第26話 白面の涙

       -26-


 風切り音が鳴ると弧を描くような風の刃が空中を走った。

 一時は膠着状態に持ち込んだが長くは保てなかった。ハルらは次第に白面はくめんの日本人形に追い込まれていった。

 

「雨様! また斬撃が来ます!」

 

 真子の声は聞こえていたが応える余裕はなかった。ハルは肩で息をするほど疲労していた。チラリと目を向けると真子にも疲弊が見えた。彼女は本来の力を失っている。よくここまでやってくれたと思う。

 

「ヤバいな、これ」

「ええ、そうでございますね。これはヤバい、でございます」

 子狼の顔が悔しそうに眉根を寄せる。


「どうしたらいいのか……」

「雨様、それはまだ何とも出来ませぬのか」

 真子の視線がハルの顔から手元へと落ちる。


「あ、ああ、どうも難しいみたいだ。どうやっても切れない」

 答えながらつばさやとを堅く結びつけている紙縒こよりを見た。真子が言っているのは太刀に施された封印のことである。

 ハルはせっかく手に入れた太刀を抜くことが出来なかった。昼間は銀に輝く刀身を見せていたのに、あの少年も尚仁も難なく太刀を抜いていたのに、今は封がされていて抜けない。これはいったいどういうことか。尚仁がこのようなことをやるとは思えないし、出来るとも思えない。


「惜しいことです。太刀からは相当の力が感じられるのですが……」

「え、そうなのかい?」

「え、ええ、まぁ」


 真子はハルを見て苦笑いを浮かべた。顔には落胆の色が見え隠れしていた。ハルは手に持つ扱えぬ太刀に目を落とした。――あの時、村上驟は物知り顔で危機を予期するようなことを話していた。彼は太刀を必要とするときが来ると言っていた。それはまるで太刀を使えと示唆するような言葉だったのだが……そう言えば、太刀は人を選ぶとも聞いていた。ならば、使えないのは太刀に使用者として選ばれていないということになるのか。この怪しげな太刀はいったい何なのだろうか。


「危ない! 雨様、避けて下さい!」


 危機を告げる声にハッとする。見る先で日本人形が手にする扇が華麗に舞った。

 ハルは反射的に太刀を向けて構えた。が、同時に手に衝撃を受ける。疼きが手首から全身へと走った。堪りかねて痛む手首に手を当てたままガクリと片膝を落とす。激痛を堪えるために食いしばった口から呻きが漏れる。手を離れた太刀が回転しながら飛んでいくのが見えた。


「雨様! 大事ございませんか!」

 真子の焦る声を聞く。


「とりあえず、無事みたい」

 出した声が痛みに震えていた。


「雨様、血が!」

 真子が駆け寄ってきて心配そうに顔を覗き込む。右の袖が鋭く切り裂かれ足下には血だまりが出来ていた。


「真子、大丈夫だ、心配ない」

 目を潤ませている真子に笑顔を見せた。傷は大して深手ではない。腕も問題なく動かせそうだ。ハルは直ぐさま体勢を立て直した。

 傷を負ったことでようやく実感した実戦。薄闇の中に飛ばされた武器を探す。本堂の暗がりの中でも見えていた。ならばここでも見つけられるはずだと目を凝らした。


「雨様、私が!」

 茂みの中に光る太刀を見つけ出すと察した真子が素早く動いた。次々と降る斬撃、真子も合間を縫って右へ左へと動くが行く手を阻む攻撃は真子を太刀に近づけさせなかった。そうして遂に白面の人形がハルと太刀の間に割って入るような位置を取る。


「これでは」

「不味いですね」


 ハルも真子も追い詰められたことを悟った。

 薄い月明かりの下で白面が不気味に笑う。死の一字が頭の中をよぎる。


 ――また。駄目だったか……。

 心の中で呟いたその時だった。

 肌が威風のようなもので叩かれた。気迫のようなものを受けたハルは、親に叱られている子供のように肩を竦めてしまう。恐る恐る上目遣いで気配がする方を見ると、「あ、あれは」夜空に目が引き寄せられた。月の中に浮かぶ黒い点を見て安堵する。聞こえる高らかな笑い声は、死の断崖に立たされての幻聴ではないだろう。白面の人形も声の方を向いていた。

 月の中より黒い点が降りてくる。それは見慣れた制服。白銀の長髪が月明かりに照らされて煌めいていた。切り揃えられた前髪が愛らしく風にそよぐと、宝石のような緑眼が並んで夜空に輝いた。

 ――美しい……。


「おい、何を呆けている」

 呆れ顔の仙里の細められた目がハルを刺した。

 

「仙里さま、来てくれた――」

「まったく、このような者に後れを取るとは恥ずかしい」

「は、恥ずかしいって!」

「あなたもだ、真神。しゃしゃり出ながら易々と敗れる。これでは恥の上塗り。これはもう愚かという言葉も過ぎるというものですね」

「あなた……」

「お怒りか、はは、さすがは『眠れるもりの姫』だ。矜持だけは一人前に備えていらっしゃる」

 仙里は、睨みあげる真子を見下ろして薄笑みを浮かべた。

 

「あなたは、今の今まで何をしていたのです! 雨様と結びをもつあなたにこの危急が分からぬはずはないでしょう!」

「さて? 結びとはなんのことでしょう」

「おふざけにならないで下さい!」

「ふざけてなどいません。姫様、私にはそいつを助ける義理はないということです」

「なんという……。契約がありながら主の窮地を救わないどころか、義理がないとは。それでもあなた――」

「フン、勘違いをするな。私は仙であるが、そうはいっても出自はあやかしだ。契約など然程にも思わぬ」

 仙里は嘲るような目つきで真子を侮蔑した。

 

「なんと戯れた物言いか」

「私が戯れていると? しかしこれは可笑しい。眠れる杜の姫よ、あなた様は、いったいどの面を下げてそのようなことを言うのか」

 仙里は鋭い眼差しを真子に向けた。

 

「な、何を……」

「今更ですよ、そのように動揺なさらずとも良いのです。面倒故に今は子細を語らぬが、それでも言えば、私の方がまだ、姫様よりは幾分か真っ当であると思うのですがね」

「……あなたは」

 真子は歯がみをしながら何も言わずに仙里を睨み付けた。


「おお、分かりやすいことだ。流石は神様、正直者ですね。フフフ、まったく、なんてお可愛らしい」

 涼しげな顔でほくそ笑む仙里。

 

「まあまあ二人とも――」

 ハルは両者の間に流れる剣呑な雰囲気をなんとか収めようとした。だが宥めようとした矢先に、仙里から呆れ顔を向けられる。


「なんだよ。僕のことまでそんな目で見なくてもいいじゃないか」

 頬を膨らませながら小声で呟いたその時、仙里の視線がスッと横に動く。ハルの目は自然とその動きを追った。次の瞬間、背筋に冷たいものが走った。白面の人形が攻撃の構えを取っていた。

 

戦場いくさばにありながら気を抜く。お前は本物の馬鹿だな」

 仙里が消えた。冷笑を伴った声を聞いた直後、風の刃が一直線に向かってきた。

 目の前で風の刃が爆ぜる。銀の髪が煌めくと、まるで涼風だな、とつまらなさそうに仙里は肩を落とした。ハルは仙里に守られた。


「仙里様、いつの間に」

「ここは戦場、くだらぬ質問をしている余裕がお前にあるのか?」

 仙里はハルの前に太刀を差し出した。


「え?」

「拾ってきてやった。さっさと片付けてこい」

「え? 助けてくれるんじゃ……」

「は? 何故に私がお前を助けねばならないのか」

「だ、だって、僕は仙里様の」

「それ以上は言うな、言えば殺す」

 仙里がキツく睨み付けながら太刀を胸元へねじ込んできた。仙里の顔を見て吐息を漏らす。この少女はなんて愛らしいのだろう。

 

「んがっ!!」

 見惚れるハルの鳩尾に仙里の一撃が入った。

 もんどりを打つ身体が後方へ飛んだ。そこに太刀が投げつけられる。

 

「いいからさっさとやれ!」

 軽蔑するような眼差しと怒気をはらむ叱責が飛んできた。


「仙狸よ! あなたは」

 真子の責めるような言葉が仙里に飛ぶ。


「姫様、何か?」

「何故、雨様を助けないのです!」

「何度も言わせないで頂きたい。私にはあれを助ける義理はない」

「何ということを。あなたは雨様を失ってもよいと――」

「まったく雨様、雨様と小うるさいことだ。この際だ、はっきりと言っておきましょう。『雨の陰陽師』などおらぬ。あれも『雨』などではない。雨の眷属であるあなたが何と言おうと事実は変わらぬし、私にはどうでもいい」

「そんな……」

「あなたにも分かっているのだろう。何故にあれに拘るのか。あなたが授けた宝珠ほうしゅは何か兆しを見せたのか? あの太刀はあいつを使い手だと認めたのか?」

「太刀、よもやあの太刀は」

「いい加減に承知をなさい。あれは決して『雨』なる者ではない」

 諭された真子は歯を食いしばりながら沈黙した。


「……それでも私は信じたい。この先を見てみたいのです。だから助けて頂けませんか。ハル様をお守り下さいませんか」

 真子が切なく話す。

 

「やれやれ、どいつもこいつも」

 仙里は肩を落とし呆れた。


「で、では!」

「助けるとは言ってない」

「何故! 何故そのように頑なに! これではハル様は殺される。ハル様は死んでしまいます」

「ここで簡単に死ぬならばそれまで」

「な、なんという」

「よいか聞け、愚か者が戦場で死ぬは当然のことだ」

「愚か者? 違います! ハル様は愚か者ではありません。今はまだその力を見せることが出来ていない弱き者。弱き者は救わねばなりません」

「なるほど、これはなんとも神様らしい物の言いようだ」

「お分かり頂けますか」

「分かりませんね」

「くっ、これだけ申しても」

「では尋ねよう、真神の姫よ。弱きを助けることが慈悲と思うか?」

「勿論そうでしょう」

「違うのですよ、姫」

「違う? 何が違うというのです」

「戦場はこの場限りというわけではない。ここで助けたとて、弱者は次の戦場で死ぬだろう。生き抜こうとしない愚か者はいずれ命を落とす。ならば助けてどうなりますか」

 

 確かに道理だ。生き抜く力のない者が死ぬのは摂理の中の真理であろう。しかし、その理屈をそのまま人間社会に当てはめることは出来ない。弱い者は助けなくてはならない。ハルは拳を握った。自分は助ける側の人間でありたい。その為に強くならなくてはいけない。

 

『強くありたいというは、良い心がけだとは思うがな。勘違いはするなよ』

 仙里の声が脳裏に届いた。

 

 ――勘違い?


『救いたいと思うても、対象は己の主観と立ち位置によってころりと変わるものだ。是非は己が手前勝手に決めつけているにすぎない。お前は何を救いたいのか。お前は誰を救いたいのか。今のお前は何がしたいのか。そこに正解などないぞ』


 ――正解がない。それはどういう……。


『知らん!』

 仙里は突き放すように言った。

「し、知らんって……」

「私に私の事情があるように、これはお前が首を突っ込んだ、お前の事情だ」

 敵との攻防の最中、ハルは自分が踏み込んでいる事件に思いを馳せた。その時ふと村上驟に教えられた名を思い出す。

 

「……吉野よしのけやき

 何気なく名を呟くと攻撃が止まった。

 

「もしかして君は、吉野欅と関係があるの?」

 人形が宙に浮いたまま沈黙する。その後ゆっくりと闇に溶けるよう姿を消していく。「待って!」ハルは手を伸ばした。ひどく悲しげな白面の顔、人形は泣いているように見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る