第3話 雨中の少女
-3-
歳は自分とさほど変わりがないようだ。いや、一直線に切り揃えられている前髪のせいか幼くも見える。どこか不思議を纏う少女は、あどけなさを見せながら妖艶さも持ち合わせていた。
天から降りしきる雨、青い線に打たれる少女はずぶ濡れだった。
物憂げな少女の着崩れしている着物の襟は今にも肩からずり落ちそうになっており、はだけて露わになった白い肌は水に濡れて艶めかしい。白地の着物の中に咲く濃い紫色の花が物悲しい佇まいを更に儚げに見せていた。
不意に目の前に現れた少女。
濡れて重くなった長い黒髪は光の加減であろうか銀色にも見える。顔を見ると虚ろに半分だけ開いた瞼の下にエメラルドの輝きを覗かせていた。
「美しい……」
粟立つ肌。少女を見た直後、痺れるような感覚が足の先から頭まで秒もかからずに掛け上がった。身体に感じている苦痛はそのままであったが、心は鮮明にその美を捉えていた。目が離せなかった。恐怖感を抱きながら陶酔するという奇妙な感覚。回転する思考は同時に考えた。見ているその場所には、先程までは確かに誰もいなかったはずなのにと。
少女との距離は僅かに十メートル程であったが、彼女は全くハルには気付いていないというふうで、こちらの方を見向きもしない。彼女は、まるでそれ以外は目に入らないといった感じで一心に銀杏の巨木を見つめていた。ハルは呆然としながらその光景に見惚れた。震えていた。心が痺れていた。言葉も失っていた。
この時ハルは、昼休みに出会った猫のことを思い出していた。
――僕はあの美猫が好きだ!
強烈に言葉がよぎる。胸の内に激しく思いが込み上げる。
好きだ! と思った。強く、強く求めた。
少女を目の前にして何故に美猫のことを考えているのか分からなかった。……分からなかったのだが、衝動のまま駆け出した。
望みはただ一つ。この少女と言葉を交わしたい。あの時は無視された。せめてこの美猫の如き少女とは話をしてみたい。
少女の背中へと近づいたハルは鞄の中からタオルを取り出して声を掛けた。だがしかし、そこで不思議なことが起こる。声が出せなかった。口をパクパクさせるだけで音が出てこない。
ハルは悔しさに唇を噛み強く拳を握った。
話がしたい。この機を逃してなるものか。
口を固く結んで腹の底に気合いを溜める。そうしてハルは思いを一気に吐き出した。
「コ、コンニチハッ!」
口から声が出た。しかし返事はなかった。
「あの……、あの、君!」
大きな声で話し掛けるが少女は振り向きもしない。
「聞こえていますか? ……き、こ、え、て、ま、す、か!」
殊更に大きな声で呼びかける。それでも少女はハルのことなど全く意に介さなかった。気が付かないのか、それともわざと無視しているのか。
――これではあの時と全く同じシチュエーションではないか!
美猫との邂逅と少女との出会いに重なりを覚え悔しさが込み上げる。
――負けない! こうなれば意地だ。必ずや美猫を振り向かせてみせる。ハルは、すっかりと少女に美猫の姿を投影して見ていた。
「あ、あの……風邪を引いちゃいますよ」
決意を更にして再び話しかける。それでも無視をされた。
「よ、よかったら、これを使って下さい」
タオルを差し出し頭を下げるも知らぬ顔であった。
「お、お願いします。お願いしますから、こっちを向いてください!」
その姿は、もはや情けない姿を通り越して完全にダメ男の体であった。地面に膝を落とし両手をつく。項垂れる首、もう駄目なのかと諦め始めたときだった。ようやく少女が振り向いた。
――え?
肩越しに視線を向ける少女の顔は濡れていた。雨のせいではない。
ハルは硬直する身体をそのままに少女を見つめた。
正体も分からない。流す涙のわけも知らない。これが恋の出会いというものなのか、運命というものなのかも分からなかった。それでも魂ごと引き寄せられているような気がしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます