第2話


 ――――動画投稿者。


 それは比較的最近……少なくとも21世紀から登場し始めた職業だ。

 急速な技術進化に伴い、現在では老若男女問わず親しまれるようになった娯楽の担い手。

 膨大な情報の海、ネットに投稿される動画の創作者クリエイター

 あるクリエイターは大金を使い夢の言うなチャレンジを行う。

 あるクリエイターは日記の如く自身の料理や運動風景を流す。

 またあるクリエイターは世間とは反対の主張を述べ注目を集める。

 そしてあるクリエイターはこれまた新しい娯楽、ゲームの実況プレイを投稿する。

 平々凡々な生活の中で手軽に刺激を与えてくれるその仕事に子どもが興味を抱くのは自明の理と言っても過言ではない。

 いつか見た学生の将来なりたい職業ランキングにも名を連ねるほどの夢と憧れが詰まった職業。それが動画投稿者だ。

 

「俺らに憧れてくれるキッズが増えてくれるのは嬉しいっすけど、さすがに増え過ぎだと思うんすよねー」

「機材関係はそれぞれの自己満みたいなもんだからしょうがないでしょ。ぶっちゃけ機材揃えなくても携帯で撮って編集すれば動画は作れるし、クオリティに拘らなきゃハードルは低いから」

「なんかそう言われると何十万って金使って、カメラにマイクにPCにって拘ってる俺らが馬鹿みたいっすね」

「そりゃこんな収入が不安定な仕事を続けてんだから正気の沙汰じゃないでしょ」

「フハハハハ! そりゃそうだ」


 適当に画面の中のアバターを操りつつ通話相手との談笑に花を咲かせる。

 これだけ聞けばただのお遊びなのだがこれがオレの仕事だ。通話相手は以前から予定していたコラボ相手。

 今日の撮影は久しぶりのコラボ。相手とは初対面ではなく、もう何度もコラボしている気心知れた中なので勝手知ったる気持ちでいられる。そう、昼から撮影を始める予定だったが、オレが寝坊したせいで夕方4時から撮り始めても笑って済ましてくれるくらいには仲が良い。


「けど最近じゃテレビ界隈の芸能人たちもWeTube始めて、元からいた俺らが霞んでるように思えません? ほらあの人らってアカウント作ったって呟くだけで盾もらえるレベルまで登録者増えますし」

「オレはむしろ芸能人WeTuberの方がハードモードな気するよ?」

「ほう、その心は?」

「あーいう人らって下手に名前が売れてる分、高クオリティが求められるし中々継続的に投稿できないと思うんだよね。WeTubeウィーチューブで一番大切なのはお忘れられないこと。短かろうがクソクオリティだろうがちゃんと投稿し続けなくちゃいけんいんだよ」

「さすがレイさん。ワラ動から実況しているトップWeTuberウィーチューバ―の言葉は違うなぁ!」

「だろ?」

「こりゃタイトルは『トップ実況者Ray、芸能人は眼中にない』に決定っすね」

「おいやめろ。ワンチャンオレが燃えちゃうだろ」


 こいつとのコラボはいつもこんな感じ。

 お互いこの業界ではそれなりに名が知れているので企画もクソもない雑談動画でも十分視聴数数字が取れる。


「おっ、N方面から撃ってきたんで気をつけて! おおお!? あいつらこの距離からAR当ててくんのヤバくね!?」


 不意に悲鳴が上がった。

 オレたちが雑談の背景に使うためにやっているゲームはよくあるバトロワ。ゲームを開始してからそれなりに時間も経過しているので安置は狭まり残り人数も開始時の10分の1も残っていない。

 必然的に敵との遭遇率は高まり、まさに今こちらの位置が敵チームにばれてしまったようだ。

 驚きようからしてかなり遠距離から撃たれたのだろう。まずは最悪の可能性を考えながらオレは問う。


「もしかしてチーターCの者?」

「グレーゾーンっすね……。立ち回りも上手いしただのガチ勢かも。とりあえず迂回して安置に――」

「ごめん、スナイパーライフルSRで抜かれたわ」

「レーイさーん!」

 

 それから間もなくコラボ相手もやられ、上手いオチができたので録画を止める。あとはこのデータを編集に回せば今日の仕事は終わりだ。

 

「レイさんおつかっれすー」

「おつー、トルエはこれからなんかあんの?」

「今日はこれだけっすね。あ、あとで明日出す動画のサムネ作んないとだけど」

「自分でサムネ作るとか偉いね。俺も偶に作るけど最近は編集に丸投げだわ」

「そりゃ俺なんて天下のレイさんと比べたら収入低いんだから節約しねーとヤバいっすよ」


 などと笑いながら謙遜してるけど、こいつの登録者は業界の中でもかなり上の方。オレの見立てでは年内には80万登録者サブに手がかかるかもしれないと踏んでいる。

 

「どこの世界に金ないって都内にデカいカフェ建てる奴がいるんだよ」

「いやぁ……照れるなぁ。そうそう! もうすぐオープンするんでレイさんも来てくださいよ」

「気が向いたらね。じゃあオレ、ウーバー頼んでるから」

「それじゃ乙です」


 プツンっという音を最後に通話が切れた。通話アプリを起動していた携帯を見やれば2時間にも及ぶ通話時間が表示されている。

 ヘッドホンを外し通話アプリを落とした携帯を操作する。

 撮影中にササッと頼んでおいたフード配達サービスのページを開くと、もうすぐ到着するとのこと。

 と、その時。


 ――ピーンポーン。


 インターホンが鳴った。

 

「ジャストだな」

 

 長時間腰掛けていたゲーミングチェアから立ち上がり、簡単に自分の服装を確認する。

 どの動画投稿者全員が全員そうだとは一概に言えないが、特に自分の顔や姿を映すことのないゲーム実況者は身なりが適当になりがちだ。なんせプレーと声さえ問題なければ服を来てなかろうが、大きいのを漏らしていようが視聴者からはわかりっこないのだから。いや、さすがに大は漏らしたことないけど……。

 1人暮らしを始めて早10数年。1人でボケて1人で突っ込むという悲しみしか生まない行為にも慣れた。

 

「シャツ着てる、ズボンはいてる……髪の毛はー……大丈夫だろ」


 ピーンポーン。ピーンポーン。

 急かすように追加されるインターホン。こりゃ頭悪すぎてロクな大学も入れず、とりあえず親に働けなどと言われて最近始めたばかりのバイトだろうな。

 スラスラと脳内で顔すら見えぬ相手への悪態が紡がれるのは、常日頃からヒール悪役に徹している証なのだろう。

 

「はいはい、今出ますんで」


 第3波サードウェーブに差し掛かったインターホンの音に答え、寝癖が酷い頭に手櫛を差しながら借りているマンションの短い廊下を歩く。

 

「ふぁーい、ご苦労さんです」


 極め付けに欠伸混じりの声と共に玄関を開けた。


「っ! 本物のRayさんですよね!?」

「………………あ?」


 不意な出来事に間抜けな面から間抜けな声が出た。

 玄関で待ち構えていたのはオレが注文したファストフードでも、イライラとした顔を隠そうともしない配達員の顔でもなかった。

 女だ。

 女……女性というには青く、少女というには熟している丁度大人と子どもの中間にいるような。とりあえず生物学的に女かメスと表現しとく。失礼過ぎるだろオレ。

 だがその思考も仕方のないこと。オレの耳はたしかに聞いた。


「ちょっと……君、今なんて?」

「えあ!? ごごごご、ごめんなさい! ほっ、本物のレイさんを前にしてテンション上がっちゃって……。これはアレですよね!? 空気読めない罪で追放されちゃいますよね!? くうううううぅぅぅぅぅ! 生追放見れるの嬉しいけど、やだなぁ……っ!」

「………………」


 嫌な予想が的中したことと、見知らぬ女の怖いくらい高いテンションに絶句を禁じえない。 

 続いて襲ってくるついにやっちまった……という落胆。

 この女はオレを一目見た瞬間『Ray』と言った。つまりオレを知っているかつ、ある程度確信を持ってやって来たのだ。

 動画投稿者だけに限らず芸能やら作家やら何かの界隈で有名になった連中が恐れること……。

 ――――身バレ。

 本名や住所といった個人情報の流出はこの情報化社会で最も危険なことの1つ。よくある話だと張り紙とか家凸、タチの悪い奴にバレれば拡散され更に被害が大きくなること間違いなし! 

 だから無駄に長いこと業界に居座り数多の身バレした動画投稿者ウィーチューバーたちの末路を見てきたオレの行動は迅速だった。


「えっとー……れ、レイさん? ってどなたですか?」


 すっとボケる。

 

「もーまたまたー」

「いやホント。いきなり変なこと言われても僕困るんですけど」

「僕!? ふふっ、レイさんの貴重な『僕』頂きました! あ、とボケても無駄ですよ。アタシ、レイさんの実写動画もチュイッターも他のSNSも全部通知音で見てるので間違いありません!」

「それを僕に言われましても……」

 

 相手から言葉は適当に流してこちらからは一切ボロを出さない。常識のある人間なら確証がない限り強引なことはしでかさないだろうし、ここは有耶無耶にしてお引き取り願おう。つかオレのSNS全部監視してるとかガチ勢リスナーだなおい。

 その後も目の前の女はオレがレイだと言い張るが全て否定して一切隙を作らない。しかし予想外にも相手方がしぶとくいい加減辟易してきた。

 

「第一の話、レイなのかライなのか知らないけど、そんな名前の人初めて聞いたんですけど」

「嘘ですよ! あなたはウィーチューバ―のレイさんです!」

「僕には岡田重信って両親からもらった大切な名前があります!」

「っ……! レイさんが動画に使ってる本名だ」


 やっべ。

 完全に墓穴を掘ってしまった。

 岡田重信……もちろん偽名だ。動画のネタにするため口から出まかせに言って以来、よく口にしていたのでつい出てしまった。オレのSNSを通知オンにするレベルのリスナーがオレのよく使うネタを覚えていないはずがない。

 嫌な汗が背筋を伝うのを感じた。

 女の双眸が「しめた!」と言わんばかりに輝く。非常に不味い。


「待て、違うから。岡田は旧姓で最近岡崎になったんだったオレ」

「レイさーん嘘はいけませんよー」

「いやいやホント、マジで。まだ慣れなくてなハハハハハ……あ! そうだオレこれから用事があるから悪いけど君の相手してられないんだ」

「ムムムッ。たしかにいつもの時間から配信を始めるならそろそろ準備しなくちゃですもんね」

「ちょっと何言ってるか分かんないけど、それじゃあね」

「…………分かりました。元よりいきなり凸って話聞いてもらえるとは思ってませんでしたし……また来ます!」


 2度と来んな。

 無駄に元気の良い捨て台詞を残し踵を返す女に胸中で悪態をつく。

 こりゃ被害が大きくなりそうなら防犯カメラでも用意しておくか。

 そう熱狂的迷惑リスナーへの対抗策を思案している時だった。

 女が向かっているであろうマンション端にあるエレベーターから1人の男が出てきた。細身痩躯の爽やかな笑顔を浮かべた短髪好青年。面識などない。だがそいつの服装と手に持っているファストフード店のロゴがプリントされた袋から、オレに用があるということは察しがいった。

 青年はオレと目が合うと安堵したような表情で駆け足になる。

 

「ウーバーグルメっす! レイ様でお間違いないでしょうか?」


 大きくハキハキとした元気の良い……周りにもばっちり聴こえそうな声。

 

「は、はい……オレです」


 ピクリッと配達員の背後でエレベーターを待っていた女の肩が震えた。


「ご注文なされた商品、たしかにお届けしました。それではまたご利用をお待ちしてます!」

 

 勢いよく頭を下げ役目を終えた配達員は帰っていく。

 ……こちらに歩いてくる女とすれ違いながら。

 退いたばかりの悪寒がぶり返す。

 そうだった。ずっと置き配サービスで忘れていたけど、登録してる名前ふざけて『+レイ+』にしちゃってたんだ。


「レ・イ・さーん」


 もう逃げられないぞと言うような、威圧を孕んだ猫撫で声にオレは「な、何かな?」という少々キョドり気味の答えしか返せなかった。

 脳裏に浮かぶのは無数の脅迫文句。

 これでもオレはゲーム実況の一芸だけでやってる割には登録者が多い部類に入る。そこいらの人に「レイってウィーチューバ―知ってる?」って訊けば10人に何人かはイエスと答えるくらいには成功してる。故にもしこの女が今オレの写真を撮り「レイさんの自宅発見! って呟いたらどうなるかなぁ」なんて脅しは効く。滅茶苦茶効いちゃう。

 そんなこちらの不安など知る由もない女はグッと、顔を突き出し口を開く。


「アタシと大会に出てください!」

 

  

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