妖怪に恋した僕と英雄譚① ー雨中の猫ー

第23話 因果応報

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　ハルが住む寺は町外れにある。重厚に作られた木造の建築物に白い川砂利が敷き詰められた広い庭園。寺の周囲には緑しかない。そんな現代とはかけ離れた古式ゆかしき空間の中、縁側に寝そべり夢現ゆめうつつのまま天上を見上げていた。

「あ、いた！　お兄ちゃん」

　駆け寄ってくる幼い声を聞いて和む。

「あ、あの……」

　元気な弟の後ろから円香がおずおずと声を掛けてきた。

「どう、少しは落ち着いたかな？」

　ハルは笑みを作った。

「あの、昨夜は……。それに、お家にまで呼んでもらって」

「なんのなんの、気にしないでよ。それよりも、お母さんは？」

「……何も」

「何も？」

「特に、何も、ない」

「そう」

　ハルは淡泊に相づちを返した。おおよその事情は方々に連絡を入れて状況を整えた叔父に聞いて知っている。一先ずはこれで良かったと思う。円香が短い言葉で答えたのにも色々な思いが含まれているのだと理解し、あえて私生活に踏み込むようなことはしなかった。

「助けてくれて、ありがとう」

「首は、痛みはどう？」

「大丈夫みたい」

　円香は物静かに微笑むと首をさすって見せた。彼女の首に絞められた痕跡は見えなかった。振る舞いからみても昨夜のダメージは然程も残っていないようだった。

「話は出来そう？」

「うん」

　察した円香は寺の敷地の中を探検しておいでといって弟を遠ざけた。

「蒼樹君はなんで……」

「なんで、助けに来たのかってこと？　それとも、呪いの話を信じていること？」

「ええと、その両方、かな」

「それはまぁなんだ、これも何かの縁ってことになるのかな、ほら、あの雨の日、生徒玄関で」

　ハルは拾った生徒手帳を差し出した。それは、と言って円香が受け取る。彼女もあの日のことを思い出したようだった。

「その手帳を渡そうとして、君を探していたらお化けの話に繋がって、それが功を奏してたまたまあの場面に遭遇した、とまぁそんなところかな」

　円香が苦笑を見せた。起きている出来事は事実であるが、根から虚構のような話である。ハルは少しの嘘を混ぜ簡素に話したが、すんなりと飲み込める話ではないだろう。円香の顔も無理に納得しているように見えた。

「それよりも、聞いて良い？」

「なに？」

「僕が部屋に入ったとき、その……君が、死のうとしているように見えたんだけど」

　ハルの問いかけに円香は下を向き唇をきゅっと閉じて押し黙った。

「実は、知っているんだ。君たちが何か罪を背負ってるってことを。だから思ったんだ。化け物に襲われていたあの時、君は自ら罰を受けようとしていた。違うかい？」

　ハルは核心から話を切り出した。辛い話になるならば手短に済ませてあげたい。もちろん彼女のペースでゆっくり話してもらった方が良いこともあるし、枝葉の話も無駄にはならないだろう。それでも、いま一番重要なことは呪われた四人が背負う罪について聞くことである。事件を解決する糸口はきっと罪を生んだ出来事にあるとハルは考えていた。

「知っているの？　蒼樹君は、あたしたちの罪のことを」

「ああ、でも、知っているのは罪があるってことだけで、その罪が何なのかは知らない。どうやら中学の時に何かあったらしいというところまでは聞き及んでいる。だけどそれ以上は分からない。みんな口を噤んでしまうんだ。いったい過去に何があったの？　みんなが口を閉ざすのはなんで？　君が死を覚悟するほどの罪って――」

「あたし達は罪を犯した。あたし達、人を殺しているの」

「人を殺している？」

　その告白は予想だにしていなかった。標的として命を狙われている者が実は過去に誰かの命を奪った者だという。ならば玉置訪花の行いは……。

「殺した者は死ねと、命を奪った者は命で償えと、ではこの呪いの話は悪事を正すこと、もしくは復讐……」

「分からない。でも、あたしは人殺し。だから恨まれても仕方ないし、命を奪われても仕方がない。これまでも死ぬ事でしか償えないと思ってきたの。そして昨夜、ついにあたしに順番が回ってきたと思った」

「順番？」

「そう、これは順番なの。初めが板東さん、次が山川さん、その次があたしで、最後に桐島さん。多分これば順番。共犯から主犯へと順々に一番罪の重い者へと向かう」

「共犯？　君が、しかも罪の重い方の」

「そう、あたしの罪は重い。だってあたしは裏切り者だから」

「裏切り者？」

「……初めは、やられていたのは、あたしだった。それは中学に入って間もない頃のことだった。突然、訳も分からずに始まった。あたしは桐島さんと取り巻き二人のターゲットになった」

「ターゲットって」

「思い当たることはあったわ。見たでしょ、あたしの家を。片親だし、母親もあんなだし、貧乏だし。だから……。それでも優しい彼女は、あたしを助けてくれた。なのに、あたしは助けてくれた彼女を裏切って、害する方に回ってしまった」

「そ、そんな」

「怖かったの。もう元に戻されるのは嫌だったの。でもその結果、追い詰められてしまった彼女は自ら命を絶ってしまった。あたしは彼女を見殺しにした」

　円香は罪を告白しながらへたり込んで顔を両手で覆った。

　ハルは事件の根っこを知った。聞いた直後はよくある話だと思ったが直ぐに思い直す。瞬間的にでもよくある話などと思えてしまったことが恐ろしい。

　確かにそれは度々に耳にする話だった。故に感覚が麻痺しているのだろう。

　ハルは、校舎の隅でひっそりと枯れていくあの花束を思い出した。人は悲劇に触れても一時的に可愛そうだと口にするだけですぐに忘れてしまう。しかしそれではいけない。一人の人間の死がそこにある。その死は誰かに愛されていた命の喪失である。

　心に葛藤を覚えながら嗚咽を漏らして泣く少女を見ていた。事件の真相と少女の涙。罪を自覚して償おうとする者の気持ちも分かる。しかし罪は罪としても、その償いとして命を差し出せとは言えない。ハルは複雑な胸中で言葉を探した。同情の余地はあるが、それでもむやみに同調することが出来ない。

「宮本さん、今のそれは誰のための涙なの？」

　泣きじゃくっていた円香の肩が止まった。冷たい物言いだとは思うが、そこには十全な気持ちで彼女の肩を持つことが出来ない自分がいた。

　円香が真剣な面持ちで口を引き結ぶ。

「ごめん、酷いこと言っているよね。分かってる、でもね、いま泣いている君に僕は寄り添うことが出来ない。僕には君のその涙が誰に向いているのかが分からないんだ」

「……うん」

「今の君は、君が死に追いやった子を悼んでいるのか、それとも、共犯にさせられた自分を憐れんで悲しんでいるのか」

「そんな」

「ごめんね、君は死を受け入れようとしていたし、実際に死んでいたかもしれない。そのことを思えば、死ぬことに君の思いはあるのだと思う。だけど、君は死ななかった。これまでに君が自ら命を絶とうとしたこともなかった」

　円香はどこか一点を見つめながらハルの言葉に耳を傾けていた。

　ハルは彼女の心の内を推し量った。ハルは彼女の心の内を推し量った。家庭の事情、幼い弟の行く末を案じれば、円香は軽々に死を選ぶわけにはいかなかったのだと思う。

「生きていることを責めているのではないよ。僕は、根本的には、自ら 命を絶つことが償いだなんて絶対に正解ではないと思っている」

「それでは、あたしは……」

「どうしたらいいのかってことかい？」

「……あたしは」

「死ぬことが償いになるって思うことがそもそも間違いなんだよ」

「間違い？」

「君は間違っている。安易に死を受け入れるのではなく、真の償いがどういうものなのかを考えなくてはいけなかったんだ」

「本当の償い」

「そう、本当の償いだ。死ぬことに逃げちゃ駄目なんだよ。一人の女の子が死んだ。殺したのは君たちだ。その罪は一生消えない。忘れることも出来ない。殺された者の恨みも、奪われた者の恨みも、生涯消えずに受け続けるだろう」

「……一生」

「そうだよ、それは君の寿命が尽きるまでずっと続くんだ。たとえ世間が忘れたとしてもずっと続く。愛する者を奪われた者の悲しみや怒りは消えない。奪った者も手についた血を洗い流して忘れてしまうことなど出来やしないんだ」

「蒼樹君、私は……」

「君は、やるべき事を行ってきたのかい？」

「やるべき、こと……」

「そう、君にはやるべき事があるんだ。君は、君に出来る償いをしてきたのかい？　僕にも、どんなことが償いになるのかは分からない。でもそれは君が考え続けなければならないことなんだと思う。悔やんで泣いても何も解決しない。君には、君が本当にやらなければならないことがきっとある。そのことを少し考えてみないか？」

「あたしに出来ること。今、あたしがやらなくちゃいけないこと……」

　命は失えば取り返しがつかないものだ。だからこそ奪った者の人生も取り返しがつかないものになる。一人の人間の命を奪うことはそれ程に重い。被害者の無念、周囲の者の悲しみを思えば思うほどその重みは増していくのだろう。

　ハルは、円香の沈黙を見て思いが伝わっていることを確信した。この子ならば、きっと何かを見いだしてくれる。もう大丈夫だ。

　ハルは次のことへと思いを馳せた。呪いの死には順番がある。一番罪の重い人間が最後に殺される。それは次々とレートを上げていくことで主犯にプレッシャーを掛ける行為である。

　主犯である桐島華蓮はいま何を考えているのだろうか。制裁を誓う玉置訪花は今の宮本円香を見てどう思うのだろうか。訪花は人を殺した者に生きる権利はないという。その理屈は理解出来る。ある部分では肯定も出来る。だからといって、償いのために誰かが殺されることも、正義のために殺人者になることも、どちらも了承することなんて出来ない。

　次は、桐島華蓮に会わなければならない。彼女のことも守らなければならない。玉置訪花にこれ以上の罪を犯させてはならない。