第1章 91話 エージェントの遠征③
「本物のテトリア様だ···。」
魔法で遠視を続けていたサキナが口走った。
分隊で監視任務にいた者達に集合するよう指示を出し、それが完了するまでの間、タイガを目で追っていたのだ。
テトリア様と目される男は、魔物の群れに近づくと、なぜか魔法ではなく、小さな瓶の口に火を着けて投げたのだった。それで混乱を招き、群れの外周部分の魔物数体に近づいて、難なく倒したのだ。建物内ならともかく、山間や平原では魔法による攻撃は、魔力の波動により敵に居場所がバレやすい。それを危惧した上での戦術。サキナにはそう思えた。「うひょー、さすがはテトリア様。百戦錬磨ね。」などと、独り言を言って、周りの兵士達をドン引きさせていた。
衝撃的な光景を目の当たりにしたのは、キラーグリズリーが突進し、避けきれないと思った時だ。彼が何かを叫んだ瞬間、眩い光が周囲を照らした。視界が戻った時には、キラーグリズリーは倒れ、傍らに立っていたのは漆黒の鎧を纏った彼だった。
サキナは思わず大きな声で、「本物のテトリア様だ···。」と、口にしたのだ。幼い時から知っている、フルプレートアーマー。教会にある彫像や英雄譚の挿し絵などで、何度となく頭に刻み込まれたそれを、見紛うはずなどない。
束の間の驚き。
「そうだ。大司教代理が本物と保証する彼が、あのアーマーを纏えるのは当たり前のことだ。」
サキナは興奮を抑えて、次の判断を下した。
「遠距離の攻撃魔法を使える者は、隊列を組め。彼を支援するぞ。」
その言葉に緊迫が走る。
「他の者は、魔物の攻撃に備えて防壁になれ!攻撃部隊は彼の妨げとならないよう、魔物の密集した部分を狙って戦力を削るのだ。」
「「「はっ!」」」
役割ごとに小隊が再編される。
普段の訓練の賜物か、隊をまとめる小隊長達がすぐに呼応した。
タイガは平坦な場所に移ると、こちらとの間合いを徐々に詰めてくる魔物達を見据えた。
太い木々が連なり、それが障害物となって、一気に距離を縮められない。それがフラストレーションとなるのか、威嚇のような唸り声が重なりあっている。
「なんでやねん!」
タイガは鎧を解除するために、再びキーワードを唱えた。眩い光が放たれ、瞬間的な目潰しが魔物達を襲う。
持ってて良かったアサフェティダ。
先程とは異なる小瓶を取り出した。バリエ卿を襲った盗賊達に使った、最凶のあれだ。
別名、"悪魔の糞"。
魔物と一括りに言われるが、分類で考えればキラーグリズリーは魔獣。当然、嗅覚が鋭いのだが、クマは地球上の生物の中でも最も鼻が利く動物だと考えられている。実に人間の約2100倍。これは異世界であっても、同じと考えられた。
タイガの立ち位置は風上。当然、そこは計算に入れていた。鎧解除の発光がおさまる瞬間、小瓶を先頭にいるキラーグリズリーに投げる。
小瓶は、キラーグリズリーの額に命中して四散し、中に入っていた猛烈な臭気が風下に流れた。
その後は、正に阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
アサフェティダの臭気を嗅いだキラーグリズリーは、尽く口から泡をはいて気絶。そこに混じっていたオーガも、嘔吐しながら倒れたり、鼻を押さえて逃げまどい、邪魔になる他の魔物と仲違いを始めた。
タイガは、その様子を見てから視界に入る範囲の魔物に、ひさびさの風撃無双を手当たり次第にみまう。
急所へのピンポイント攻撃など、風撃無双には望めない。しかし、手数の多さが、隙だらけの魔物達に致命傷を与えていった。
「群れの真ん中より後方を狙え!テトリア様が孤軍奮闘をされている。何もサポートができないのであれば、我が隊の名折れだと思え!!」
サキナの一声に攻撃部隊は鼓舞し、防御部隊は守りを固めた。
「放撃開始!」
横一列に隊列を組んだ兵士が詠唱を開始する。個人の技量により、魔法の発動には時間差があったが、数十秒後には絨毯爆撃のような勢いで、魔物の群れにダメージを与えていく。
ズドドォーン!
地響きが鳴り、辺り一面が落雷時のように明滅する。
だが、派手さとは裏腹に、致死に至る魔物は少ない。これも魔法士の技量によるものではあるが、キラーグリズリーやオーガを瞬殺できるような魔法は、誰にでも使いこなせる訳ではない。魔法耐性が高いからこそ、上位種として危険視をされているのだ。
「副官!私も攻撃に出る。後の指揮は任せたぞ。」
「了解しました!」
サキナは、目の前に魔法陣を再度展開させた。先程とは違い、2つの魔法陣が30cmくらいの距離で目線の先に現れる。イーグルアイ·スナイプモード。遠距離での魔法狙撃に特化した形式だ。銃に例えると、前が照星、後ろが照門にあたり、対象に照準を合わせるために使う。
タイガがいる場所の手前約50メートルの辺りでは、アサフェティダの臭気と風撃無双によって後退するグループと、後方から前進してくるグループとが衝突し、魔物の群れの中でも、最も密集した地点となっていた。
サキナはイーグルアイ·スナイプモードの照準をその位置に合わせ、ウィル·オー·ザ·ウィスプの聖霊を呼ぶ。
ウィル·オー·ザ·ウィスプは光の聖霊で、妖精が変身した姿であると言われている。顕現させて魔力をこめることで、青白い光を放つ浮遊体となるが、攻撃に転化した場合は、凄まじい破壊力を持つ。
「イグニス·ファトゥス!」
サキナが言い放った言葉で顕現したそれは、30cm大の青白い球体となり、狙った位置に向けて高速発射した。
ほんの僅かな時間で、魔物が犇めく所に着弾した球体は、崩壊を始めて辺り一面に爆裂をみまう。
爆心部分は炭化し、そこを中心に20メートル以内の範囲にいた魔物達は、体を四散させるか、吹き飛んで体を強く叩きつけられて絶命した。
サキナは荒い息を吐きながら、自らが放った魔法の効果をイーグル·アイで確認した。
「倒せたのは、十数体と言ったところか···。」
強烈な魔法を披露したサキナだが、その表情に安堵感はない。2つの聖霊魔法を同時に使うことは、尋常でない集中力を要する。効果が高いからと言って、何度も連発はできないのだ。
「ようやく1割程度。まだ先は長いな···。」
サキナが呟いたように、魔物の数はまだまだ多い。しかも、テスラの兵士は、無限に魔法を放てる訳ではないのだ。
「!?」
テトリアを目で探していたサキナは、その姿を見つけることができなかった。イグニス·ファトゥスを放つまでは、視界の端にとらえていたはずだったが、今はどこにも見当たらない。
「一体、どこに···。」
厳しい状況の中で、精神的支柱となった彼の姿を見失い、サキナは得体の知れない不安を感じていた。
おそらく、テスラの兵の支援だろう。
爆撃のような攻撃が、一斉に魔物の群れを襲った。そして、そのすぐ後には、プラズマのような球体が高速で飛んできて、直径数十メートルの範囲で爆裂が起きる。
タイガはそんな状況でも躊躇うことなく、身近な魔物を斬り捨てていく。突然の範囲攻撃に魔物達はさらに混乱に陥り、こちらへの警戒を怠っている。今が、その数を減らすチャンスだった。
オーガの手足の腱を斬り裂き、キラーグリズリーの耳穴にバスタードソードを刺して貫く。手数で次々に行動不能に追いやっていった。
『「!」』
嫌なものを感じた。
ソート·ジャッジメントに反応したそれは、紛れもない邪気だ。
『いるな···魔族が。』
教会本部を出る時に、明確ではないが魔人、もしくは魔族らしき者が確認されたとは聞いていた。情報が曖昧なのは、ソースがかなり遠方から監視をしていた兵士の「魔物の群れの中に、人間がいた。」という証言だけだったからだ。普通の人間が、魔物に紛れて行動を共にするとは考えにくい。その後に続報はないので、見間違いであった可能性も否定はできなかったのだが。
しかし、神アトレイクの言葉に間違いはない。悪意は感じられず、根深い闇を思わせる邪気だけを感じた。
「もしかして、上位魔族か?」
『だろうな。しかし、そなたのスキルは、その見分けまでつくのか?』
「邪気の質が違うからな。深い闇を感じた。」
『そうか···。』
神アトレイクも、魔族の存在を感知した時に同様に感じた。タイガのスキルも、同質のものなのかもしれない。
サキナ達がいる方向に視線を向けたタイガは、気配を消し、魔物の群れから離れだした。
「聖霊魔法か。なかなかの威力だな。」
上空から声がした。
背筋が凍るような重々しい声。
サキナがその声の方向を見る。
「!」
ゆっくりと下降してくる男は、紅蓮のような赤い瞳をしていた。
魔物の群れの中に、魔族らしき存在がいたとの報告があった。それを失念していた訳ではないが、サキナはその存在感の大きさに絶句した。
サキナは魔族と遭遇するのが初めてではない。父と共に、討伐をした経験すらあった。
しかし、目の前に降りてきた魔族は、格が違った。ただ目が合うだけで、体が動かない。このままでは危険だとわかっていても、声を発することもできないほどの威圧感···いや、これが精神干渉なのか。
サキナは、聖霊スプライトを呼び寄せた。スプライトは草の下位聖霊だが、姿隠しを得意とする。そのスキルで自身を不可視化し、魔族の精神干渉から逃れようとした。
「ほう、なかなかの精神力だ。そんな風にあがくとはな。先程の攻撃もそうだが、少し厄介か。」
魔族はそう言うと、腰に差した剣を抜き、サキナにゆっくりと近づいた。
「発想は良かったがな。下位聖霊ごときでは役に立たんぞ。」
相変わらず、身動きも声を発っすることもできないサキナは、頭上に振り上げられる剣を見ているしかなかった。
「ぬ!?」
魔族が急に後ろを振り返った。
しばらく、そちらを凝視する。
「···気のせいか。」
再びサキナの方を向こうとした瞬間。
ザシュッ!
剣を持つ手が、肩から斬り落とされた。
「なっ!?」
驚きの表情を浮かべた魔族が、状況を理解する前に、背中から胸を刃が貫いた。
「ぐほっ!」
残った腕を捕まれて後方に捻られ、魔族はうつむせに地面に叩きつけられた。
「さっきのプラズマをこいつに撃ち込め!!」
魔族を屈伏させてサキナに叫んだのは、ハゲ···もとい、スキンヘッドのスレイヤーだった。
「は···はひっ!?テ···テトリア様っ!」
呪縛から解き放たれかのように、サキナが言葉を発する。
「早く!」
タイガは急かしながらも、抑え込んだ魔族の頭を鷲掴みにして、何度も地面に叩きつける。
「は、はいっ!」
プラズマという言葉の意味はわからなかったが、自分への指示だとすると、やるべきことは一つだった。サキナは後方に移動しながら、ウィル·オー·ザ·ウィスプの聖霊を再度呼び出し、イグニス·ファトゥスを放撃可能な状態にする。
「テトリア様、いつでも撃てます!」
「今すぐ撃て!俺には構うな!!」
魔族の頭で地面をひたすら連打するタイガが叫ぶ。
「ですが···。」
「やれっ!」
殺気を孕んだ言葉に、サキナはすぐに行動した。容赦ない。そして、ちょっと怖かった。
「はひっ!イグニス·ファトゥス!!」
再び青白い球体が顕現し、超高速でタイガと魔族に向かっていくのだった。
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