第1章 92話 エージェントの遠征④

イグニス·ファトゥスが爆裂を巻き起こし、その爆風がサキナの所まで流れてきた。


展開した魔法障壁に、飛んできた木片や石があたる。間合いは十分に取ったが、焦ってしまい、イグニス·ファトゥスの威力がいつもよりも高くなった。


「やばい···やってしまった。テトリア様は無事なのか?」


内心でつぶやき、ソワソワとする。


土煙がおさまると、地面には直径数十メートルの窪みができており、そこには黒っぽい土しか見えない。


サキナは前に進み、その窪みに目を凝らす。


「魔族なら、その辺に散らばっているぞ。」


突然、背後から声がした。


「う、うわぁーっ!」


驚いて振り向こうとすると、起伏に足を取られて倒れそうになる。


「危ない。」


サキナの背中に手が添えられ、体を起こしてくれたのは、月明りで頭部が輝く彼だった。


「テトリア···様。」


後光が差したかのような、その凛々しい姿に目を奪われたサキナだったが、拗ねたような、諦めたような表情をした彼が気になった。


「どうか···されましたか?」


「説明するとややこしいから省略するが、俺はテトリアじゃない。」


「え?」


「タイガ·シオタ。ただのスレイヤーだ。」


サキナは困惑した。


大司教代理の手紙だけではなく、自らの眼でテトリアの鎧を纏う姿を見ているのだ。


「でも···鎧を···。」


「神の悪戯でそうなった。」


「悪戯···はぅっ!?あ···あの···手が···私の胸を···。」


背中に添えられていた手が、なぜか胸の端にまで伸びてきて、むにむにとしていた。


「ああ···すまない。激闘で握力がなくなっているみたいだ。自分の意思と反して、勝手に動く。」


タイガは、サキナが自分で立てるのかを確認してから、手を離した。


「さてと、残党狩りに行くかな。」


そう言って、元いた方角に走り出した。


「え···え~···胸を、揉まれた?」


サキナは唖然として、光る頭の男を見送った。




『話をそらすにしても、他の手段があったであろう?』


タイガは、自分がテトリアの再臨した姿だと決めつけられるのは嫌だったのだが、あまり誰彼構わずに詳しい説明をするのもどうかと思った。


「···························。」


『昔なら、猥褻の罪は磔だぞ。』


「今は違うのか?」


『今のことは私に聞くな。』


「ああ、そうだったな。」


『しかし、奥手かと思っていたが、どうも違うらしいな。』


タイガは奥手ではない。


任務の対象であれば、真顔で恥ずかしいセリフでも言ってのける。知らない相手の方が、何も意識せずに接することができる。ヘタに関わってしまうと、それができなくなるのは、プラトニックなつきあいに慣れていないからだ。


自分の事ながら、残念な奴だと凹む。


因みに、握力がなくなって、むにむにしてしまったのは本当だ。


本当だからな。




主導していた魔族が倒れたからか、サキナのイグニス·ファトゥスが効果的だったのか、もしくは、その両方なのかもしれない。魔物達は逃走を始めようとしていた。しかし、数が多いため、互いが邪魔となって進行方向が定まらない。


タイガは残った最後の小瓶を投げた。中身は当然、アサフェティダだ。小瓶は弧を描きながら、群れの最奥の方に落下。すぐに異臭が漂い、魔物が半狂乱になる。


風下に立っていたタイガの方角に、一斉に魔物が走ってきた。


距離は100メートル程。


地面に転がっていた手頃な石を拾い、低弾道で投げる。


先頭のキラーグリズリーの前足にヒットした。この程度では、キラーグリズリーを止めることはできないが、痛みによって減速したことで、後続の魔物達が折り重なるように衝突した。車と同じで、急には止まれない。


そこに、風撃無双を連発する。


完全に足を止めた先頭集団に、アサフェテイダの臭気から逃げ惑う後続が、さらに積み重なるように激突する。


疾走するタイガは、間合いに入った魔物を次々に斬り裂いていった。


行動不能に陥った魔物が壁となり、後続は別の方向に逃げ出そうと、体の向きを変える。


だが、同じことの繰り返しだ。


後続とぶつかり合い、狭い空間にひしめき合う魔物達。


そこに、テスラ兵が再び放撃を始めた。タイガが思い描いた通りに動いてくれたようだ。指揮官はなかなか優秀なのだろう。


「そういえば、指揮官は金髪の女性だと聞いていたな。もしかして、さっきの···。」


シニタ中立領で聞いた情報だ。


この地域の指揮官は、サキナ·フォン·ディセンバーという辺境伯の娘だったはずだ。


『女性は1人だけだったようだが、そなたはその者に不埒な真似をしていたな。貴族の娘、しかも指揮官だ。後でややこしいことになるやもしれんぞ。』


神アトレイクの言っていることは正論だ。でも、その口調は面白がっていた。


「後でフォローをしておく。」


本当は魔物がある程度片付いたら、そのまま帰るつもりだった。「テトリア様!」とか言われて、群がれるのは嫌だからな。しかし、下手をすれば国際問題になる可能性もある。握力が~などと言っても、納得はしないだろうし。


『最悪の場合はどうするのだ?妻として娶るか?』


こいつ···完全に面白がってやがる。


「その場合は、テトリアの名を使う。」


『···最低だな、そなたは。』


「誉め言葉として、受け取っておく。」


そんな冗談··いや、タイガは本気だったが···を交わしながらも、魔物の討伐には手を緩めない。


襲いかかってきたオーガの攻撃を跳躍して避け、近くの木の幹を蹴って、三角蹴りの要領でカウンター攻撃。バスタードソードで頸椎を貫く。


地上に降り立ち、再び疾走。


魔物が散らないように、群れの外周を駆け抜けて、攻撃を加えていった。


烏合の衆と化した魔物達を壊滅させるのに、それほどの手間はかからなかった。


タイガが群れの外周部分にいる魔物を戦闘不能に追いやり、それを障壁代わりにした。続いて、テスラ兵がその中に魔法を放ち、閉じこめられて身動きがとれない魔物達は、直撃を受ける。それを何度も繰り返したのだ。


途中で兵士達が疲弊して魔法が続かなくなったが、残り数十体にまで激減した魔物を葬るのは、それほど難しいことではない。


タイガは折り重なった死体の上に立ち、風撃無双を連発。身動きがほとんどとれない魔物達は、断末魔の叫び声を上げて絶命していった。




「終わった···のか?」


サキナは思わずつぶやいた。


普通に考えれば、上位種の魔物500体と魔族が相手だ。戦力的に、ミスキャストもいいところだった。


魔物だけが相手であれば、遠距離での放撃で時間稼ぎはできただろう。しかし、壊滅どころか、2割を削るだけでも難しいのが実状だった。まず、魔力がそこまで保たない。ここにいる兵士は、大地から魔力を吸い上げるような技量を持っていない。サキナ自身も、保有する魔力量は多いが同じだ。いずれ、魔力が枯渇して放撃が止まり、魔物達からの反撃を受けていたのは予想ができた。


そう、戦局を変えたのは彼だ。


単独で魔物の群れに挑み、こちらからの遠距離放撃が、最大の結果をもたらすように御膳立てをしてくれたのだ。


自らの危険を顧みずに···やはり英雄、気苦労も多いのだろうな。だから、あんな頭に?


サキナの思考が脱線しかけたその時、


ふぅ~。


「はわぁぁぁぁぁぁぁぁあーっ。」


突然、耳に息を吹きかけられて、悶えた。


「今、失礼なことを考えていなかったか?」


振り向くと、彼が立っていた。


「テ、テトリア様っ!?一体、何を···。」


「ああ、耳にゴミがついていた。触ると変に誤解をされるかと思って。」


「······························。」


サキナは唖然として、次の言葉を出せなかった。


「すまない。嫌だったかな?」


「あ···いえ。その···ありがとうございます。」


「どういたしまして。ところで、サキナ·フォン·ディセンバーは君かな?」


タイガはニコッと笑い、話をすりかえた。


『こやつ···』


ついでに、神アトレイクが何かを言おうとしたが無視した。


「はい!この地域を守護する任を仰せつかっています。」


「先程の魔法はお見事。おかげで魔物達を一掃できた。」


「そんな···私など、テトリア様の足下にも及びません。」


言葉に反して、サキナは嬉しそうな表情を浮かべた。


「何か考え込んでいたようだが、どうかしたのかな?」


「いえ···大したことでは···。」


ゴニョゴニョと言葉を濁しながらも、視線はタイガの頭で止まっていた。


こいつ···若ハゲとか、気苦労をしてるとか思っているな。


タイガの勘はよくあたるのだ。


「大丈夫だ。この頭は、訳があって一時的に剃ってある。毛根は死んでいないし、伸びたらふっさふさだからな。」


「そ···そうなんですね···。」


「あと、俺はテトリアじゃない。改めて自己紹介をするが、スレイヤーのタイガ·シオタだ。」


「仮の御名前を使われているということですね。」


そこでサキナがニコッと笑った。


いや、かわいいけど···完全に誤解をしているよな。


「かなり複雑な話だから割愛をさせてもらうが、俺はテトリアの転生者ではない。」


「···ですが、あの鎧は?」


「···あれは本物だけど。」


「では、やはり!」


これでは平行線だ。


話が進まない。


「とりあえず、俺はシニタ領に戻るから。」


右手を上げて、そこから離脱を試みた。


ガシッ!


「え?」


「今日はもう時間も遅いので、私の屋敷で体をお休め下さい。」


お~い、なんでそんなに強く腕を抱き込む?それに、胸が···胸が···。


「さあ、行きましょう。」


さっき、あんなかわいい笑顔を見せたのに、圧がすげぇ。


振りほどけない訳ではなかったが、腕に伝わるサキナの体温と、柔らかい胸の感触が、タイガの意思を挫くのだった。











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