


「ああ、おいしい話を持ってきたんですって言って、情報をもらおうかと思ってな。」


「いやいやいや、やめといたほうが良い!そんなことをしたら、すぐに首が飛ぶぞ!!」


ふむ···なかなかに強権のようだ。


「そおかぁ···じゃあ、せめて冒険者ギルドがどこにあるか教えてくれへんかな?」


「冒険者ギルド?この国には、そんなものはない。」


「え?マジで?」


魔物などの討伐は、すべて軍の兵士が対応するようで、他国には一般的に存在するギルドは存在しないらしい。


「ああ、本当だ。」


なかなかに、ハードな調査のようだ。




情報収集には進展がなかった。


街を歩き回り、様々な店に入って聞き込みをするが、何も知らないと言うよりは、頑なにその内容には触れたくないといった態度で返される。


ついでに言えば、街に活気はない。


街中に人は出歩いているのだが、必要最小限の買い物を済ますだけで、娯楽関連の施設や笑顔というものに遭遇することはなかった。見る人見る人全員が顔色も悪く、うつむき加減で歩いている。


相手の目を見て話す人は、全体の1割くらいだろうか。やはり、普通ではない。


兵士などが、「怪しい奴め!」とやってくるかという淡い期待もあったのだが、そちらもあてが外れてしまったようで、街中を巡回しているような兵士などは皆無だった。


こうなったら兵士の詰め所にでも押し掛けて、無理矢理にでも情報を引き出してやろうかと、強引な手段を考えていると、前からやって来た人物と目が合った。


「失礼。国境を越えて来た商人殿ですか?」


20歳そこそこの若さに見えるが、その装いのせいか落ち着いて見える。気品もあり、きれいな身なりをしている。この街の住人を見る限り、「おまえこそ余所者だろう。」とツッコみたいくらい浮いている。


「そうですけど、神官様が何か御用ですか?」


「少しお話があるのですが···今から教会の方に足を運んではいただけませんか?」


「教会?どこの?」


「すぐ近くです。」


そう言って、この若い神官は、斜め後ろの方に手をかざした。


確かにすぐ近くに教会がある。


ただ···朽ち果てる一歩手前に見えるのはなぜだろうか。


どう考えても、この神官があの教会の主とは思えない。


しかし、この国に来てからのファーストアプローチである。ソート・ジャッジメントが反応しているわけでもないので、誘いにのってみることにした。


「神官様の誘いを断るのも後味悪いし、行きましょか。」


「···先程から思っていましたが、珍しい言葉づかいをされますね。どちらのご出身ですか?」


「水の都、大阪ですわ。」


「オーサカ···ですか?初めて聞きました。」


でしょうね。


「大阪を知らん?まさか東京は知ってるとか?」


「いえ···どちらも知りません。何と言う国ですか?」


「ニッポンです。」


「は?イッポン···ですか?」


「まあ、そんな感じやわ。」


「はあ···やはり知りませんね···。」


うん、逆に知っていたら怖いわ。



















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