6章 呪いの少女
第24話 月夜の人形
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おぼろ月夜に扇がひらりと舞う。
巻き起こされた風が鋭利な刃と化して空間を薙いだ。
咄嗟に後ろに飛びすさり凶器から逃れられたのはただの偶然でしかなかった。
「なんだよ。なんでこんな」
疑問を口にしているが、それは情況を考察してのことではなかった。
それはそうだろう、唐突に起きたこの戦闘は、まさかの事態であり、人知を超えたところにある出来事である。何故こんなことになっているのかと、そのようなことを考えたところで襲われる理由など分かるはずもないのだ。それでも、ここで思考停止に陥るわけにもいかなかった。
「どうする……」
白い面に浮かぶ微笑から視線を外さぬようにして呟いた。
ハルが目にしていたのは赤の地に艶やかな白花を咲かせた和服を纏い日本髪を結った日本の伝統工芸品。空中から見下ろす凶悪な者は悠々と振る舞いながら命を刈り取ろうとする狂気であり、その佇まいはもはやそこいらにある日本人形などではない。
「ええっと、あなたも、その、あなたも妖怪さんなのですよね?」
とにかく話しかけた。小さなことでも良いからこの状況を動かすための取っ掛かりが欲しい。だが、相手は応えなかった。応えないどころか再び扇を持つ手を肩口へと回して見せた。
――来る! と思った瞬間に二撃目が放たれた。ヒュンという風きり音を耳が捉えたがもう遅い。相手の攻撃は音より早いのだから。
「くそっ!」
諦めてはいなかったが、それでもどうすることも出来ない。観念するしかなかった。硬直する身体が風を感じた直後、敵からの攻撃が地面に到達してドンと衝撃音を響かせた。
終わった、と思いながら眼をしばたたく。束の間に首を傾げたあと両手を見る。どうやら生きているようだ。ともかく状況確認をしようと巻き上がる砂埃の中で現状を確認すると敵が離れた所に見えた。ハルは何者かにより真横に突き飛ばされていた。
肩に少しだけ打たれた痛みを感じていたが、枯山水に敷かれている白い川砂利のおかげで受けた衝撃は然程でもなかった。
目は、直ぐに着地した場所で命の恩人を探す。
寺院の
「
姿を見つけるよりも先に幼い少女の声が届く。薄い月明かりに照らされた青銀の体毛が風にそよいでいた。見知った姿、それは小さな狼。――けれどもその者はハルが期待した人物ではなかった。
「
「雨様の危急を
真子が得意げに言った。
「へえ、これが……」
ハルはポケットから灰色の石の玉を取り出して見た。
「ところで雨様、いや、ハル様、あれはいったい何なのでございますか」
真子が宙を見上げて言った。
「それが、何が何だかと言った具合でさ、とにかく尚仁さんが昼間にどこからか預かってきたみたいなんだけどね」
「はぁ、あの自称イケメン住職がですか……まったく。未熟者が碌でもないことをしてくれたものですわ」
「真子さんも案外と毒を吐くんだね……」
「ハル様」
「あ、ああ、ごめんよ、あれのことだよね。たしか、供養を頼まれたって言っていたけど、でもまさか、本当に供養しなきゃいけない危険物だったとは――」
「ハル様、危ない!」
真子の声が飛んだ。ハルは再び宙に突き飛ばされてしまう。今度は庭木の茂みの中に放り込まれた。
「痛タタ、真子、もう少し優しく……とも言っていられないか」
折れた小枝やら葉っぱやらをくっつけたままで這い出す。
「そうでございますよ。とにかくあれを何とかしなくては」
「だよね……」
頭を悩ませながら宙に浮く日本人形を見る。ハルに合わせるようにして真子も敵の方を向き威嚇するように唸りをあげた。
「ねえ真子、ちょっと聞いて良い?」
敵を見据えながら訪ねた。
「はい、なんでございましょうか雨様」
「あれって、やっぱり妖怪なのかい?」
ハルが妖怪なるものと縁を結んだのは最近のことであった。高校に入学して間もない頃に些細な出会いからその様なことになってしまっていた。以来今日まで、彼は様々な奇怪事に巻き込まれていた。
「違いますね。妖怪ではございません。あれには心が無い」
真子は直ぐに答えた。
初めて会った時、真子は幼女の姿だった。今は獣の姿になっている。彼女については年齢も正体も未だ不明であった。話によれば
「真子、あれなんだけど、何とか出来そうかい?」
「それは無理でございますね」
「即答ですか……」
「申し訳ございません。私は力を失っております故に」
「うーん、これは困ったな」
「はい、困りましたね」
力を失っている神とただの人間には如何ともしがたい状況だった。思いつく頼みの綱は、真子の事件の時に助けてくれた鬼怒川茜か、契約を結んでいる彼女だが……。
「ハル様、そう言えばあの者は如何しておるのでしょうか?」
「あの者? あの者とはどっちのことを言ってるのかな?」
「それは、ハル様の従僕であるあの者のことです」
「あ、ああ」
「ここに一緒に住んでいるのでは?」
「わかんない。僕は一緒に暮らしていると思っているんだけど、どうにも甘い生活とか、そんな感じは――」
「雨様、攻撃が来ます!」
真子の警告の直後、ハルと真子の間に斬撃が降ってきた。
「ここは私が引き受けます。ハル様は何とか武器を探してきて下さい」
「え? 逃げないの? そんでもって武器って、まさか僕に戦えと――」
風の刃が放たれた。しかし今度は避けることが出来た。
「それしかありません。敵はハル様を狙っています。破壊するより他はありません」
「僕が標的ってなんで、でもって破壊っていってもどうやって」
「それはあの夜の犬神のことを言っているのですか?」
聞かれるまでもない。経験が教えていた。物理的な攻撃など妖怪には効き目がない。以前に対峙した犬の妖怪はハルの振るった金属バットを空気の如くすり抜けた。円香の部屋に行ったときも白い影に手を焼いた。たとえ見えていても触れることが出来ないとなれば手の出しようもない。
「やっぱり無理じゃない?」
真子に苦笑を向けた。
「無理ではありません。あなた様はあの雨様の再来なのですから」
「あ、いや、真子、それは違うよ。何度も言ってるけど、僕は雨様なんかじゃないんだよ。大昔の陰陽師の再来だとか期待されても困るんだよね。僕は英雄でも何でもない。ごく普通の――うゎっ!」
話の途中でまた真子に突き飛ばされた。
「とにかくハル様、悠長に話している場合でもございません。これ程の規模の寺です。何かあるやもしれません」
「武器ねえ……」
「あれは犬神とは違いますから木の棒でも金物でもなんでもよろしいかと存じます」
「金物? 犬とは違う?」
「そうです。あれは人形の形をした
「ええと、シキ? ヨリシロ? うーん……でもまぁ今度は当てられればなんとかなるんだね」
ハルは昼間の出来事を思い出していた。そこで見た光景の中になんとかなりそうなものがあった。
「わかったよ真子、ちょいと行って取ってくるよ」
本堂の中を目指して走り出す。その背中を敵が追う。
「行かせませんわ、もうしばらくは、この私がお相手を致しましょう」
真子の威勢の良い声をハルは背中で聞いた。
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