そのころのアーヴァイン

「…………」

「アーヴァイン様ぁ。もういい加減諦めた方がよろしいんじゃなくて?」


 アーヴァインは、ライメイレイン公爵邸の一室で、バネッサと向かい合っていた。

 バネッサが差し出した婚姻証書。これを破り捨てたい気持ちを抑えながら。

 バネッサは、勝ち誇ったように言う。


「アーヴァイン様がいけないんですよ? 結婚しろ結婚しろと周りから散々言われてるのに、それを無視して……高貴なるライメイレイン家の血を絶やさないためには、優秀なる血であるわたくしと結婚するのが最適ですわ」

「高貴? お前がか?……ジュジュの家に嫌がらせをしたのも、お前が仕組んだことだろう? そんなことをする奴が高貴だと? 笑わせるな」

「っ……」


 アーヴァインの睨みに、バネッサは少しだけ怯んだ。

 だが、胸元から扇を取り出しバッと広げる。


「なんのことだかわかりませんわ。それより……早くサインしていただけない? これ、早めに国王陛下にお届けしないといけませんの」

「断る」

「あらぁ……王命を断ると?」

「ああ。処罰は覚悟の上だ。はっきり言う。俺は、お前と結婚するつもりなどない」

「……っっ」


 バネッサは青筋を浮かべる。

 アーヴァインは間違いなくバネッサの好みだ。家柄は申し分ないし、公爵婦人という立場は社交界では大きな影響力を持つ。全ての女性貴族のトップといっても過言ではない。

 でも、こうも馬鹿にされて頭に来ないはずがなかった。


「……そんなに、あのジュジュとか言う小娘が気になりますの?」

「…………」

「そう……その表情だけでわかりましたわ」


 ほんの一瞬。アーヴァインの眼が穏やかになったのをバネッサは見逃さなかった。


「わかりました。今日は引き下がります……ですが、これで終わりではありませんよ」

「…………」

「それと、覚えておきてくださいませ。わたくしとあなたの結婚は、国王陛下がお決めになったこと。貴族である以上、陛下の命令は絶対だということを」

「…………」


 アーヴァインは、何も言わず、立ち上がりもせず、バネッサが帰るまで押し黙っていた。


 ◇◇◇◇◇◇


 アーヴァインは執務室に戻り、大きなため息を吐いた。

 そして、傍らに佇むノーマンに言う。


「ノーマン……ジュジュの家の警備を三倍に増やせ。それと、バネッサに監視を付けろ。バネッサと関わった連中も全員だ」

「かしこまりました」

「それと……ジュジュは」

「現在。カーディウス様がジュジュ様の家にいるようです」

「何……? あいつ、何を」


 ノーマンが何故知っているのか。

 カーディウスが、事前に話していたに違いない。

 アーヴァインはため息を吐き、頭を抱えた。


「全く……面倒なことばかりだ」


 そして、胸に刺した万年筆を取り出し、淡く微笑む。


「……ジュジュ」

「旦那様?」

「なんだ?」

「その、旦那様は……ジュジュ様のことが」

「ああ。どうやら俺は、あいつに惚れてしまったようだ」

「おお……」

「やれやれ。最初は無礼な小娘程度だったが……今は、あいつの自由さに惹かれている自分がいる。困ったもんだ」

「旦那様……」


 長く、ライメイレイン家に仕えているノーマンは感激した。

 確かに、国王陛下が痺れを切らす程度には、アーヴァインは結婚するつもりはなかったし、向かってくる令嬢は全て門前払いだった。

 それが今や、ジュジュという平民の少女に惚れているではないか。


「ノーマン。さっき言った指示……やはり、ジュジュの警備は四倍に増やしてくれ」

「かしこまりました。すぐに取り掛かります」


 ノーマンは一礼し、気合を入れて仕事を始めた。

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