第1章 90話 エージェントの遠征②

テスラ王国の国教は、アトレイク教である。


国民の大半が信徒ではあるが、特に魔物との闘いが日常化している兵士や冒険者の中に、熱烈なテトリアの信者が多い。


サキナも、幼い時よりテトリアの英雄譚を聞いて育ち、魔法と剣の修練に明け暮れた1人である。


そんなサキナが、アトレイク教の紋章が入った手紙を持ち、わなわなと震えだした。口を少し開き、蒼白な顔をしながら、機械仕掛けの人形のように、手紙をスレイヤーから預かった分隊長に顔を向ける。


「ど···どうされました?」


普段は誇り高く、冷徹な態度を取る上官が、尋常ではない狼狽え方をしている。一体何が書かれていたのか、想像もつかなかった。


「あのスレイヤーは···いや、あの御方は、テトリア様の再臨されたお姿だと···。」


「は?」


分隊長には、わけがわからなかった。テトリア様の再臨?そんなお伽噺のようなことが、あるはずがない。


「は?ではない、馬鹿者!テトリア様だ!!」


「一体、その手紙には何が書かれているのですか!?」


その手紙は、タイガが教会本部を出立する前に、大司教代理から手渡された物だった。初見であるテスラ王国の指揮官と、協力体制を敷くための身元保証の意味合いがあった。


文面には、教会に災厄をもたらせた魔人3体をたった1人で倒したことや、大司教が影で糸を引いていたことについても明るみにしたと記されていた。また、何人もの信者が、タイガがテトリア様の鎧を瞬時に纏ったことを目撃しており、大司教代理も直接その姿を確認したとされている。


そして、大司教代理直筆の署名が手紙の結びの後にあり、封蝋の紋と合わせて、その真偽を示していた。


「こ、こ、こ、こ、これはっ!?」


サキナに手紙を見せられた分隊長は、その事実に驚くあまり、卒倒しかけた。


こうして、テトリア再臨の噂は、ワールド·ワイドに広がっていくのである。現代に甦ったテトリアは、ツルッパゲだというオマケ付きで。




タイガは、魔物の群れに向かって歩いていた。


日暮れ前にこちらに到着し、大司教代理に渡された手紙を現地の指揮官に届けようとしたのだが、分隊規模の隊と接触した瞬間に「怪しい奴め!」と言われて、胸ぐらをつかまれたのだ。条件反射で相手の顎を肘で突き上げて倒すと、今度はそこにいる全員でかかってきたので、意識を刈り取ってしまった。


残った分隊長らしき男が震えながら後退ったので、スレイヤーだと正体を明かして、大司教代理からの手紙を渡し、離脱した。


援軍で来たつもりだったのだが、何かの手違いなのだろうかと思案をしていると、魔物の群れの気配が濃密になってくる。


随分と多いな。


率直な感想だった。


以前に、オーク300体と対峙したが、それとは比べ物にならない圧を感じた。個体の強さも、その数も段違いだ。


さて、どう攻めるかな。


タイガは、まるで散歩でもするかのように先を進んだ。




サキナは聖霊魔法の使い手である。


イーグルの聖霊を呼び出し、遠視と空間把握の効果を持つ、イーグル·アイと呼ばれる魔法を展開した。


イーグルとは常態契約を結んでおり、戦いの場面で敵の状況を把握したり、戦術を練る時に重宝している。


サキナはその豪胆な性格から、バトル·ジャンキーと誤解をされることが少なくない。しかし、実際は、緻密な作戦の上での効率的な戦いを好む戦術家なのだ。


犠牲を最小限に抑えて任務を遂行させるその能力は、王国軍本部からも高い評価をされており、若くして重要拠点であるシニタ中立領に程近い、詰所を任されるようになった。


とは言え、この地で今のような緊迫状態に追い込まれることは、希なことである。


いくら能力に優れているとは言え、辺境伯の娘が危険度の高い任地を与えられることは、通常ではありえない。サキナには弟がおり、本人が襲位して辺境伯となる予定もないのだ。いずれ、名のある貴族と婚姻を結び、家の繁栄に貢献せねばならなかった。


加えて、同国の辺境伯は、その全てが王族なのである。テスラ王国の辺境は広大な国土ゆえ、中央から相当な距離がある。その統治や、隣接する国々との交流を蔑ろにするわけにはいかず、結果、国王の直系を配することが、長年に渡って続いていた。


サキナも王家の血を引いている。


自ら戦いに身を置く職務を志願したとは言え、万一、任地で命を落とそうものなら、王家にとっての波紋となりかねなかった。本来であれば、対応が難しい今案件では、現地に赴くことなく、詰所で待機をするように父からも指示を受けていたのだ。


しかし、本人は今、テトリアの再臨と呼ばれる男の存在に夢中になっていた。ここに来たのは、民と領土を守りたいという一心ではあったのだが、歴史的な快挙を成し遂げた偉人が、現代に甦ってすぐ近くにいるのだ。


幼少の頃から憧れていた英雄を前に、王家の慣わしや、父の指示などは霞んで見えた。


家の繁栄は大事なことだと思う。しかし、サキナの本心は、自分より弱い男に一生寄り添うことなどしたくはなかった。どうせなら、領地や民を守るために命を捧げるか、自分が認めた男性と添い遂げたかったのだ。


そんな想いから、タイガに、強い興味を抱いたのは無理のないことと言えた。


「確かに、顔を見る限りまだ若いな。しかし、頭がツルツルなのは何だ?苦労しているからか?いや···そんなことは些細なことだ。何割かの男は、いずれ禿げ上がるのだからな。」


目の前に浮かんだ魔法陣で、遠視をするサキナの表情には嬉々としたものがあり、本人も気づかないうちに独り言を並べていた。


普段の上官からは想像もつかないその様子に、周りにいた兵士達は不気味さを感じて距離を置いていた。


「お、おい。サキナ様が何かぶつぶつと言っているぞ···。」


「独り言もそうだけど、たまにニヘェ~って笑うんだよ。」


「しっ!聞こえたら、しばかれるぞっ!」


緊迫感はどこかに消えていた···。


「サ···サキナ様。」


「なんだ!?」


年嵩の男、副官が話しかけるが、怒声で返された。


「て···手助けに行かなくとも、良いのですか?いくら、テトリア様の再臨されたお姿だとしても、少し敵が多すぎるのでは···。」


その言葉を聞いたサキナは、急に真顔になった。


「そうか···その手があった。これでお近づきになる大義名分が···。」


魔法陣を覗く目はそのままに、何かを呟いている。


傍らでは、副官がため息をつき、自分達の行く末を案じていた。




『勝算はあるのか?』


魔物の群れに向かって歩いていると、神アトレイクが話しかけてきた。


「勝算か···どうだろうな。」


勝算など、あまり意識はしていなかった。動けないような傷を負ったり、死なないように動く。ただ、それだけだった。


『この状況を打破するには、魔物の殲滅しかないと思うがな。』


「気負いする必要などないだろう。魔物の数を、外側から削り続ける。状況が悪くなれば、距離を置いて仕切り直せば良い。」


注意すべきは、魔物の群れに囲まれることだ。逃げ道がなくなれば、精神的にも余裕がなくなる。


『達観しているのだな。初代は、慎重すぎるほどだったのだが。』


「初代?」


『テトリアだ。』


「初代も元祖もないだろう。俺はテトリアではない。」


『個人としてはそうだろうが、周りがそう思わないのではないか?』


「···謀ったな?」


『さあ、何のことかな。』


タイガはクリスティーヌを助けるために、自らの命を代償にしても良いと言った。そのため、もう1人の堕神や魔族との戦いに備えるべく、神アトレイクは今後のパートナーとして、タイガを選んだのだ。テトリアが再臨した姿であると周知されれば、国家や組織は安易にタイガを囲い込めなくなる。


希代の英雄テトリア。


その存在を独占することは、大きな反発を生む。魔族からの脅威に抗うスレイヤーのような職務ならともかく、一国の支配下に置くことは、他国やアトレイク教が黙ってはいないだろう。


「まあ、いいさ。協力はするが、自分の判断はねじ曲げない。それだけは、言っておく。」


神であったとしても、善悪の基準は委ねる気はない。タイガは暗にそれを伝えた。


『憶えておこう。』


奇妙な関係である。


かたや、神界を追い出された堕神。


かたや、異世界からの来訪者。


互いに立場や思うところは異なるが、行き着く所は同じであった。


人間社会を守るために、動く。




タイガは、アルコール度数が高い酒瓶を2本取り出した。


容量180mlくらいの小瓶で、消毒用として所持していたものだ。栓を抜き、その口に布を捩じ込む。酒が布に染み渡るのを確認してから火を着け、魔物が密集している所に投げつけた。


空中で回転をしながら飛んでいった小瓶は、魔物達の注意を引きながら、やがてキラーグリズリーの背中と、オーガの頭にそれぞれ落下し、瓶が割れると同時に酒が飛び散り、勢いよく燃え上がった。


2体の魔物が熱さに叫ぶ。


キラーグリズリーは背中を燃やしながら走り出し、他の魔物達を次々と薙ぎ倒す。一方のオーガは持っていた棍棒で、八つ当たり気味に周りの魔物を殴り始めた。


タイガはすぐに疾走して、暴れる2体に気を削がれた魔物に肉薄する。


抜刀。


斬!


斬!!


斬!!!


蒼龍の剣筋が夕闇の中を走り、複数の魔物を戦闘不能に追いやった。


こちらに気づいたキラーグリズリーに、足下の土を蹴りあげて、瞬間的な目潰しをくらわす。蒼龍を開いていた口に突き入れ、切っ先を上に跳ねあげ、脳を破壊。キラーグリズリーは動きを止め、ゆっくりと崩れ落ちた。


タイガは、そのまま振り返って走り出す。緩やかな傾斜を駆け上がると、木々が立ち並んでいた。後ろからは、数体の魔物が追ってくる気配がしていたが、それを見ることなく、魔物の群れから距離を取る。


大きな岩の横を通りすぎる時に、気配をそのまま走らせ、自らは岩の影に身を置いた。


気配を追って横を通りすぎた2体の魔物を、背中から袈裟斬り、返す刀で真一文字に斬り裂く。


グォォォー!


遅れて追ってきたオーガが、後ろから襲いかかってきた。 


振り下ろされる棍棒をかわし、足の指を切断。前のめりに倒れかかるオーガの背中に蒼龍を突き刺す。鍔の辺りまで入ってから、手首を返し、そのまま肩まで斬り裂いた。 


倒したオーガの棍棒を拾い、そのまま横に投げる。


追い迫ってきたキラーグリズリーの顔に当たるが、そんなもので怯むこともなく、前進する勢いは止まらない。


ちっ!


瞬きすらしないか···やむを得ん。


「なんでやねん!」


テトリアの鎧を纏う時に恒例の、眩い光が出た。


キラーグリズリーが、眩しさに目を瞑った。その瞼に、蒼龍が深く突き刺ささり、命を奪う。


「テトリアの鎧はデメリットがきついが、これだけは使えるな。」


タイガは小さく呟いた。


因みにデメリットとは、視界が狭くなること以外に、タイガをテトリアの再臨した姿だと、他人に誤認させてしまうことにある。そして他方では、こういった多数の敵を相手取る時にも、厳しい状況を作る。


「今の光で、他の魔物もこちらに気づいたか···。」


先程までは、魔物の一部しかこちらを追ってきてはいなかったのだが、今の発光でタイガを認識してしまったようだ。怒濤の勢いで、数百体が向かってくる気配を感じた。


「はぁ、これはヤバイかな···。」


タイガは離脱を考えたが、近くまで迫った魔物の数を見て、考えを改めた。


数十メートルの距離に、キラーグリズリーが10体以上いる。元の世界の知識で考えれば、グリズリーは450kgの巨体に関わらず、時速56kmに達する脚力を持つ。魔物であることを考慮すれば、キラーグリズリーは、おそらくそれ以上の速さを持っている。身体能力が高まっているタイガであっても、敵のフィールドである山間部では、複数体の追跡から逃げ切るのは、かなり厳しいと考えられた。


蒼龍を鞘に納め、バスタードソードにスイッチする。ここは、耐久性と破壊力に優れた剣の方が、活路を見いだせる。


タイガは、敵と周囲の環境を素早く確認して、少しでも有利な条件で戦えるように、足場のしっかりとした場所に移動を始めた。


やはり、新しい武器は必要だな···。


魔法が使えないタイガは、現状、肉弾戦に終始するしかなかったのである。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る