第2章 亜人の国 30話 エージェントは冒険者を目指す③
「あれ?あんた···エルミアだよな?」
宿に着いた早々で、エルミアに声をかける男がいた。スラッとした長身で、イケメンだ。頭にはターバンのようなものを巻いている。
「え、誰?」
「え···あ、俺だよ。勇者のマイケルだ。」
勇者?
え、何それ?
「···ああ、頭に何か巻いているから、わかりませんでした。」
エルミアがとまどった顔をしている。普段はそのターバン擬きはないということか。
「ああ···これは···その···ちょっと訳があって···あ、そういえば、そちらの人は?」
勇者のマイケルは急に歯切れが悪くなり、話をすり替えやがった。何か後ろめたいことでもあるのだろうか。
「タイガです。その···私の旦那様です。」
嬉しいような、困るようなことをエルミアが口走った。ま···まあ、偽装夫婦は継続中なのだが、知り合いにまで嘘をついて良いのか?部屋だって別々にとってしまったぞ。
「···だ···旦那様···。」
マイケルがポカーンとした顔をしている。
これはあれだな。
ちょっと気になっていた美女にツレがいたという、ショックな事実を受けた奴の顔だな。
「はい。」
ニコッと笑うエルミアが可愛すぎる。
「け、結婚していたんだ···。」
「ええ、そうですよ。」
「そうか···。」
どよーんと重たい空気が漂ってきた。ああ、うっとおしい。
「マイケルはなぜここに?」
「ああ、それは···。」
「あれ?エルミアじゃない?」
マイケルの後ろから、ぐらまぁなお姉さんがひょっこりと出てきた。ベリーダンサーのような衣装を纏っているが、腰にある武具が冒険者らしき素性を物語っている。
「ケイトさんも···。こんにちわ。」
「こんにちわ。久しぶりだね。」
「はい。お元気そうで何よりです。」
どうでも良いが、マイケルさんとやらは気圧されたように脇にどけていた。何やら、「もう踏んだり蹴ったりだ。」などと、ぶつぶつ言っているが、興味がないので無視しておこう。
「それがさぁ、体は元気なんだけど、マイケルのせいで依頼に出遅れちゃって。何の成果もなく王都に帰る途中なんだぁ。」
「そうなんですか?依頼に失敗って、珍しいですね?」
「そうでしょ?あのヘカトンケイルの討伐だったんだけどさぁ、現場に到着するのが遅かったから、誰かが討伐した後だったんだよ。」
ん?
ヘカトンケイル?
どういうことだろうか。
「ヘカトンケイル···ですか?」
「うん。あ、もしかして、ルービーの冒険者が倒したのかな?エルミアも、そっちを手伝いに行っていたんでしょ?」
「え···と···。」
エルミアが何と答えるべきかと俺を見た。
「ヘカトンケイルなら、知り合いのエルフが倒しましたよ。」
相手が何者かが、いまいちわからないので、代わりに答えることにした。
「え?」という顔をするエルミアの頭を、ぽんぽんと手で触れる。
「エルフが···そう、それであなたは?」
「申し遅れました、タイガと言います。妻のエルミアが、いつもお世話になっているようですね。」
「妻!?えっ?へ?」
ケイトさんは、俺とエルミアの顔を交互に見て驚いている。
エルミアは恥ずかしいのか、顔が真っ赤だった。後で謝った方が良いかもしれないな。
「そ···そうなんだ。エルミア、結婚していたんだぁ···(うう···私も旦那様ほしいっ!)。」
「え···と···最後に何かつぶやかれましたか?」
「えっ?何も言っていないわよ。」
ふむ···顔はニンマリとした笑顔だが、余計なことを聞くんじゃないわよ!的なオーラを発しているな。
関西ならツッコむためのフリという場面だが、今やると激しく嫌われる結果しか見えない。やめておいた方が無難だろう。
「そうですか。それは失礼しました。」
「気にしなくていいわ。肌や髪の色からすると、あなたもエルフ?じゃないか。耳が違うわね。」
どうやら、ケイトさん達はエルミアのことを蔑視していないようだ。ダークエルフではなく、エルフと言ったしな。
「俺たちは種族で差別をしたりはしない。だから、警戒しなくても良いぞ。」
少しの間だが黙っていた俺を気にかけてか、マイケルが声をかけてきた。
「そうなんですね。」
「ああ。これを見てくれ。」
そう言ったマイケルは、頭を指さした。厳密には、頭に巻いたターバン擬きのことを言っているのだろう。
マイケルにもケモみみかエルフ耳があるのかもしれない。ターバン擬きは、それを隠すためか。
「この頭を見たらわかるだろ?」
「頭···ですか?」
「俺の頭は柔軟な思考をする。人種差別なんかしないさ。」
···頭の中身が柔軟かどうかなんて、見た目ではわからんのだが。主語が抜けていて、言葉の意味が不明すぎる。
「柔軟かどうかはともかく···その巻いた布の中身が気になりますね。」
「中身···。」
「ええ。何が隠されているのか、気になります。」
「···························。」
あれ?何か涙目になっているぞ。
そんなに変な耳でも付いているのだろうか?
ウサミミとか?
かわいすぎて恥ずかしいのか?
「大丈夫ですよ。俺も頭を見ただけで、差別などしませんから。」
「い···いや···ああっ、悪い!ちょっと急用を思い出したぁ!」
マイケルは急に走り去ってしまった。頬を伝う涙がモロに見えてしまい、余計に訳がわからない。
「あなたに悪気がなかったことはわかるわ。でも···今はそっとしておいてあげて。」
ケイトさんは沈痛な面持ちでそんなことを言った。
いや、意味がわからんし!?
宿屋には、大浴場があるらしい。
湯の温度はそれほど高くはないが、地下から組み上げているとの事だ。
話を聞く限り、温泉ではないだろう。
地層に溜まった水が、地熱で温かくなったもの。良くある温泉擬きと言える。
湯量はあまり多くないため、町全体に行き渡るほどではないそうだ。それほど遠くない未来に枯渇するのではないかと思う。
因みに、小さな風呂がある客室もあったのだが、そこはエルミアに譲っている。さすがに大浴場ともなると耳が露出するので、それが原因でトラブルに巻き込まれるのを避けるためだ。
『何にせよ、風呂に入れるのはありがたい。』
ここしばらくは、水浴びか濡れた布で体を拭くだけの生活だった。
体を清潔にすることは感染病の抑止にもなるが、湯船に浸かることで疲れを癒す効果を得ることになる。
受付カウンターの横の通路を抜けて大浴場にたどり着くと、男性用の扉を開けて入っていった。
脱衣場のような広間に入ると、全裸の女性達が···何て事はない。
閑散とした空間がそこにはあり、「あれ?もしかして貸し切り状態?」的な感じだ。
人が大勢いる浴場など、興ざめも良いところなのだが、誰もいないとなると寒々とした感覚に陥ったりする。
ふと、先客がいることに気づいた。
脱いだ衣服が棚に置かれているのだが、そこには長い布がたたまれている。
お、あれって、もしかするとターバン擬きか?
マイケルが入っているのかもしれない。
ちょうど良い。どんな耳をしているのか、拝見させてもらおう。
果たして、ウサミミなのか?それともエルフ耳か?もしかしたら、ネズミ耳とかかもしれないな。
そんなことを思いながら、大浴場に足を踏み入れた。
湯船に1人の男がいる。
···あれ?
これは···想定外だ。
たぶん、あれは先程のマイケルで間違いはないだろう。顔つきは記憶にある造形をしている。
しかし···ケモみみやエルフ耳、ましてやネズミ耳などは見当たらない。
普通に、人間の耳だ。
だが···明らかに異質なものを目の当たりにした。
頭頂部に髪がないのだ。
大浴場の湯面から突き出たその顔は···まるで落武者のようだった···。
じぃーっ。
風呂に浮かぶ落武者の首···もとい、勇者マイケルを見る。
「························。」
目をそらしたマイケルは、落ち着かない様子だ。
普段からカツラでハゲを隠している人間なら、当然の反応だろう。
素頭?の自分が直視されているというのは、居心地の悪さ満点に違いない。
だが、それでも見つめ続ける。
じぃーっ。
マイケルの頬がひくついているように見える。
「ハゲだろうが、堂々としてれば良いのに。」というのは、ハゲていない奴の傲慢さだろう。
彼らにとっては、大きな大きなコンプレックスに違いない。
「な···何か?」
さすがに視線に耐えられなくなったのか、マイケルが話しかけてきた。
「いや、髪は銀色なんだなと思ってな。」
「···お知り合いでしたか?」
少し苛立ちのある声音で返答をされた。「俺のハゲ頭を見るんじゃねぇ!」とでも思っているのかもしれない。
「さっき、会ったばかりだが。」
「え···?」
ん?
あ、そうか。
ここに来るまでは、カツラをかぶっていた。今は黒の短髪だ。雰囲気が変わりすぎてわからないか。
「エルミアのツレです。」
「···あ、あ~···タイガさんでしたね···。」
知り合ったばかりでハゲ頭がバレたというバツの悪さからか、マイケルは視線をそらせた。
内心ではかなりテンパっているのだろう。俺の頭の変化にも気づかない様子だ。
あ、もしかして···。
ここで勇者とやらを味方につけておくのも悪くはないか。
いや、でも···。
う~ん、仕方がない。
また、アレでいくか···。
行動指針が決まった。
俺は湯船に浸かり、マイケルの正面に座った。
「マイケルさん。悪気があって言うわけじゃない。今から話すことを冷静に聞いて欲しい。」
「···な、何でしょう···?」
「実は···。」
俺がここに来るまでに、マイケルの物らしきカツラを譲り受けた経緯を話した。
もちろん、誤解をされてマイケルが敵意を持たないように、時系列でわかりやすく、真面目にだ。
「ほ、本当ですかっ!」
「ああ。風呂からあがったら、脱衣所まで持ってくるよ。」
「ありがとうございますっ!」
いやいや、感謝するのは良いけど、全裸で詰め寄ってくるなよ。
「あなたは神だっ!」
いや、違うし。
おい···両手で俺の手を包みこんで握るな。
「たいしたことじゃない。だから、離れて···。」
「いえっ!あなたは命の恩人にも等しいっ!!だからっ!!!」
だから、抱きつくなっちゅーねん!
ドカッ!
俺は全裸で抱きついてきたマイケルの顎に掌底を突き上げた。
「ごっ!?」
何度でも言おう。
俺は全裸で詰め寄ってくる男は、全力で否定する。
例え、それが国王であろうが、勇者であろうと関係はない。
風呂からあがった俺は、カツラを取りに部屋に戻ることにした。
仰向けで浮かぶ勇者マイケルを放置して。
余談だが、やはりマイケルは勇者だった。彼の股間にある魔王は、魔王らしさのない皮かむりの様相を呈していたのだ。
ハゲよりも、そちらを気にしろとは、口が裂けても言わないが。
それだと、夜の勇者にはなれないぞ。
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