第7話
「あれ? レイさん、今日は早いですね」
「ん、まぁな」
ネイタンがうちにやって来て早くも1週間が経ったがオレらの関係に大きな変化が起きた……なんてことはない。
オレが動画を撮ってる間にネイタンはオレの身の回りの家事をして、オレが動画を撮ってない休憩中にネイタンのプレイを見ては簡単な指摘をしてやる。
ああ、強いて変わったことを挙げるとすれば一昨日ネイタンとのコラボ動画を2本撮ったな。さすがにアレだけ飯やら何やら世話になっている上でオファーを蹴るというのは人としてどうかと思った節もある。
内容は特段当たり障りもなく適当にネットから漁ってきたゲームを背景にした雑談動画で、再生数的にはうま味もなければ、損でもない。動画投稿後に軽く『Ray ネイタン』で
ネット社会の現代でも男尊女卑の風潮は強いらしく、内容は『プロ(笑)が登録者目当てでRayとコラボしてらぁ』みたいなのが大半。まったくこれだからド偏見しか持ってないイキリキッズは困る。
だが大抵この手の輩はオレが忠告の意味で反応してやったのを「自分が言ったのは正論だったんだ」とか「リプもらえた!」とか見当違いなことを考え出すから、結局のところ無視しておくのが正しい。
と、そんなことを思い出しながらオレは久しく開けてなかったクローゼットの中身を物色し適当なものを見繕う。今日は久しぶりに外に出る用事ができたのだ。
「お出かけですか?」
「まぁそんなとこ。昼は食べてくるから用意しなくて……」
「どうしたんですか?」
言葉を止めたオレを不思議に思ってたかネイタンがこちらの顔を覗き込んでくる。キラキラとしたカラコンの入った紅い目は無垢な輝きを放っていて、物理的にも精神的に眩しい。
ネイタンと目を合わせること数十秒。再び言の葉を紡ぐ。
「お前も来るか?」
その誘いに対する返答は聞くまでもないもので、あまりに若々しく元気の良い声は夜行性のオレには少々刺激が強かった。
*********
ネイタンを伴って最寄り駅から都心に向かう電車に揺られること20分ほど。
降車し駅を出ると目の前に飛び込んできた往来にあてられ軽く眩暈を覚えた。
時刻は午前10時過ぎ。通勤、通学ラッシュのピークを過ぎても絶えぬ人ごみなのは、今日が土曜のせいなのだろう。職業柄、毎日代り映えのない自宅で動画を撮っては、飯は外食もせずウーバーで済ませてたものだから曜日の感覚が消え失せちまってる。
それにしても動画配信、それもゲーム実況なんてやってる根暗をこんなところに呼び出すとは。自然と愚痴が零れる。
「あいつ、なんでこんな立地の所にしたんだよ……」
「あいつってどなたですか?」
「調子乗ってこんなとこに一等地を構えた同業者」
オレの答えを聞いてもなお合点がいってないような顔をするネイタンを無視して、歩き出す。
「行くぞ」
「は、はい!」
前もって送られていた地図を元に歩を進める。聞いたところ駅から徒歩5分らしいが如何せんあまり知らなに街だ。そう簡単には見つからないだろうな。
後ろにネイタンがついてきているか確認がてら協力を頼むことにする。
「『ARGO』ってカフェ探してくんねーか。赤が特徴らしいんだが」
「アルゴー? どこかで聞いたようなぁ……えっと――」
「とりあえず頼む」
言ってまた携帯の地図と周りの景色を見比べていると、ネイタンが袖を引っ張て来た。
「レイさんレイさん、あのお店じゃないですか」
「んー、あったか?」
ネイタンが指さしていたのは今オレらが歩いてる通りの反対側の一角。赤い木材を基調としたシックな店風。予想以上に大きな店の外にはテラス席も用意されていて、ドデカいガラス窓をふんだんに使って陽光を入れた店内も落ち着いた印象を受ける。
入口には「Coming Soon」と筆記体で綴られたホワイトボードが掛けられている。
通りを渡って店前にやって来たところで丁度、店の扉が内側から開いた。出てきたのはTシャツ短パンで中々にガタイの良い金髪の男。強面の男はオレと目を合わせると……破顔一笑。
「レイさんラッシャーイ。そろそろ来ると思ってたんすよー」
「オープンおめでとさん。コレ大したもんじゃないけど酒。つーか思ってたよりデカいし大通りに建ってるから驚いたわ」
「いやぁ、どうせやるなら一等地狙いたいじゃないすか。特にWeTuberなんてみんな目立ちたがりなんですし」
タハハハと豪快に笑った男……ゲーム実況者『トルエ』オレと簡単な談笑を交わすと、隣にいるネイタンへと視線が映した。
「あれっ君って――――」
「あわわわわわわわ……」
トルエとネイタンだとかなり身長がある。巨漢のトルエに覗き込まれるように顔を近づけられて怖いのか、或いは登録者50万越えの大物に縮み上がっているのか。はたまたそのどちらもなのか借りてきた猫の如く大人しくしている。初めてオレの家に突って来た時のアクティブさどこにいったのやら鳴りを潜めていた。
間に入って助け舟を出してやるべきか。
そんな思案をした矢先トルエがパンッ! と手を合わせた。
「ネイタンじゃん! 動画よく観てるよー。なになにレイさん。オープン記念のサプライズで呼んでくれたんすか? あ、もしかしてレイさんのコレ?」
「なわけあるか、お前オレの守備範囲知ってるだろ。ガキは範囲外だよ。やめろその小指」
「えー、じゃあ2人の関係は何なんすか?」
「んー……」
オレとネイタンの関係か。そんなの決まっている。
2人揃って答える。
「コラボ相手」「一緒に大会に出てもらうためにお世話してます!」
全然揃ってなかった。
ネイタンの言っていることも間違ってはない。だが正鵠を射ているかと問われれば答えは否だ。
しかも悲しいことに大体の馬鹿は無難な先日より虚飾された誤情報に喰いつく。そして動画投稿者とは往々にしてとびきりの馬鹿ばっかである。
「ちょっとレイさーん。お世話って、俺レイさんはドMかと思ってたんですけどホントは年下同業者を権力で屈服させるとか、そーいう趣味だったんすかぁ?」
「アホ。そんな趣味ねーよ。むしろ身動きできない状態に拘束されてヒールで踏まれながらゴミを見る目で罵られる方が良いわ」
「うっわ、都会のど真ん中でそんなはずいこと言いうのは、さすがに引くんすけど」
「WeTuberなんて存在そのものが痴態なんだ。今さら性癖暴露することくらいで慌てるか」
『私の仕事は自分の好きなことをやる仕事』なんてあたかも夢のあるようでガキ受けする大そうな文句があるが、安定な職にもつかず中高大学まで積み上げてきた学歴を蹴飛ばし、毎日毎日不規則な生活を送りながらただひたすらにカメラに向かって笑って怒って泣いて……。そんな傍にいる方がヒステリックを起こしそうな光景のどこに夢があるという?
しかもWeTuberは一目見たくらいで分からるよな仕事でもない故、世間的に見ても印象はあまりよろしくない。
当然ごく一般的な企業勤めの会社員より出会いが少なく、成功したとしても金だけ持ってる独身貴族。動画配信に人生全
マジでこの上ない親泣かせな職業だよ。親父、お袋ごめんなさい。
「あのあのレイさん」
「どうした?」
街中でかれこれ数年顔を見てない両親に懺悔していると、無垢な声によって現実に引き戻される。
トルエからネイタンの方へ視線を移すとネイタンはおずおずと紅い色の瞳でオレを見上げ言った。
「アタシもレイさんのこと踏み踏みした方が良いですか」
「はぁ?」
「だ、だってレイさんはそーいうのが好きって……」
「そうそうネイタン。この人実際は超ド級の豚野郎だからちゃんと踏んであげた方が良いから。あ、でもオレはもっとノーマルで純愛な――」
「もう訂正するのもメンドくせー……」
「ちぇ、レイさんノリ悪いっすよ?」
「悪くって結構」
「そんじゃまぁ気直して取り直してうちの店に入ってくださいよ」
これ以上立ち話を続けてもトルエがネイタンに余計なことを吹き込むだけ。強引ではあるが会話を切り上げる。
トルエは色々と軽いやつだが、これでも礼儀正しく空気の読める男だ。金髪ゴリゴリのDQNみたいな見た目だがな。
オレが本気面倒臭がっているのを察して店内へ通される。
チリーンと涼やかな音を耳に聞きながら入店するとスタッフと思しき数人がこちらを見た。
「オーナー」
その中で1人の女だやって来るが、トルエは片手で「いい」と制して自らオレらをテーブル席に案内すると、オレとネイタンの向かい側の長椅子へと腰掛けた。
一息ついたところでスタッフが席にお冷を持ってくる。
「言ってたやつだけど2人分用意できるかな?」
「はい、さっき確認したので食材はありますよ」
「OK。じゃあ2人分頼むよ。俺はアイスコーヒーで。あ、レイさんとネイタン甘いの大丈夫すか?」
「だだだだ、大丈夫です!」
「オレも……あ、けどコーヒーのブラックも頼むわ」
質問に答えるとスタッフは変わらな笑みを浮かべてカウンター席の向かいにある厨房へと消えていった。
「もう板についてるじゃんか」
「いやいやいや、まだまだっすよ。ほら、俺って撮影のMCはよくやるけどアレはあくまで対等な立場であって、こっちは金が関わる以上ちゃんとした上下関係があるっていうか?」
「それでもあそこのスタッフ全員お前に怯えてねーし、好かれてるっぽいならいいだろ」
トルエはオレとはまた違った方法でゲーム実況者として地位を確立した男の1人だ。
こいつの動画はとにかくコラボが多い。
日本で1番コラボ動画出してるんじゃねぇの? ってくらい多い。
ほとんどが同じ事務所所属のWeTuberであるがとに他の実況者と撮った動画が多く、少なく見積もってもトルエ単体の動画の3倍はあるだろう。
さらにまだ発展途である奴ら……いわば趣味で動画投稿する奴らとのコラボに躊躇がない。
それはトルエ自身、先見の明に長けているからこそのスタイル。こいつはとにかくこれから伸びるであろう若手の発掘が上手い。しかも全く
つまりこいつがネイタンのことを知っていたということは……。
「あのー……どうしてトルエさんがアタシなんかのことを?」
「だって狙ってたもん」
「狙ってって!? アタシを!?」
だろうよ。
「まぁ単純に俺、ネイタンの動画好きなんだったいうのもあんだけどね。あの初々しぃ反応ってか、大してゲーム上手くないけどリアクションは満天ところが好きでさ」
「上手くない……」
「トルエ、それ地雷だぞ」
「ヤッベ。いや、ごめんねネイタン。けどゲーム実況者は別にゲームが下手でも」
「ぐす………」
と、さらに地雷を踏み抜くトルエと半泣きのネイタンをどうしたものか。おそらくそこでスタッフがドリンクを運んできて空気がリセットされていなかったら地獄だったろうに。いくつになろうと女が泣いた時の自分は悪くないのに襲ってくる罪悪感はヤバイ。
ともあれどうにか話題は店のドリンク、また追って給仕された軽食のパンケーキの話へと変化していき和やかな雰囲気のまま時間が過ぎていった。
が、あいにく楽しく食事して終了というわけにはいかなく。
「それで今さらっすけど」
オレがブラックコーヒーの注がれたカップに口を付けたタイミングでトルエが口を開いた。
「レイさんとネイタンってどこで知り合ったんすか? なんかさっき大会がどうのって」
「それは――」
「いや、オレが話すから。そうだな……どこから話したものか」
少し考えてみるが、結局最初っから話した方が楽か。
オレはネイタンが家に突って来たことから、直近の
オレがオファーを断った理由もコラボやらタイアップなどを多くこなすトルエなら言わずもがな理解してくれる。
「んじゃ、俺がこんなけ出すっすよ」
「あ?」
説明を聞き終えたトルエが開口一番、両手をパッと広げた。
そのハンドサインが何を指すのかは直ぐにわかる。
「お前マジで言ってんの?」
「当たり前じゃないっすか。オレがネイタンの代わりにレイさんに10万出すっす」
「じゅ、じゅじゅ10万!?」
「さっすがネイタン。ナイスリアクション」
目ん玉が飛び出る勢いの渾身の驚愕を表すネイタンと、クハッと笑うトルエ。
10万……親泣かせの不安定な職だが腐っても夢がある、一定の地位を確立した奴らならそう驚くような額ではない。が、だからといって決して安いわけでもなく、はっきり言えば無関係にも等しいのにも関わらず出す言い出したトルエの真意が読めない。こんなことに10万使うなら全部募金して世のためになることしろよ。
「で、お前の魂胆は?」
「いやぁ魂胆なんて酷いっすよー。まぁ3割くらいは真面目に投資っすね。オレもネイタンとコラボしたいんで今のうちに恩売って今後とも仲良くしてくれたらなって期待を込めて」
「アタシなんかでよければぜぜ是非お願いします」
「3割真面目って……じゃあ残りの7割は下心じゃねぇかよ。足長おじさん気取りは良いから
「そんなの決まってるじゃないっすか」
ニカッとトルエは白い歯を見せて笑う。刹那、嫌な……問うたことを後悔するような悪寒が背筋を伝った。
「オレは
そうだった。
初めて会った時にこいつの言葉がから出た言葉もソレだった。
「まさかレイさん。今さら金積まれてもやっぱ嫌なんて言わないっすよね? だってネイタンにあんなことやこんなことヤらせて、ちょっとコラボするだけなんて……そんなみみっちいこと――」
「家事任せてただけっつてんだろ! ったく……」
話についていけてないであろう。隣を窺うとネイタンはオレとトルエを交互に見ては「え? え?」と言葉にならない声を零すばかりであった。
瞼を降ろし考えを整理する。
しばしの熟考の末、オレは溜め息とともに改めて答えを吐き出す。
「…………わかったよ。出てやる、出ればいいんだろ」
「さっすがレイさん。暴れてきちゃてくださいレイさん!」
「えと……それはどういう?」
「レイさんがネイタンと大会出てくれるってさ」
「ほ、本当ですか!?」
「ホントホント」
「ヤッター!」
ネイタンとトルエの野郎……人の気も知らないでハイタッチを交わし喜びを分かち合っていやがる。オレとしては迷惑極まりない。
が、トルエの言った通り1度提示した条件を変更するというのはオレのポリシーに反する。
――――ルールは平等でなくてはならない、のだから。
そのことはオレは今までの人生で嫌というほど痛感させられている。
そんなわけで、誠に遺憾ながらオレは数年ぶりにeスポーツの世界へと足を踏み入れる羽目になってしまった。
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