第6話 藁人形と蛇

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 神社前でバスを降りると急ぎ足で拝殿へ向かった。霧のように降る雨、境内の空気はどこか淀んでいた。何が出てきてもおかしくない。ハルは不気味な気配を肌に感じながら慎重に拝殿へと向かった。


 今、自分だけが知る危急。次の事件が起こることを確信している。ハルは宮本円香の怯えた顔を思い出していた。彼女は亡くなった生徒と何かしら関係があるようだ。次のターゲットが誰なのかは分からないが、校内で何かを見て怯えて逃げていたことは被害者と共通している。


 あの事故について少し調べてみたのだが、噂どおり死亡した女子の同窓生は言葉を濁すばかりで、詳細について語ることを拒んだ。君も呪われるよ、と止めてくれる者さえいた。

 皆、何かを怖がっていた。もしかすると、呪いの事件が数日も経たずに生徒の口から消えたのは、触らぬ神に祟りなしという防衛の心理が働いていたからかもしれない。みんな自分が呪われてしまうことを恐れているのだ。

 おかしなものだ。既に妖怪を知る自分ならともかく、誰も皆、オカルトが実在するなどと信じていないだろうに。


 霧雨がビニール傘の下の体温を奪う。寒気がした。併せて身体が小刻みに震えていたが、これは恐怖によるものではない。きっとこれが武者震いというものなのだろう。

 半袖から露出する腕があわ立つ、目的の場所に近付くにつれて嫌な気配がどんどん強くなる。ハルは奥歯に力を込めて震えを抑えた。


 呪いによる殺人の手法については見当もつかないが手掛かりは得ていた。仙里が見つめていたあの藁人形がきっと何らかの鍵を握っていると当たりを付けていた。

 銀杏が見えたところで一度立ち止まる。そこからはそろりと足を運んだ。油断ならぬと口を引き結ぶ。ともかく、あの呪いの象徴を何とかしなくてはいけないと、意を決して拝殿の裏へ回った。誰かの命が狙われている。止められるのはもう、自分しかいない。

 

「人が死ぬのは嫌だ。仙里様の人殺しも止めなければ」

 ひとり、歯を鳴らしながら呟いた。


 胸を押さえながら辿り着くと、その場所は人の気配も無く閑散としていた。正面に銀杏の巨木を見据える。辺りには黒い靄のようなものが漂っていた。

 思わず息を呑んだ。

 恐る恐る歩み寄る。

 藁人形に近付くほど息が苦しくなった。

 ――嫌な気分だ。

 それは酷く悲しいものだった。幹に貼り付けられた呪いの人形からは恐怖を感じなかったが近付くのは苦しい。このときハルは人形から醸し出される負の感情を一身に受けていた。

 ――可哀想に、

 悲しみに胸を締め付けられながら手を伸ばす。人形に触れようとしたその時だった。藁人形の後ろ、銀杏の木から人影が湧き出てきた。


「君は……」


 話しかけると、ぼんやりとした人影は「うう、うう」と呻きのような音を発した。

 生やす二本の角、裂けた口に、爬虫類のような眼。見た目はあからさまに化け物だったが、脳裏にはどうしてだか人の面影を思い浮かべていた。「君は、もしかして人なの?」思いついて尋ねた。すると、人影は薄らと人の輪郭を顕し始める。化け物の顔がみるみる少女の面立ちに変化していった。年齢は少し下だろう。幼い顔立ちと小柄な背丈、セーラー服を身につけた姿は中学生くらいに見えた。


「――オ、ネ、ガ、イ」


 たどたどしく言葉となる呻き声をハルは一生懸命に聞き取ろうとした。


「苦しいの? お願いって、何をすればいいの」

「――タ、ス、ケ、テ」

「助けて欲しいんだね、分かった。それで、なにを――」

「ウウ、ウウ」

「分からないよ、何をどうしてほしいの」

「ウウウ、ウウウ」


 少女が発する声は言葉にはならなかった。そのうち、もう限界だと言わぬばかりに少女の輪郭がぼやけ始める。

 必死になって姿を留め何かを伝えようとする少女。彼女の目に涙を見てハルは追うように手を出した。

 差し出した手に縋るように腕が伸ばされる。あと少しで手が触れようとしたときだった。少女の腕が蛇の姿に変化してハルの腕に巻き付いた。


 ――痛っ。

 蛇が腕に噛みついた。それでもハルは構わずに彼女の想いを受け止めようとした。

 ここには何かがある。彼女からその何かを聞くことが出来れば、少しでも真相に近付くことが出来るかもしれない。放すものかと歯を食いしばって蛇に姿を変えた腕を捕まえる。が、彼女をこちらに引き寄せようとしたその時、今度は何かがハルの身体を突き飛ばした。

 ハルと少女の間に銀の風が割り込む。手にしていたビニール傘が宙に舞う。少女の手を放し後退ったハルはそこに銀の猫をみつけて驚いた。


「よほど死にたいらしいな」


 銀の猫が呆れるように言った。発するその声には覚えがあった。


「まさか、仙里様!」


 ハルの頭の中で、雨に打たれる銀の猫と銀の髪の少女が重なる。


「手を出すなと教えたはずだがな」


 いって仙里はハルを背に庇い、銀杏から生え出た少女を牽制するように睨み付ける。


「仙里様、なんで……。そ、それよりも、これは、これは何なのですか!」

「お前には関係の無いことだ」

「でも、呪いで人が殺されている。これからもまだ誰かが殺されようとしている。そんなの放ってはおけないよ」

「良いか、よく聞け。殺される者にも、殺す者にもそれなりの理由があってのこと。部外者が軽々に立ち入ってよいことはない」

「仙里様は関わっているではないですか!」

「私には理由がある」

「理由って」

「言ったであろう。お前には関わりの無いことだと」


 不敵に笑む猫の背中にふわりと殺気が立った。蛇の少女は仕方がないと諦めるように目を伏せ銀杏の中に姿を消した。


「仙里様、今の子、酷く嘆いていました」

「だから、なんだ?」

「僕は、彼女を助けたい」

「助けたい、か。では聞こう。お前は、どのようにしてあの娘を助けるというのか」

「……それは」

「口先だけか。しかしな、それもまた仕方なきことだ。お前には、いや、持たぬ人間には何も出来ぬのだからな」

「……人には手出しできない。でも」

「聞き分けろ。あの藁人形が見えるお前は普通とは違うのだろう。だが、見えるくらいではどうにもならぬ」

「でも、何か方法は――」

「ない! くれぐれも言うぞ、あれに触れてはならない。あれを無理に壊せば面倒なことになる。事態はもっとややこしくなる。大勢の者が死ぬかも知れない」


 手を出すな、念を押して仙里は姿を眩ませた。

 境内に一人取り残されて俯く。呼びかけても銀杏の木から少女が出てくることはなかった。


 藁人形が呪いの事件と関連していたことを知った。だが、同時に事態は思うほど簡単ではないことも理解させられてしまった。為す術がなかった。何も出来ないどころか、軽々しく事態を悪化させるところだった。不吉な予兆を前にハルは歯痒さを覚えた。


 ――それでも、

 怖じ気づくことはない。死は怖くない。今でも家族が死んだあの日に一緒に死ねていたならどれほど良かったかと思っているほどだ。そんな自分だからこそ躊躇なく踏み込んでいける。

 呪いに殺されようとしている者と、呪う側で何かを訴える者、そこには仙里が関わる何かがある。

 ハルは決意する。助けるための力を持たない自分に何が出来るのかは分からない。けれども諦めない。殺させないために、何をどうすればいいのかを調べなくてはならない。ハルは藁人形をじっと見つめた。

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