第5話

——。


朝霧あさぎり秋桜コスモスの雫……ですか」


夜のとばりが降り足りて、暫くの時を共に過ごすピーターが私の背後でそう呟く。


「ふふ、そんなものが薬になるなど信じられませんか?」


暗がりの向こうで声を殺した機械の馬は、ピーターと共に私を見つめて。

夜の最中とて広き平原、この先へ行かせてなるかと足首を絡め取ろうと泣く雑草。


「ああ、いえ……ガーベラ殿を信用していない訳では」


そんな物らを気に留めず、ピーターの信仰に愉快さを感じる私に彼はどうやら嫌味を感じてしまったらしい。嫌疑を掛ける事を良しとせず、無知から来る興味を装う仕草が愛らしい。


屈強な体つきの軍人が臆病だこと。


「分かっておりますよ。魔法使いの知識など、科学の発展している騎士の国の人には世迷言をと理解しがたい物ばかりだと心得ておりますので」


世迷言では無いか、そうはっきりと尋ねられたら、理屈の一つでも返したものを。きっと彼は私が狂信的な宣教師に変わることを恐れたのだろう。


「申し訳ありません……それに加えて、この平原には秋桜など何処にも見当たらなかったと思ったものですから」


だが、安堵して謝罪の意を言葉にした後の彼は、私から言質を手に入れたのも相まって実にハッキリ私の行動に疑義を示す。


「そうですね。確かに普通の秋桜はこの平原に存在しません。それでも、もうすぐ来る夜明け前——彼は誰時に秋桜は咲き誇り、虹色の朝露で平原を彩るので御座いますよ」


そう、この季節——この平原には雑草しか生えていない。

それが事実で真実でもある。


「さて——この辺りで焚火をして夜明けを待つ事にしましょうか、ピーター様」


科学ではいまだ解明されていない魔法という奇跡が存在しなければ。或いは、花という概念そのものの認識の幅を常識内に留めていればの些末な話。


「……もしや、その青い枝を燃やす事で何かの現象を引き起こすのでしょうか」


世界の景色は、見方の角度や位置で変わるという事を世俗の人は忘れがち。


「ふふ、サプライズはお嫌い?」


彼にそれを思い出させたのは恐らく、私ではなく私が抱えるように持っていた透き通るように青い結晶のような枝の束。


「この香木は、魔法使いの国を挟んだ向こう側……とある森の民の祭事に使われる代物で、燃やすと多量の魔力を含んだ煙を発するのです」


駄目にされた手品の腹いせのように青い枝の束を雑草の少ない地面に置いて、枝の一本をパキリと折り抜くささやかな演出。


「なるほど、それが空気中の霧と結合して朝焼けの熱を受けることで何かしらの化学変化を起こすという訳ですね」


「ふふふ……武骨な言い回しで御座います。そのような口振りでは将来の妻はいささかつまらぬ余生になりかねませんよ」


そんな些細な嫌がらせにも気付かぬ鈍感な彼に、もっと分かり易い悪態を吐いて。

私は青い枝の束を焚火にするべく積み上げていく。


すると——、

「……私に、そのようなお相手などは」


続いて彼も私に倣うように束を焚き木に積み替えながら。こと切なげに言葉を漏らす。


などは、の後は何であろうか女を惑わす伊達男。


「——……ピーター様ほどの素敵な殿方なら憧れていらっしゃる淑女も多いと思いますけれど」


「相手を間違えなければ結婚は良いものですよ。少し考えてみては?」


ここに来るまでの間に私たちの家に寄り、青い枝と共に持ってきていた鞄の中から着火剤と燐寸マッチ棒を取り出す合間に、世辞と浮世をたたえる言葉を。


けれど、楽しげに微笑んだ私を彼は寂しそうに見つめて。


「……今のガーベラ殿の陰を見て、そう思える者は多くはありますまい」


「私も戦場に身を置き、いつ死ぬとも分からぬ身。もし仮に愛する者が今のガーベラ殿のように落ち込んでしまうかと思うと、居た堪れません」


——余計な所ばかり正直なこと。


「……そんなものは簡単な話で御座います。死ななければよいだけなのですから」


「それに魔法使いの国とは休戦、少なくとも暫くは平穏に恋や愛を紡ぐことも出来ましょう」


ピクリと動いた指先の語らう言葉に嘘は無く、私は僅かに心を揺らして、それでも尚と揺らがぬ心もまた示す。


結婚は——とても幸せな事だった、と。


「人の生には限りがあるのですから、ささやかな平穏——楽しむべきかと思います」


脳裏に浮かぶ光景は、あの人と過ごしてきた時間。紡いできた思い出。


例え、あの人が世を去ろうと二度と私の前に現れないとしても、決して消えはしない——あの人がくれた大切なモノ。


私は微笑んだ。悲しみはあっても後悔はない。


中々に火のつかない燐寸棒すらも、今は何処か愛おしいのは何故だろうか。

そんな私の姿が、きっとピーターには強がりに見えて、滑稽に見えていたのかもしれない。


「——そう……ですね。しかし、それは私にとって、とても難しい事……なのかもしれません」


「火は私が付けても宜しいでしょうか、ガーベラ殿」


それらを述べて、そっと彼は私に片掌を差し伸べる。


「ええ、問題はありませんよ」


救いなど求めてはいなかったが、やぶさかでも無し。あの人について語らえる貴方に感謝をそう込めて、差し伸べられた掌を両手で覆うように包み、手渡したる燐寸マッチ箱。


「もし万が一にも、貴女の肌に火種が移り——火傷しては大変な事ですから」

「……ありがとう、ピーター様」


つれなく彼は瞼を閉じて私の細やかな抱擁から逃げ出してしまったのだけど、それでも不快は何もなく。



ピーターは、いとも容易く火を灯し、揺れる焔を瞳に映した。

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