5章 因果応報
第20話 一縷の望み
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粛々と進んでいく午後の授業。壮年の教師が白いチョークで黒板を叩きながらボソボソと話す。間怠っこしいその音は教室全体を微睡みへ誘うようだった。
停滞するように静まる教室の中で感じる孤立。平穏を装う日常の中に只一人危機感を抱いている自分が、まるで混ざることを拒まれた異物のように思えてくる。
開け放たれた窓から入る柔風が心を別世界で起きている事件の真相へ誘った。ハルは遠く景色を眺めながら難解な相関図を頭に描いた。
ハルだけが知る事件、取り巻く情況と呪いの殺人事件がついに雨の陰陽師というワードで繋がった。一連の事件は雨の陰陽師たる玉置訪花の仕業であった。
これがミステリー小説ならば、犯人を知ったところで概ね事件は解決する。犯人を捕まえるなどして動きを封じてしまえば良いのだ。しかし一連の出来事はそのように単純な構図で起きていない。これは怪奇を孕んだ事件であり、常識が通じないことは火を見るより明らかである。
藁人形にも手を出せない、訪花の意志も曲げられないとなれば、次はどうするか……。
ハルは糸口を探した。
いつだったか、仙里は殺す者には理由があると話したことがあった。
ひょっとすると、仙里は殺す側の事情を知っているのではないか。ハルは蛇の女の子と出会った日のことを思い出した。
――あれは何だ?
仙里が見つめていた藁人形と呪いを引き起こしている元凶、その藁人形の後ろから彼女は姿を現した。あの時、這い出てきた蛇の女の子はハルに助けを求めた。次にどこからともなく現れた仙里が蛇を掴んだハルと蛇の女の子の間に割って入った。その後……、仙里は蛇の女の子を牽制し……蛇の女の子が銀杏の中に消え……。
もしかすると、あの蛇の女の子も呪いの藁人形に関係しているのだろうか。だとすれば……。
朧気に見えてきた雨の陰陽師というワードが線となり仙里と蛇の女の子と訪花を繋いだ。
――そもそも、雨の陰陽師とは何だ?
黒犬は訪花を主と呼んだ。真神は雨様を慕い求めている。茜は出現を否定し、仙里は存在自体を無いと断言していた。名も知らぬ蛇の女の子については分からないが、この春から関わり合いを持った者達が皆、雨の陰陽師と何らかの繋がりを持っていた。
となれば、今起きていることは雨の陰陽師を中心に据えて動く事態ということになるのだろうか。
訪花と蛇の女の子はどのような関係なのか。雨の陰陽師がらみなのか、別のことか。訪花も殺される者にはそれなりの理由があると話していた。死は償いだとも言った。その、殺される者の罪とは何か、殺す者の動機は何か。それはきっと呪いの標的となった四人に共通する出来事に違いないだろう。
*
夕暮れ時、ハルは再び枯れた花束の前に立っていた。空に消えた女生徒の恐怖に怯える顔を思い出し更に決意を強く固める。もう誰も死なせやしない。
「お前が気に病む必要はないと思うぞ」
「ああ、そうかもね」
ハルは振り向くこともせず茜に応じた。
「自殺だったんだろ?」
「本当にそう思っているの?」
「……どういう意味だ?」
「君ほどの者なら、真相を知っていたんじゃないかってことさ」
枯れた花を見つめながらハルは後ろの茜に尋ねた。
「真相って?」
率直に尋ねてくる様子から嘘は感じ取れなかった。どうやら茜は事件についての詳細を知らぬようだが。
「彼女は呪い殺されたんだ」
直球をぶつけたのは探りを入れるためである。茜は明かすことの出来ない何らかの事情を知っている上に、呪術について詳しいオカルト側の人間だ。
「殺された? しかも呪いって」
「茜ちゃんも呪いの噂は知っているよね?」
「ああ、まぁ一応ね」
「呪いによる殺人、それがこの事件の真相なんだよ」
「まさか、あれはただの噂だろ?」
ハルは振り向いて茜の仕草を観察した。
「本当だよ。この事件は繋がっているんだ。道に飛び出した子も、転落した子も、何者かによって殺された。真相はみんなが噂している通りなんだよ」
「何者かって、それは?」
茜の目が急に厳しくなった。
「それは分からない。でも殺されたのは本当だ」
ハルは犯人を知っている。だが、今は話すべきではないと判断した。
「何でそんなことが言えるんだよ」
「見ているから。第二の事件現場にいた僕が、その現象を自分の目で見ているからだよ。あの時、彼女は何かに押されて転落した。押した者の正体も、その力がなんなのかも分からないけど、これは確かなことだ」
「見えた、か……」
「茜ちゃん、呪いなんかで本当に人が殺せるの?」
「……殺せるな。だけど普通では殺せない」
「それはどういうこと?」
「呪殺というのはある。大昔から確立している術式は確かに実在する。だけど、そんなことは普通の人間には出来ない。まねごとくらいは出来るよ、でも、だからといって本当に効力を発揮させることなんて出来ない」
「そう、分かった」
短く答え素早く頭の中を整理した。術式があるのならば解く方法もあるのではないか。茜が呪術に精通しているのならば、対処する手立てを思い付けるのではないか。ハルはこの呪いを消し去る方法を聞いてみたいと思った。
「何か思うところがあるのか?」
茜は目を細めた。
「茜ちゃん、犯人に心当たりはない? なにか気が付いたことや知っていることがあれば教えて欲しいんだ」
「お前、いったい何を考えているんだ?」
茜が鋭い目つきで探りを入れてくる。
「事件は、あの二件で終わりじゃないんだ」
「終わりじゃない?」
「まだ二人残っている。命の危険にさらされている人がまだ二人いるんだ」
「それじゃ本当にあの噂は」
「何か知っていることがあるの? 噂話の続きとか、詳しい内容とか」
「……でもな、呪殺っていっても、私は何も異変など感じていなかったんだが」
茜の口調に困惑の色を読み取ってハルは眉を寄せる。
この呪いは彼女でも感知出来ないほど高度なものなのか、果たして無力な自分に何が出来るのか。
「なんでもいいんだ。一組の
「その二人が、残りの二名で次の標的? それで? その二人の女子は今どうしてるんだ?」
「二人とも、学校には来ていない。理由は知らないけど、おそらく呪いを恐れてのことだとおもう」
「恐れてかぁ……でもなぁ」
茜が考え込むように腕を組んだ。
「何かあるの?」
「いや、まだ何とも言えないから。それでも、今回の事件に呪いが関わっているのなら下手に手出しは出来ないかもな」
茜は難しい顔を見せた。
「それは?」
「呪術を行うときには何かを相手の身代わりとすることが多い。たとえば藁人形が代表的だな」
やはり藁人形をなんとかしなくてはならないのか。だが、あれに手出しは出来ない。手を出せば惨事が起きると忠告を受けている。
「わかった。それで? どうすればいい?」
「見つけたら焼き払うなりすればいい」
「するとどうなるの? それで呪いは終わりなの?」
「発動してしまった呪いは完遂まで止められない。ただし、媒体の破棄によって呪いは術者へと返される」
「返される?」
「人を呪えば穴二つっていうだろう。人を殺そうとするんだ。そこにはそれ相応のリスクがある。呪い返しをされれば、呪った本人も死ぬってことだ」
「なるほどね」
手出しは出来るが呪いの媒体を消滅させても呪いを消せないのでは意味が無い。呪い返しが玉置訪花を殺すことになることも理解した。ただし仙里の忠告とどう繋がるのかが分からない。藁人形を始末するとどうなるのか、呪いを返された訪花の死が惨事を引き起こすということなのか、それとも蛇の女の子に何かが起きるのか。
「どうしたら、呪いそのものを消せるんだろう」
「標的が全員死ねば終わる、が、それでは意味が無いんだよな?」
茜はハルの目を見てやれやれと溜め息をついた。
「僕は、呪いそのものを消したいんだ」
ハルは茜の目を覗き込んだ。
「無理だぞ、そんなことは私にも出来ない」
「どうして? 茜ちゃんのように力があっても無理って、なんで?」
「言っただろ、一度発動した呪いは止められない。術者を殺しても呪いは止められないんだ。ただ……」
「ただ?」
「停止は容易ではない。宿怨の発露とはそれ程にやっかいなことなんだよ。それでも、その呪いを根本から封じる、もしくは宿怨ごと浄化できれば無効化することが出来るかもしれないが……難しいだろうな。因果律の改変なんて並のことでは無いからな。それに、その呪いは既に二人の命を喰っている。もう猶予はないかもしれない」
「普通ではダメと言うことか。くそっ、どうすればいいんだ」
「気持ちは分かるがな」
「このまま見過ごすことなんて出来ないよ、死ぬ事が分かっていてそれを止められないなんて」
握った拳が震えていた。あれは言わば雨の陰陽師である玉置訪花が仕掛けた呪いである、並の者には難しいことは理解出来るがしかし……。
「雨様ならば……。いや、これは無理だな。でもせめて、雨の
「雨様の太刀?」
「あ、ああ、でも悪い。今のは忘れてくれ。考えても無理なことだった。雨様はいないし、雨様の太刀も行方が知れない。仮に太刀があっても雨様にしか扱えない代物だから、どちらにしても無理なことだ」
茜は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。
「雨様の力に頼る。もうそれしか手段はないということか」
「おい、どうした、急に」
茜が不思議そうに見つめる。
「いや、なんでもない」
結論は、頑なな彼女の意志をどうにかして曲げねばならないということだった。出来なければまた誰かが死ぬ。残る二名の命も風前の塵にひとしい。
訪花の揺るがぬ瞳は語っていた。邪魔をするなと言った彼女は直ぐにでも行動に移るだろう。もう時間は無い。その危機を知る者もいない。
発端となった事件のことを知らねばならない。それと同時に被害を食い止めるしか手立ては無い。訪花の行方は掴めないが彼女の標的には近付くことが出来る。
行こう、行って守ろう。たとえ訪花と対峙することになっても、のっけから争い事になるとは限らない。黒犬の態度は敵対していながら誠実であった。そこにまだ余地はある。
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