第1章 1話 出会い

見たことがあるような、ないような動植物が視界に入る。仕事柄、世界中を渡り歩いたが、こんな所は初めてだった。


青い眼をしたウサギのような動物や、紫の葉を繁らせる大木など、普段の常識を消し去ってくれる存在がわんさかといる。


なんなんだここは···。


そんなことを考えながらキョロキョロと見回していると、自分自身の格好に初めて気がつく。


今の俺は、ドックに入った時のままの格好だった。


所々が血で汚れ、何ヵ所かが破れた黒いスラックスと革靴。負傷の原因となった爆風により、粉塵や埃で白っぽくなっている。


上半身は白いワイシャツ···これは、破れた上に血で赤黒く染まっている。お情け程度に、黒いネクタイが半ば千切れて首からぶら下がっていた。


用をなさなくなったネクタイを取り、まずは体を洗うための水場を探すことにした。このままでは人と出会っても不審がられるか、怖がられてしまう。


山の中で水場を探すのは簡単だ。


地形を読めば良い。


こういった知識は頭に叩き込んでいる。高い所から地形の窪みを探すために、少し移動をして一番高い木に登った。


あった。


目測で3km程先に、小さな滝が見える。幸先は良いようだ。


まずはあそこに向かうか···。


傾斜を下り、滝に向かう。


それほど急斜面ではなく、歩くのに手間はかからない。こういったサバイバルはお手のものだ。ただ、動く度に少し体がフワフワとする。


何だ、この感覚は?


重力装置を用いて訓練を行った時に、反重力で平衡感覚を養った時の感覚に近い。そう言えば、さっき木に登った時も異常に体が軽かった気がする。


まさか、重力が地球のものとは違うのか?


地球外の惑星に転移されたのだろうか···可能性はなくはないが···。 


まぁ、いい。後で考えよう。


だが、エイリアンとかが出てきたら、対処できるのだろうか?さっきのウサギのように、今までの常識から考えると微妙な生物もいた事だし、可能性は高いかもしれない。勘弁して欲しいがな···。


そんなことを考えながら移動をしていると滝壺に着いた。小さな滝なので、直径10m程度の穏やかな水面だ。


水はきれいだった。


淵を見ると、透き通った水の中には、マスのような魚が泳いでいる。


周辺の枯れ木を集めて、平坦な場所で火を起こした。ポケットにライターと万能ナイフだけが入っていたので、火は簡単に点く。


衣服を脱いで水で洗い、焚き火の近くで乾かす。血で汚れた生地は水洗いで多少はましになったが、白いシャツについた赤や黒色の染みは微かに薄くなっただけである。汗や脂といった汚れが少し落ちただけでも良しとすべきだろう。


平地になっている場所で、先ほどの疑念を検証してみた。軽く跳び跳ねただけなのだが、まさかと思っていたことが現実化してしまった。


普通ならば、地面から数十センチも足底が離れればいい程度の跳躍なのに、3mは離れている。


マジか!?


と、考えた矢先にミスを犯したことに気づいた。俺は裸足だった。


そのまま着地し、足底と地面がぶつかる衝撃で、声の出ない痛みを感じて涙目になった。


最悪だ···。


数分で痛みから立ち直り、涙目になったままの顔で次の検証に移ることにした。


ここは山間部だが、ジャングルではない。普通なら、僻地であっても今の文明に欠かせないアレがあるはずだった。そう、携帯の基地局だ。今の地球の文明なら、どこかにそういった施設があってもいいはずなのに、先ほど木に登った時には見当たらなかった。


決定的なものではないが、重力が地球とは異なることや、携帯基地局が存在しないことであっさりと結論づけることにした。


ここは地球じゃない···たぶん。


マッドサイエンティストの野郎を恨みつつ、前を向いて考えることにした。さて、どうやって生きていこうかと。


ここは地球以外の場所。


いわゆる、異世界とでも言うのだろう。仕事柄、移動時間が長かかったので、読破した小説や視聴した映画のことを思い出す。


まぁ、悲観的なことを考えるよりも、やるべきことを先にやってしまおう。


先ほどの反省を生かし、靴を履く。今から身体能力の検証を行うからだ。


重力が地球よりも低いということは、力もスピードも格段に増しているはすだ。


軽く跳んだだけで3mの高さにまでいけるということは、本気で動けばとんでもない結果になる。自分の力量は常に把握しておくことが重要で、いざという時に適切な力配分で動けなければ、自ら窮地を招くだろう。


軽く動いてみるか。


俺はストレッチを入念に行った後に、軽く反復横跳びをする。


かなり抑えぎみなのだが、シャッシャッシャッという風を切る音と、恐ろしいほどの速さで景色が左右に流れていった。


これはヤバい···。


「おえっ···」


えげつないスピードでの反復横跳びは、脳と胃への激しい揺れで俺に大ダメージを与えた。めまいと吐き気がする。


ボクサーブリーフと革靴だけの奴が、残像を残すようなスピードで反復横跳びをしているなんて···ただの変態じゃん···。


精神的にも結構なダメージとなった。



少し休んで復活した俺は分析をする。


あのくらいの労力で、ギネスの恒久的な1位記録樹立となるような反復横跳びができたんだ。重力は地球の8から10分の1くらいか···では、打撃についてはどうだろうか?


20m程先にある直径30cmくらいの太さの木に、打ち込みを行うことにした。今までなら渾身の蹴りを入れても、木が折れるなんてことはあり得ない。


軽めにいくか。


爪先に重心を寄せる猫足立ちで構えを取り、目標である木に集中する。呼吸を合わせ、瞬時に移動···1秒程で20mの距離が詰まった。


ヤバっ!?


そう思った瞬間に股間から木にぶつかり、ショックで死にそうになった。


前蹴りのモーション中に体が浮き、タイミング的にも間に合わなかったのが原因だ。


「か··かなり抑えたのに···速すぎだろ···。」


走る車が木にぶつかったような衝撃であっただろうが、重力の違いでダメージ量も低いのだろう。大したケガをすることはなかった。


アレがつぶれていないことを、何度も確認してホッとする。



さっきから自爆ばかりだ。パンツ一枚の姿で木にぶつかって死ぬとか最悪だぞ。


数十分間のインターバル後、気を取り直して同じ間合いを取る。タイミングを計算して動きをイメージする。重心は意識して低めにしないと体が浮いてしまうので、体の傾斜角も深くした。


ゆっくりと息を吐き出し、リスタートする。今度は絶妙なタイミングで、前蹴りのモーションに移行。木の幹の真芯に右足を叩き込んだ。


次の瞬間···。


あろうことか、蹴りの衝撃が強すぎて、木が真っ二つに折れて180度縦に回転。およそ8mほどの高さにあった木の最上部が高速で地面に衝突して、そのまま焚き火をしている方に吹っ飛んでいった。


「あーっ!」


ドシンっ!


地響きを立てて地面に落ちた木の風圧で、乾かしていた服が宙に舞った。焚き火への直撃は免れたが、飛んだワイシャツが火に触れて燃え上がってしまった。


「··········。」


さすが上質の綿と絹で作られた生地だ。速攻でワイシャツが亡き者となった。


···汚れていたし、まぁいいか。


気持ちの切り替えの早さは、エージェントにとって重要なスキルと言えよう。


あっ、やば。


ズボンだけは死守しなければ···。


何とかズボンとインナーシャツを死守して身に付けていると、複数の気配を感じた。どうやらこちらに向かっているらしい。


騒がしくし過ぎたか···。


さっきの地響きで何者かの興味を煽ってしまったようだ。


人間なら良いが、肉食動物やエイリアンという可能性もゼロとは言えない。俺は自分の近くに手頃な石が落ちているのを確認した。


しばらくして、木々が生い茂る方角からガサガサと草木を押し分ける音が聞こえてきた。


相手は3体。


気配を隠すような素振りはなく、一直線にこちらに向かってくる。茶色の毛並みを持つ獣、しかも、大型の狼のような獣が視界に入ってきた。殺気に似たような雰囲気をまとっている。


獲物として見なされているな。


そう感じた俺は、躊躇せずに近くの石を手にして、まだ草木に見え隠れする一体に投げつけた。


手を離れた石は、超高速で狼の一体に命中。頭部が四散した···。


今はこの身体能力に感謝だな。


狼の敏捷性は、森の生物の中でも群を抜く。草木が障害物となっている間に手早く終わらせるべきだろう。残りの2体も投石ですぐに沈黙させた。




一方、地響きを不振に感じて、状況確認に出向いてきた者がいた。


プラチナブロンドの短い髪をした碧眼の男だ。


長身でがっしりとした体格をしているが、柔らかい表情と緩い雰囲気を醸し出している。彼は魔物専門の討伐を生業にしており、若いながらも高ランクの実力を持っていた。


なんだ、あいつは?


投石だけで3体の狼を屠った、黒髪で長身の男。


見慣れない装いをしているが、身体能力がハンパではない。シャツから露出している肩や腕は、冒険者としては細身だが鍛え抜かれた体ということが見てとれる。


一見、スピードと体のキレで動くタイプに感じるが、先ほどの投石の破壊力は非常識だった。魔法を使ったにしては、魔力も感じない。


おもしろそうな奴だ。


バトルマニアの傾向があるこの男は、普段は魔物討伐をメインとするスレイヤーという立場にいる。


魔物は人間よりもはるかに強靭な体を持ち、相対するのはなかなかに面白い。しかし、対人戦では、頭脳による化かしあいや技術による攻防などもあり、魔物とは違った戦闘が楽しめたりもする。


「模擬戦でもしてみたい相手だな」と、勝手に考えていると、ふと視線に気がついた。黒髪の男がこちらをジーッと見ていたのだ。


『えっ、マジかよ。気配消してるし、木陰から見てるんだぜ。しかもかなり離れてるのに···。』




タイガは視線に気づいた。


探るような気配。


おそらく、獣以外の何かだ。


人間だったら良いが、見た目がキモくて、粘液まみれのエイリアンとかは勘弁して欲しい。


とりあえず、微かな気配を感じる方向にジト目を送る。


動きはない。


ひたすらにジト目を送る。


3分程経過したくらいだろうか、ようやく相手が動いた。


草木の狭間から見える姿は、人間の男だった。


『エイリアンじゃなくて良かった。と言うか、人間がいて良かった。』


内心ホッとしながら、こちらに向かってくる男を観察する。


無駄のない動きをするし、傾斜を下りているわりに体のブレが少ない。体幹がしっかりとしている証拠だ。軽装ではあるが鎧のようなものを着け、帯剣をしている。戦いに従事する者の装いだと見てとれた。


やはり、俺がいた世界とは異なる。自分が生きていた環境では、あのような格好は映画の撮影かコスプレイベントでしか見ることはないだろう。むしろ、あんな姿で普通に歩いていたら、その街の常識を疑ってしまう。


そんなことよりも···言葉は通じるのだろうか?


銀髪の男は、途中から両手を肩の上に上げながら傾斜を下りてきた。


敵と思われて石を投げつけられるのを警戒しているのかもしれない。


緩い表情を浮かべる彼に、何となく石を投げて慌てる様子を見てみたいという衝動に駆られるが、止めておいた方が無難だろう。


「やあ。」


人懐っこい表情で挨拶をしてくる。


背は俺よりも少し低めだが、180cmは優に越えている。年齢も俺とあまり変わらないように見えるが、少年のような笑顔をしているので10代後半と言われても納得しそうだった。


それよりも言葉が通じる。


なぜなのかはわからないが、都合が良いので深くは考えないようにした。ちょっと感動はしてしまったが。


「やあ。」


とりあえず、おうむ返しに同じ言葉を発した。


「さっきから見ていたが、あの投石は魔法かい?普通に投げただけなら、あんな威力にはならないよな。」


銀髪の男は、疑問をストレートに投げてきた。


ですよね~。


この世界でも常識はずれな身体能力ということは、何となくわかっていた。


それにしても···魔法?


ここでは魔法が実在するのか。


マジか···。


「魔法は使えない。あれはただの鍛練の成果だ。」


いろいろと聞きたいことはあるのだが、余計な発言は地雷を踏む。とりあえず、友好的に接してみることにした。


「鍛練って···どんだけ鍛えれば、あんなのを投げられるんだよ?」


彼は目を見開いて、驚いた表情を浮かべる。


「···毎日のように、遠投を繰り返して肩の筋肉を鍛えた。武器がなくなった時に身を守るために役立つ。」


適当な事を言っておく。


「確かに···剣が折れたり、刃こぼれを起こしても、石ならすぐに手に入るな···。」


なぜか妙に納得をしているようだ。まあ、変な疑いを持たれないのであればそれで良い。あながち嘘でもないしな。


「ああ、悪い。自己紹介もせずに失礼をした。俺はスレイヤーのアッシュ·フォン·ギルバートだ。よろしくな。」


ものすごく爽やかな挨拶をしてきた。


邪気や殺気は感じられないし、良い奴なのかもしれない。いらぬ先入観を持つ気はないが。


「タイガ·シオタだ。」


「変わった名前だな。人相もこの辺りじゃ見かけない感じだし、黒髪黒眼は珍しい。東方の出身かな?」


俺の人相風体を見て、東方の出身かと言っている。と言うことは、こちらの世界でも西洋と東洋に別れて、人種が異なるのかもしれない。


「悪いが、記憶が欠損している。自分の素性がわからなくて困っているんだ。」


こちらの世界観がまったくわからないうちは、記憶喪失ということにしておくのが無難だろう。


「そうなのか?···大変だな。良かったら、詳しい話を聞かせてくれないか?何か力になれるかもしれない。」


どうやら、アッシュは本気で良い奴なのかもしれなかった。











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