第4話


「——そこの医者殿。確か、ガーベラと申したか」


降りていた帳を少し天蓋に戻し、患者の下に歩み寄った私に王は語り掛ける。


「はい。正確に申しますれば薬師で御座います。そして——戦地に赴き戦死を遂げた騎士イグニスの妻に当たりましょうか」


王の手首を少し持ち上げ、熱と症状を確かめる片手間に言葉を返す私。王は——熱病に苛まれ、酷く疲弊をしていて、やつれ具合といえば老化が原因の物を含めても、数日はマトモに食事を採っていないのだろう肌艶である。


「……ガーベラ殿」


背後でピーターが私を諫めるように哀しそうに小言を吐いた。


分かっている。国の長たる騎士王が、末端の駒の名前を覚えて居ようはずも無し。


百や二百で収まらぬ生贄の名など記憶しているはずも無し。

解っている。


けれど——

「イグニス……もしや、あの精悍な赤毛の騎士の妻か」

「知って——居られたのですか」


王の口から放たれる生贄などではない数などではない人の名を聞けば、嫌でも瞳の煌きが揺れて目頭に込み上がるものを感じてしまう。


「慰問で見掛けた……言葉を交わしたこともある。戦の似合わぬ男であった。休息地で兵士の中心で友と語らい、酒を飲み合い、笑っておるのがとてもよく似合う男であった……」


そうだ。そうなのだ。イグニスは、あの人は戦いで人を斬るのは似合わない。


「そうか……またもこの国は惜しい男を無くしたのだな」


王の手首を握りながら震える心に映るのは赤いガーベラを得気に魅せつける不器用なアナタの顔。ああ、イグニス。心が千切れてしまいそう。


「——……病に伏して考えるは、これまでの後悔。時が有り余ると思っておった時には省みもしなかった事ばかりだ」


「すまぬ。イグニスの妻よ」


そんな私の重い想いを看破しているが如く、騎士たる王は私に声を掛けた。


「「……」」

返せる言葉があろうものか、あの人の名を覚え、後悔に苛まれ、切実に国を憂い、刃を受け入れようという顔つきの男に殺してやるなど何ゆえに宣えるという。


私は、握っていた王の手首の力を弱めて。


「何をおっしゃいますのやら、騎士王様の時は、まだ有り余るほどに御座いますよ」


「……御身を犯す呪いはヤマミツキと呼ばれる代物に御座います」


手首に跡が残らぬように優しく撫でて病を告げる。

きっと上手に、微笑みを作れているに違いない。


「このマダラの肌模様、発熱、産まれ出でて山が三月分ほど色合いを変える頃には死に至る短き生を持つ蟲の毒を用いた呪い。他人にうつる事もありません」


話を逸らす為に、つらつら述べる博識の、不安の色は白衣の天使。穢れたる黒色マダラの紋様を、愛しき我が子を寝かしつけるが如くと謳う。


「——では、治す事が出来るのでしょうか」


背後のピーターから放たれる猜疑心が些かの救い。


「ええ、少々と厄介な材料と時間が必要なのだけれど」


ベッドに横たわる王の傍らから離れ、私は身の振る舞いを清らかに姿勢正しく立ち上がり、ピーターへと振り返る。


「どのような物が必要で? 私が直ぐにでも採って参りましょう」


そこには、私を真っすぐに見つめていると思われるピーターの真摯な眼差し。力仕事は任せておけと言わんばかりの自信溢れる佇まい。


けれど私は、瞼を閉じた。


「いいえ、必要な物は私がこの眼で見極めねばならぬ繊細な素材ばかり。ピーター様にお出来る事と不躾に申しますれば私を運ぶ馬となる事くらいでしょう」


ピーターに向けて小さく首を振り、力技ではどうにもならぬと暗に示しつつ言葉も加える。


すると、ピーターは私の冷徹な突き放しに少し動揺したようであった。


「……出来得ることが、それだけだとしても身命を賭してお手伝いをさせて頂きたい」


それでも果敢に、切実に彼は私を見つめ直して。


「では、参りましょうか」


「陛下、お部屋の空気を入れ替えたら温かくして、ゆっくりとお休みください」


私は逃げるようにピーターから顔を逸らし、王の身を預かるベッドの脇に傅いてひと時の別れの言葉を紡ぎ始める。


「食欲がなくとも摩り下ろした果実や酒ではない飲み物を飲み、体力と鋭気を養うように心がけて頂ければ必ずや私めやピーターが必ず御身をお救い致します故」


そして、それらを受け——王は言った


「——うむ、頼もう。老い先短いとは言えど、私の言葉と国の為にと失われた命に報いる時は幾らあっても足りぬのだから。早々に諦めるわけにも……行かぬ」


瞼を閉じた老兵は、業を背負いて尚も生きるとそう言った。


「……お休みになられました。では、参りましょうかピーター様」

「——はい。直ちに用意を致します」



——騎士王よ。私は貴女をお救いしましょう。他の誰でもない、あの人が愛した国が為に。


例えこの国を、私が幾ら恨んでいようとも。

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