10章 決戦へ
第41話 決戦へ
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因縁と対峙した円香。だが華蓮はどんな言葉にも怯まなかった。非を諭しても謝罪に行こうとの呼びかけにも応えなかった。円香に返す言葉はまるで他人事を語るようであり華蓮には人を死なせたという自覚がまるでなかった。
「馬鹿らしい。話はもういい? 私も暇じゃないの」
捨てるように言って華蓮は踵を返した。
「あれはもう……」華蓮の本質を見たハルは、――人ではないのか、と心の中で言葉を繋いだ。
分別、良心、道徳、人としての善悪を図る言葉が空しく華蓮を通り過ぎていく。彼女はあまりに身勝手で、あまりに鈍感で、あまりに幼稚であった。
去りゆく華蓮の背中を見送ったあと、ハルは様子を覗うようにして傍らに佇む少女を見た。固く口を結ぶ円香の顔にははっきりと失意が見て取れた。
「よくやったと思うよ」
取り繕うような言葉ではあったが、この徒労にも何らかの意義を持たせたかったとハルは無理に結果を肯定した。
「家に戻ろうか」
ハルは労いながら円香に帰宅を促した。円香の行動に意味はあった。効果はあっただろう、この意思表示はきっと彼女から危害を遠ざけるはずだ。
「……蒼樹君」
静かな声だった。円香の横顔を見ると口を結ぶ彼女の眼差しは遠く夜の空へと向けられていた。彼女は今、何を思っているのだろうか。彼女に対して自分は何が出来るのだろうか。
「仕方ないよ、人はそれぞれで、受け止め方もそれぞれなんだ」
歩み寄り円香の隣で同じように空を見上げる。
「――私、やっぱり生きていてはいけないのかもしれない」
胸を突いたその言葉は苦かった。円香の痛みを受け取って顔が歪む。無言のまま耐え瞼を閉じる。徐に吹いた風が心を揺らすと高いところでザワザワと梢がざわめく。
ハルは円香と自分との間に距離を感じていた。
目を開きゆっくりと円香の方へ顔を向け口を開こうとするがやはり言葉が出ない。だがそこには思いがけず穏やかな表情を浮かべる円香の顔があった。
「……宮本さん」
何か言ってあげなければと思うのだが、どれもみな陳腐な言葉に思えてしまい喉元で止めた。これで精一杯とは、なんと情けないことなのだろうか。
「蒼樹君、あなたは、考え続けなければならないといったよね」
沈黙するハルの気持ちを察するように円香が話し出した。口調に湿り気はなく彼女の顔には微笑みがあった。
「ああ、そうだね」
飾らずに肯定すると円香は強く頷いてみせた。
「でもそれは、考え続けるって事は、結果の話なんだよ」
「……結果?」
「上手く言えないのだけれど……結局はそれしか、考えるしか方法が無いってことなんだと思う。でもそれって無意味なことよね」
「意味が無いって」
「今の桐島さんを見て思ったの、彼女ももう死んでいるんだなって」
「死んでいる? 桐島さんが」
「彼女がいくら否定をしたところで、彼女がいくら自分を誤魔化したところで、罪は消えない。欅ちゃんは死んだ。そして、欅ちゃんを死なせたときに私達の人生も一緒に死んだ」
「そんなこと……」
「勘違いしないでね。だから償わなくてもいいと言っているのじゃないの」
「……宮本さん」
「蒼樹君、贖罪って、いったい誰のためのものなんだろうね」
「誰ってそれはもちろん――」
「わたしね、思ったんだ。それってさ、自分の為にすることなんだなって。自分が許されたいからするの。でも……それならば意味は、ない」
「い、言いたいことは分かるよ。でもだからといって実際に死んで償えば済むとかそういう問題でも」
「違うの、許されるということを前提にして罪を償うのではダメってことなの。ダメなの、私、分かったの、そもそも贖罪を願うことが愚かなんだって」
「宮本さん……」
「思ったの、私達は、たとえ死ななくても生きていてはいけない人間なんだ」
「そんな……、なんだよそれ、滅茶苦茶だよ。死んだように生きるって、それじゃあ君の未来は――」
どうなるのだ、と続くハルの言葉を円香は強い目で押し込むようにして遮った。彼女は首を振って否定する。
「欅ちゃんにはもう未来はないの、彼女に明日は来ない」
それは確固たる事実だ。それでもハルは割り切れなかった。円香の覚悟をすんなりと飲み込むことが出来ない。理解はしたが円香の決意を不条理だとして反発してしまった。
「宮本さんは、殺そうと思ったんじゃないでしょ!」
「変わらないわ、私も桐島さんも、事実を前に区別なんて無いの」
「違う! 桐島はともかく、宮本さんは違う。結果が自殺になってしまっただけで……」
ハルの内側でロジックが逆転する。それは殺人を殺意によって区別する論理。それは加害者側の理屈。もはや自分の中にある正義さえも形骸化していた。
「同じよ」
円香の物柔らかな眼差し。その意を受け止められないハルは逃げるように視線を余所へと投げた。
「帰ろうか、蒼樹君」
円香の言葉に返す言葉も失い立ち尽くす。足が重かった。彼女の強い意志を見て思う。死を受け入れる者をどうすれば救えるのだろう。死ねとは言えない。だからといって生を強いることが救済になるのか。
全ての者を平等に救うことなど出来ない。そんなことは百も承知だった。
ここにきて仙里の問いかけが、飽和状態のハルを更なる深みへ鎮めようとしていた。黒い森の中には虫の音も鳥の声もしない。動物たちが鳴りを潜めたその闇にサラサラと草木の音だけがそよぐ。泰然ではあるが、それはあまりに受動的な音だった。
慌てふためく声を聞いたのは、ようやく一歩を踏み出したときのことだった。
ハルの耳は逃げるように駆ける足音を捉えた。誰かがこちらに向かってくる。咄嗟に気を張って円香を背に庇った。
「桐島さん!」
円香が声を上げると、建物の影から必死の形相が飛び出す。何かから逃げる華蓮はハル達に気付いていなかった。
「桐島! こっちだ。こっちに来い!」
大声で呼びつけると華蓮は顔を強ばらせたままこちらを向いた。目が合ったところでハルは勢いよく手招きしてその後、円香の手を引いて華蓮のとこまで駆けた。
「なに! これ、何よ!」
息を切らせる華蓮がハルの耳元で金切り声を上げる。ハルの目が華蓮を追って来た者を捉えた。それは円香を襲ったのと同じ白い奴だった。
「蒼樹君、あれって」
震える円香の声を聞く。白い影を凝視するハルの横で彼女も目を見開いていた。
無言で頷きを返し、落ちている棒きれを拾って構えた。少し身体が緊張する。それでも何とかなると思えていた。もう以前の自分ではない。それに、いざとなれば紫陽もいる。
「来いよ!」
敵を見据えながら握る手に気合いを込めた。揺れる白い影がゆっくりと近づいてくる。そこでハルは笑んだ。単純に目の前の敵を蹴散らせばいいだけの状況は、今の自分にとっては好都合である。それは理屈のいらないことだった。
鼻を鳴らし間合いを計って飛び出す。敵の懐に潜り込んで水平に棒を薙いだ。
――いける!
手元にずしりと重みを感じたあと棒は影を抜けていくが、それは以前のようにすり抜けていくのとは違った。確かに手応えがあった。目標を捉えたハルはその場で縦に斜めにと敵を切り刻んだ。ハルの繰り出した連撃に堪らず影が霧散する。
「よし!」ハルは拳を握った。しかし喜びも束の間のこと。「くそっ! マジか、こんなのってありなのか」円香を襲った化け物は一匹だった。倒した化け物も一匹だった。だから敵は一匹だと思い込んだ。だが今回は違う様相を見せた。次々と地から湧き上がるように白い影が現れる。息をつく間もなくハル達は取り囲まれてしまった。
「ちょ、ちょっとあんた、説明してよ! なんなのよこれ!」
ヒステリックに華蓮が騒いだ。
「分からないの? 見ての通りだけど」
目で敵を牽制しながらハルはしれっと背中の方へ答える。
「ふざけないでよ! なんなのよ!」
「なんなのって聞かれてもさ、見ての通りだって。さっき宮本さんにも教えられてたじゃない」
「お、お化けだっていうの、これが、これが本当に」
「だから言ってるじゃないか、信じなかったのは君の方だろ」
「……じゃ、じゃぁ、まさか呪いの話って」
「そう、そのまさかなの。やっと分かったの?」
揺れ動く白い影が一つ、また一つと向かってくる。その敵を次々と斬って捨てる。戦いにのめり込むハルの心は躍っていた。二つ同時の時は二つ纏めて、三つ来るときは、一、二、三と間髪を入れずに打ち砕いた。
「……やばいな、これじゃキリが無いぞ」
次々と湧き出る化け物。対処は出来るが如何せん数が減らない。そのうちにハルをすり抜けた一匹が円香に襲いかかった。
「しまった!」
急ぎ駆け寄るが敵も速く、手に持つ武器が届かない。襲いかかる白い影が覆い被さるように円香に迫った。だが凶手が彼女の身に触れようとした瞬間、何故だか敵が円香の目前で霧散した。なんだと思ってよく見ると円香の胸の辺りが僅かに光っていることに気が付いた。――そうか!
「宮本さん! もしかして茜ちゃんからもらった護符を」
「うん。ここにある。あれからいつも身につけてるよ」
いって円香が胸元から紙切れを取り出した。それを見て安心した。これならば守るのは華蓮一人で大丈夫だなと、ハルは再び敵に棒を向けた。しかし……。
「きゃ!」
後ろに再び円香の声を聞く。何があったのかと振り向くと横から護符を奪おうとしている華蓮の姿が見えた。
「なにやってんだよ!」
呆れて注意するが遅かった。無理に奪い取ろうと護符を引っ張った華蓮が紙を真っ二つに引きちぎってしまった。
ああ、ダメだなこいつ、とハルは溜め息をついて肩を落とした。
再び戦闘が開始される。一つを討って次を討つ。二人を守りながらの戦いであったが、円香が華蓮を捕まえて動いてくれたのでやりにくさは感じなかった。あとはどうすればこの場から逃げられるのかとハルは余裕を持って次の手段を練った。
『どうすればいい?』
ハルは心の中で紫陽に問いかけた。すると直ぐに脳裏に返事が届く。
『敵には実体がありません。ならばそれぞれを倒したとて意味が無い。ハル様、これは術者を見つけて倒さぬ他はありません。敵は一度にこれだけの数を動かしている。だとすればその者は近くに居るはず』
ハルは玉置訪花の姿を探した。当然、その側には黒麻呂もいるはずである。
『見えないな……。紫陽、君には見える? 誰かいる?』
『私は万能ではありませんよ。それに、ご自身で見つけてこその学びかと。てへっ』
『てへって……、それに学んでいる余裕など、おっと!』
『剣が疎かになっておりますよ。まずは周囲に気を張り巡らせて感じること。その上で考えながら動く、動きながら考える。やれば出来る、です』
『……紫陽、なんだか都合良く躾られている気がするんだが?』
『ハル様、それは気のせいです』
『気のせいねぇ』
ハルは辺りにあるものを全て感じ取ろうとした。地面があり空がある。建物があり、山があり、木々がある。背には少女達、前には蠢く殺意。
『ハル様、そのままイメージして下さい』
『はあ? イメージって何を」
『何でも良いです。石でも、水でも、火でも』
『何でもって、なんだよそれ』
『いいからやってみて下さい。現れろと強く念じてみて下さい』
『念じるっていわれても……んんん』
『ハル様』
『……分かったよ。じゃぁ火だ』
強く念じた瞬間、目の前に紫色の人魂のようなものが一つ現れた。
『なんじゃこりゃ!』
『驚きました! 初手から、
『はあ……って、でも、これどうすんだよ』
『ハル様、ものはついでです。この炎、もっと出せますか? ……そうですね。例えば敵の数くらいに』
『無理を言うなよ、こっちは何が何だか分かってないんだからな』
『集中とイメージです』
『うむ……』
『あ、ハル様……。これ、ちょっと出し過ぎ』
ハルの周囲には無数の火の玉が出現していた。
『まぁいいでしょう。では、行きますよ! ハル様、敵の位置を想定して、そこに炎をぶつけます! イメージです。それっ!』
『はいはい』
『返事は一回!』
『やればいいんだろ、まったくもう』
ハルが敵に手をかざすと動きに合わせて一斉に火の玉が飛んだ。
攻撃を受けた白い影が瞬く間に消滅していく。
「うわっ、なんじゃこれ!」
「蒼樹君!」
円香の驚く声を聞く。ハルは呆れ顔を見せて頭を掻いた。
「お、驚くよね? 流石にこれはマンガじゃあるまいし」
円香は、うんうんと無言で首を縦に動かした。その横で華蓮が目を丸めている。二人とも目の前で起こった事を受け止められずに戸惑っていた。
「あ、いや、そうだよね。でもね、やっちゃった僕自身が一番驚いていたりしてるんだけど……」
『そうだな、驚きだな、小僧。よもやこの短期間でこれ程の変化を見せるとはな』
「く、黒麻呂さん! それに、玉置さん」
眉根を寄せる。それは行き方知れずになっていた二人だった。
「黒麻呂さんの言う通りに彼は厄介な存在だったようね」
黒麻呂と訪花の声を聞いたハルは暗い山道を見上げた。闇に染み渡る静かな響き、上方の木の陰からゆっくりと歩み寄ってくる二つの影、黒い大型犬を従えた少女が漆黒の髪を揺らしながら微笑を見せる。
「無事だったんですか」
心配して尋ねるが無言が返るとその時、ハルの足下に大きな塊が落ちてきた。
「な! 真子!」
直ぐに子供の狼を抱き上げた。真子は至る所に傷を負い瀕死の様相を呈していた。
「お、おい真子、なんで、何で君がこんなことに。黒麻呂さん! なんで、なんでこんなことを!」
唇を噛んで睨み付けた。
「勘違いしないで、それは黒麻呂さんのせいではないわ」
「……玉置さん」
「私達は、その方を送り届けに来ただけ」
「届けにって、ならあれは、あれはなんだ!」
「あれ? あれって何のことかしら?」
「惚けるな! 今、僕たちを襲っていたあの白い影のことだよ! あれは君が操っていたんじゃないのか! ……もういい加減にしろよ。呪いだなんて、復讐なんて、そんなことに何の意味があるというんだ」
「あなたには関係の無いことよ」
「関係あろうがなかろうが、そんなことはどうでもいいんだ。玉置さん、君は知っているんじゃないのか、分かっているんじゃないのか、欅ちゃんだって、こんなことは望んじゃいない。それに欅ちゃんは母親の復讐も望んじゃいないんだよ!」
「分かっているわ」
「分かってない! 君は、何も分かっていない!」
ハルは必死に訴えた。だが訪花はハルの叫びを氷のような目で受け止めるだけで表情を変えなかった。
『蒼樹ハルよ』
「黒麻呂さん、もう止めよう。右方だ左方だという争い事も、こんな私怨を晴らすようなことも」
『蒼樹ハルよ、残念だが――』
「黒麻呂さん!」
『聞け、もう時間が無いのだ』
「時間? 時間ってなんだよ」
『まずは直ぐ家へ帰り真神の姫の介抱をしてやることだ。急がねば神とて身が持たぬだろう』
「あ、あんたがやったんだろ! 何言って――」
『聞けといっただろう、こちらは真摯に訳を話している。ならば最後まで聞くものだ。文句は後で言うが良かろう』
「……」
『雲華の水鏡を預けよう。お前ならば鏡を完全なものに出来るやもしれぬ。それが出来れば、真神も命を長らえられるかも知れぬ』
「……真子」
『蒼樹ハルよ、まずはそれが急がねばならぬ一つ目のことだ』
「一つ目?」
黒い犬が頷いた。黒麻呂の誠実な態度を見てハルは頭を冷やした。
周囲の目は真子を抱いたハルに集まっていた。その一人一人の顔を順に見ていく。
円香と華蓮には黒麻呂の声は届いていないようだった。円香は心配そうに胸の前で手を組んでいる。華蓮は呆けるようにして立ち尽くしていた。訪花は厳しい目でハルを見据えていた。
『お前は私怨だといったがな、それでも俺達にとっては大切なことなのだ。だが訪花が成そうとしているそのことにも限界が来ている。もう決着を付けねばならない。そして』
「そして?」
『右方と左方の争い事も動いた。様々なことがここにきて火急の事態を見せはじめた。だから時間が無いといった』
「それは?」
『仙狸には伝えてある。もっとも、あれはもう承知していたようだったがな』
「仙里様に」
『今宵、寺に参る。お前はそいつらを守るのだろう。俺達はそいつらを殺す。そのあと、右方ともけりを付ける。決着の時だ』
黒麻呂の目は厳しかった。冗談であって欲しかったが望むべくもない。これで、一時は共闘した相手と決闘することになった。真っ向から対峙する立場である以上、戦いは避けられない。だが戦いたくない。ハルの心は揺れた。
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