第42話 見定める者

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 闇夜に浮かぶ寺の輪郭。山門には珍しく提灯が掲げられていた。白地に描かれた紋が蝋燭の明かりに照らされてゆらゆらと揺れる。その明かりの下に人影が一つ、その男はハルを待ち構えるようにして立っていた。


「……お前は」

 古風な装束を纏っている男。まるで平安絵巻から飛び出してきたようなその男の顔をハルは知っている。あの時は学生の形をしていた。今とは背も顔つきも違った。だが確かに彼だと思った。


「さても佳境となりました。今宵はいよいよと決戦の時。あなたの事件も、仙里さんの事情も、真神と狛神のことも大詰め。いやいや胸が躍りますね」

「全てお見通しというわけか、驟雨しゅうう

 村上驟改め驟雨。名で呼ぶと彼は目を細めて笑んだ。


「それにしても、紫陽とは、また良い名を頂きましたね」

 ハルの胸の辺りに目を落とし話しかける。驟雨は得心といった様子で頷いた。


「驟雨、僕に太刀を持たせ、お前は何を企んでいるんだ」

「はて、持たせるとは? あの時、太刀は人を選ぶと話したはずですが。それに、私は太刀を授ける者ではありませんし。これは言わば、あなたが勝手に太刀に選ばれた、と、そういうことなのですがね」

「随分と都合が良いな」

「それは私の都合ではありませんよ」

「今までの言葉を聞いていると、全てがお前の思惑通りというふうに聞こえ――」

「否です。蒼樹ハル、これは定めというもの」

 手を前に突き出して話を遮った驟雨が手前勝手に理屈を吐く。直ぐにあの時の噛み合わない会話を思い出して嫌気が差した。


「もういい。僕にはお前と会話などしている時間はない」

「そんなに怒らないで下さい。悪気はないのです」

「それを自分で言うな。そもそも僕は君のことが好きでは――」

「やれやれ、主従とはこうも似てくるものなのか」

 驟雨は両手を持ち上げながら困惑を見せた。その姿を見て辟易とする。ハルは目の前の男を無視して山門をくぐった。


「あ、蒼樹君」

 呼び止められて振り向くと橙色の明かりに照らされた円香と華蓮が山門の手前で戸惑うようにこちらを見ていた。どうやら見慣れぬ怪しげな者に対して怯えているようだった。――チッ。舌打ちをする。驟雨は二人にも姿を見せていた。見せるならばせめて村上驟の姿でいろよとハルは吐き捨てた。諫めるように視線を送ると、驟雨は察したのか肩を竦めて戯けた。


「ああ、ごめん。この人のことは気にしないで中に入ってよ」

 二人に向かって中に入るよう促す。円香と華蓮はハルと驟雨の顔を交互に見ながら恐る恐る歩みを進めた。


「宜しければ、私が客人をご案内いたしましょうか?」

「要らない。それにここはお前の家ではない。勝手に振る舞うな」

「そうおっしゃいますか、しかしここは、あなたの家でもないと思いますがね」

 改めて言われなくても分かっている。確かにここは自分の生家ではない。しかし今は叔父とともに暮らしている自分の家だと思っている。驟雨の細事をつつくような物言いにハルは苛ついた。


「無益な会話は無駄でしかない。言っただろ、僕は忙しいんだ」

 山門の外まで迎え出たハルは少女達の肩を押し中へ進もうとした。


「肯定でしょうか、それとも否定か、記憶が戻っている。と存じておるのですが?」

 なるほどそういうことか。やはり真菰が死んだあの日の記憶には偽りがあるのだ。

 それにしてもこの物知りの男は随分と事情通らしい。立ち止まったハルは驟雨の言葉に無言を返した。


「もう、動じることはない。と、そう受け止めてよいのでしょうか」

「ここが僕の家じゃなくても、僕のやることは変わらない」

「なるほど、それを聞いて安心しました。ならば前置きはよしましょう。そちらのお嬢さん方は私が母屋へとご案内いたします。あなたはそのまま真っ直ぐに本堂へお向かいなさい」

「本堂?」

「お二人がお待ちです。子細はあちらで聞かれるがよいでしょう」

「二人?」

 それは誰だと尋ねたが驟雨は答えない。ただ目を細めて満足げに微笑むだけだった。


 本堂へ向かう間、ハルは心を空にして何事も考えなかった。差し迫った時である、そのような状況下で自分に話をしようとする者がいるとすれば、それはきっと残されたピースを与える者に違いない、ならば雑念は無しだ。


「蒼樹ハルです」

 廊下に正座し襖の向こうへ名乗る。


「おお、ハル、お帰り。そんなに畏まらなくてもいつも通りで全然平気だぞ、さぁ入っておいでよ」

 尚仁の声を聞いて拍子抜けしたが、考えるまでもない。ここは彼の寺である。ならば居て当然の人物であるのだが……。ハルは違和感を抱いていた。


 入りますと声を掛けて襖を開けた。驚いた。尚仁の横にあの巫女が座っていた。

 白い小袖に赤袴、頭には連獅子のような朱い髪の被り物。茜は、あの夜と同じ装束を身に纏っていた。


「……尚仁さん、これはいったい」

「まぁまぁ、時間も無いことだし、さっさと始めようや」

 袈裟をつけ正装する尚仁が笑顔を見せる。その横で茜は神妙な顔をしていた。


「どういうことなんです。なんで尚仁さんが茜ちゃんと一緒に」

「なんでって、そりゃ君と話をする為に決まってるじゃないかって、あれ? 仙狸ちゃんは一緒じゃないのかい? おかしいな、さっきまで境内に気配があったんだけどな」

「仙里さまって、それに気配って……。まさか尚仁さん、尚仁さんは何もかもを知って!」

「だね」

 尚仁は歯を見せてニヤリと笑った。茜には何かがあると思っていた。しかしまさか叔父の尚仁までも。ハルは本堂の入り口で立ち尽くした。


「そんなに驚かなくてもいい。気楽にしてこちらに座れよ、ハル」

「……あ、ああ」

 本尊を背にして座る二人の前まで進み腰を下ろした。と、そこで再び違和感を覚えた。見た目にも坊主と巫女の取り合わせは滑稽なのだが、感じていることはそういうことではない。尚仁の佇まいが普段からは想像できないくらいに凜としていた。まるで隙が見えなかった。


「そんなに見つめてくれるなよ、照れるじゃないか」

 尚仁の戯けるような口調は普段と変わらなかった。


「なんで……」

「俺がこんな風なのが不思議か? でもな、俺からして見ればなんでお前が気が付かなかったのが不思議なくらいなんだがな」

 尚仁が口元を緩めて悪戯な視線を向けてくる。


「え?」

「だってそうだろ。お前が犬神に襲われて怪我をしたとき手当をしたのは誰だ? 気を失ったお前をこの寺まで運んだのは誰だ?」

 言われて初めて気付いたことが情けない。それでも、そもそもという話がこんなにも身近なところにあったとは思いもしなかった。


「尚仁さん、なんで何も言ってくれなかったんですか」

「別に秘密にしていたわけではないよ。そうだな、余計な情報を与えることなく事態がどう動くのかを見極めなければならなかった、と、そういうことではダメか?」

「あなた達も、驟雨と同じように全てを知っている者なのですか?」

「うーん……、そうも言えるし、言えないともいえる」

「この春から、既に二人の女の子が死んでいる。そして今も二人が命を狙われている。あなた方ならそれを未然に防げたのじゃないですか」

「ハルよ、俺達は見通す者ではないんだ。知っていたことはあるが未来までは予見できない」

 言われてみれば、茜は呪いの事件のことを知らなかった。尚仁もそうなのかも知れない。いくら事情を知っていたとしても、先に起こることまでは分からないだろう。

 しかし、知って後も手出しをしなかったというならば二人は呪いの事件を容認していたということになる。その事には納得など出来ない。やれることはあったはずだから。ハルは尚仁と茜を睨み付けた。


「ハル、例えば危険な道路があり、近々、誰かが危険なめに遭う可能性があるとする。そのことを知ったとしても、いつ起きるか分からない危機の為に、ずっとその場を見張っていることなど出来るかな?」

「……それは」

「それに、危険があるのはその道だけではなく、他にももっと危険な場所があると知っておきながら、目の前の道を通る人ばかりに気をつけていられるかな? わが身は一つだ」

「……言っていることは分かります。でも」

「割り切れないとは思うが、そういうことで理解してくれないか」

 整然としている尚仁の語り口に反発するが反論は出来なかった。

 言葉が浮かんでこない以上このまま押し問答を繰り広げても仕方ないとハルは無理に気持ちを切り替えた。とにかく今は情報が必要だ。尋ねなければいけないことが山のようにある。急を要していることもある。


「……僕の記憶には嘘があります」

「そうだな」

「僕はズレを見せた記憶の中で小さい女の子を見た。それは茜ちゃんなのではないかと思っています」

「……ハルちゃん」

「ハルちゃん、か。やっぱりそうか、記憶が定かではないので聞き間違いだろうと思っていたけど、そうではなかった。犬神と戦った時、僕は君にそう呼ばれた。そして家族を失ったあの事故の時に君に出会っている」

 ハルは茜の方へと視線を向けた。それを茜は真っ直ぐに受け止め頷きを返す。


「ハル、鏡と宝珠は持っているかい?」

「はい」

 二人に目を向けたまま、鞄の中から鏡と玉を取り出した。それを見て尚仁が両手を差し出す。ハルは、心配するなといって頷く尚仁に神器を手渡した。


「――もう使い物にはならないか」

 尚仁は、鏡の裏にある丸い窪みに宝珠をはめ込んで見ていた。


「それが本来の姿なんですか?」

「ああ、まぁ一応ね」

「尚仁さん、それは何なんです? 雨を探す道具だと聞きましたが」

「来歴はいろいろとある。雨の陰陽師に関して言うと、正確には過去にその大陰陽師を探し出したことがある鏡ということなんだがね」

「ことがある? 巫女が雨を探し出す為の道具なのでは」

「ないな」

 あっさりと言い放つ尚仁に呆れた。自分が行ってきた遠回りが馬鹿らしくなる。だが、今はそのような感傷に浸っている場合でもない。


「尚仁さん、その鏡、もう使い物にならないと言いましたが」

「ああ、そうだね」

「僕には、その鏡を使って助けなければならない人がいます。急ぐのです。何か方法があるのなら教えて頂けませんか」

「君が救いたいというのは真神の姫のことかい?」

「はい」

「今、彼女は?」

「僕の中にいます」

「そうか、では姫をここに」

 尚仁は正座する膝の前へ手を差し出した。


「紫陽」

 ハルがその名を呼ぶと傍らが俄に光る。その光る円の中から湧き出るようにして紫色のツインテールが現れた。


「ほう、その者が『慈雨の太刀』、そしてそれが君の、ハルの神器か」

 尚仁が静かに感嘆の声を上げた。


「紫陽、真子をお願い出来るかい」

「はい」

 紫陽は頷くと徐に両手を前に出した。差し向かいで座るハルと尚仁の間に光の柱が立つ。そこに傷ついた子供の狼が姿を現した。


「これは酷いな……」

「狛神は言いました。鏡を使えば命を取り留めることが出来ると。尚仁さん、鏡にはもう力が無いといいましたよね。それでも何か方法はないのですか」

「……うむ。俺達の力で出来るのは応急手当て程度だな」

 尚仁が顎に手を当てて唸る。


「僕の血と魂を使えば一時的にでも宝珠が力を取り戻すと聞きましたが」

「……出来ない、と、言うことはない。しかし酷なことだが、真神を救う代償が君の命では百倍でも帳尻が合わない。それに、僅かばかりの時を稼いだとしても鏡の完全復活がなければ真神も滅ぶ。もちろん狛神の方もだが」

「狛神も……。しかし狛神の里は無事でした。僕は、狛神の里に入ったことがあります。そこで彼らは力を得て本来の姿を見せていましたが」

「残念だが完全に元通りとはいかない。彼も黒の巫女の請願に従って――」

「ちょっと待って下さい。黒の巫女? それでは彼女は」

「彼女? ああ、玉置訪花は雨の陰陽師ではない」

「くっ、マジか」

 ここにきて玉置訪花が雨の陰陽師ではないと断言されて愕然とする。

 黒鬼の呪いについても、呪いの事件の解決についても、玉置訪花が頼みの綱だった。ここでハルは大きな手札を失うことになった。


「黒の王は、黒の巫女の請願に従って一時的に現世に顕現しただけに過ぎない。ハルよ、狛神の里に入ったと言ったが、その時、その黒の王以外の者を見かけたか?」

「見かけませんでしたが……そうか、あの静けさの理由は」

「そういうことだ」


 失意の上に難問が被さる。目の前で傷つき眠る真子と滅びを待つ真神一族。それとともに狛神も消滅の危機に瀕しているという。黒麻呂が「時間が無い」と言ったのには恐らく我が身と狛神の里にも危機が迫っているという含みがあったのだろう。


 ――これではもう、打つ手がない。

 拳を握り歯がみをする。

 今夜、訪花が円香と華蓮を殺しに来る。その訪花を仙里が狙っている。両者の間に立ったとき、自分がどう振る舞えばいいのか全く分からない。


 ――何が出来るのか、何がやりたいのか、何をするべきなのか……。


「尚仁さん、時間はもう無いようです。まずはその鏡を何とかしなければ雨の眷属達が滅ぶ」

「それも、当の雨の陰陽師がおらぬではどうすることも出来ない」

「くそ! ここにきてまた雨か」

「落ち着け。彼の者の再来などないということは、お前も聞いているのだろう」

「それは……」

「ならばこの真神が滅ぶのも、狛神が滅ぶのも定めと言えるのではないか」

「で、でも! それではあんまりです。何で、何で雨は自分が死ぬときに鏡を分けて残したのです。そんなことをせずに解放してやればよかったんじゃないか」

「雨の陰陽師は自分の後継となる者が出現したときのために、二柱と二刀を残したんだ」

「……後継、二柱と二刀、……まさか」

「そうだ。そしてハル、一刀を手にしたお前には、どうやらその後継たる資質があるようだ」

「僕が、この僕が雨の後継だって?」

「信じられない、まぁそうだろうね。俺達にしても、そのような者が現れるなど思いも寄らなかった事だったからな」

「馬鹿な、僕にそんな力は無い。僕は無力だ」

「誰だって、最初から超常の力を振るえるわけではない。だから俺達がいるのだ」

「俺達?」

「俺は、雨様の血に連なる者、そして茜の家、鬼怒川家は雨様の朋友の家系。俺達は、雨の陰陽師により『見定める者』として役割を与えられた者の末裔なんだ」

「見定める者? では驟雨は、あいつは……」

「彼は神器の番人」

「番人?」

「そうだ。神器の守人とも言われている。その正体は仙となった魂魄であり、彼の者は雨の為に二刀を打ち、鍛えた者。言わば二刀の父だ」

「……紫陽の生みの親」

 傍らに座る紫髪の少女に目を向ける。紫陽は柔らかな眼差しを向けこくりと頷いた。


「聞け、ハルよ。お前は太刀を手にした。次にお前がやらなければならないことは、朱の太刀と対になっている黒の太刀を従えることだ。お前が雨の正当後継になれば、鏡も何らかの力を示すかもしれん。そうすれば」

「自ずと真神と狛神を救えるかもしれない。そういうことですか?」

「そうだ」

「僕に、雨の陰陽師になれと」

 ハルの言葉に尚仁が頷く。


「嫌だと言えば?」

「この世が災厄に飲み込まれる」

「災厄?」

「千三百年前に、雨の陰陽師と眷属達が封じた化け物に動きがある」

 窮する問題を抱きつつ、次々と扉を開けるようにして解かれていく疑問。そして、ここにきて初めて語られたこの雨の伝説。苛烈な運命を前にハルの身は震える。


「尚仁さん。……それはあまりに重すぎるよ」

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